桐野夏生『ポリティコン 上・下』の書評2:唯腕村の村内闘争と高浪東一の権力と愛・性への欲望

旧世代の村民のサボタージュとボイコットの結果、唯腕村の『世代交替』が急速に進み始めるのだが、それは東一にとってはうるさい老人たちを退かせる渡りに舟の変化でもあり、父親の素一の後を襲って理事長の座に就いた東一は、唯腕村を『自分の王国(自分に都合の良い村)』に変革するために、北田・スオンら・メディアの力を借りて村内改革を進めていくことになる。

若い世代の女性たち、特に自分が一目惚れして強く執着しているマヤが入村したことによって、それまで何の価値も魅力も感じていなかった『唯腕村理事長の肩書き・権限』が急に輝かしい意味のあるものに感じられてくる。それからの東一は、マヤとの恋愛・性愛を何とか成就するという下心を抱えて、唯腕村の権力を掌握して改革を進めていくような形になり、『有機農法・養鶏のビジネス化』で利益を上げる事を焦った東一と翔馬は、反社会的勢力の末端とのつながりを持ってしまったりもする。

だが幾ら20人前後の小規模な村であるとはいえ、高浪東一の独裁者的な意志決定と新世代の村民中心の経営は『旧世代の高齢の村民たち+独自の有機農業で利益を上げる山路夫妻』の反発を招き、二つの派閥に分離する『村内闘争』の事態に至ってしまう。羅我誠と高浪素峰による唯腕村創設時にあった理念は、『隣人を愛し、隣人と共に作る共同体を愛し、他人も知人もみんなで一緒に助け合って生きていく』という高邁・清廉な共同体主義であったが、その思想も開拓当時のメンバーが年老いて働けなくなるにつれて色褪せていき、押し寄せる市場経済の波に襲われる唯腕村は、高齢化と経済的困窮で存続の危機に立っている。

唯腕村の平等主義と相互扶助の理想は具体的には、『村の農業・養鶏による収入と高齢者から集めた年金の平等な配分』によって実現していたが、独自路線で付加価値の高い有機農業をしている山路夫妻は『平等な分配金の受取り』を拒否する代わりに、独立採算制でやらせてもらうことを特別に認めてもらっている。少数の村民で構成される村で一番怖いのは『嫉妬・ねたみ・誹謗中傷』であるが、山路夫妻はそういった『村民との違い・自分達だけの豊かさ』を悟られないために、本当は有機農業でかなり儲けているにも関わらず、表向きはボロの作業着を着てお金がないように見せかけている。

村民に平等に給付される分配金を受け取らないのも、有機米・野菜を都会の百貨店・スーパーに卸している自分達の農業収入のほうが格段に多いからであり、山路夫妻は形式的には村民であるものの、既に唯腕村の共同作業・相互扶助の理念からは距離を置き始めているブルジョア的な存在でもあった。山路はそれまでの村になかった『貧富・収入の格差』『自分達だけ稼げれば良いという個人主義(反共同体性)』を持ち込んだ存在として設定されている。

東一は鼻持ちならない気取った感じのある山路夫妻を嫌いながらも、その金儲けの有機農業の手法については何とか模倣して盗み取ろうとしている。持続的にカネを稼げる仕組みを作り出さない限りは唯腕村の未来は無いからであり、東一の野望は唯腕村を経済的に潤わせて自分が気に入った新規の若い村民メンバーを増やしていくことで、私利私欲・下心も絡んだ『現代の理想郷』を立て直すことであった。

その山路夫妻は大卒のインテリであり弁舌の才覚もあるので、高浪東一の独裁的な村の経営改革に対して反発を覚える旧世代の村民を取りまとめるような存在になっていき、唯腕村は東一・北田らが率いる『集会室派』と山路夫妻がリーダーとなっている『美術館派』とに派閥が分かれていくのである。集会室と美術館は村で唯一の人が集まる公共建築物であり、一般の板葺きの住宅よりかは立派で頑丈な造りになっているのだが、東一はその集会室を住宅にして中国人のスオンやホアと奔放に性的な関係を持つようになっており、その事に気づいている村民たちは『(理事長の権限を流用した)ハーレム』を作っているとして軽蔑や嫌悪の感情を向けるようにもなっている。

高浪東一が本当に好意を持って手に入れたいと思いやきもきしているのは高校生のマヤだったが、マヤはどんなに機嫌を取っても東一になびく素振りを見せないので、マヤの代わりに身近にいた中国人のスオンやホアのほうに性的な欲望を向けてしまうようになっていた。10代のマヤからすれば30歳に近い東一は冴えないオッサンに近い存在であり、自分に対する好意や優しさには気づいていたがそれが逆に煩わしくも感じられ、また将来的にはこんな田舎の貧しい村を脱け出して都会で暮らしたいという希望も持っている。

まともな恋愛をしたことがなく、不器用にしか女性に接することができない東一のことをマヤも嫌いでは無かったが、今のマヤは母親が北朝鮮で行方不明(安否不明)になっている不安、圧倒的な貧しさ・惨めさによる気持ちの落ち込みのほうが強くて恋愛どころではないというのもある。いずれにしても、まだ10代のマヤは東一がどんなに一途に思いを寄せようとも、こんな夢も希望もない高齢者ばかりの寒村で人生を終えたいとは思わなかったし、農業による自給自足・平等重視の共同体主義などの思想に基づいて建設された唯腕村に、理想よりも生理的な気持ち悪さ(外の一般社会の仕組みと余りに違いすぎることへの抵抗感)を感じてしまってもいた。

何としてでもマヤを手に入れたくて堪らない東一は、遂に『村で暮らすしかない身寄りがなく貧しいマヤの境遇』を利用して、理事長の権力と僅かばかりの経済力を使って、マヤに東京で進学する資金を全て出してやる代わりに自分の女になれと強要する。その後の展開で二人の関係はこじれにこじれて、やけくそになった東一は遂にマヤを裏切って手放すことを決めるのだが、マヤが好きで好きで堪らない東一の『逆効果にしかならない交渉・説得・泣き落とし・脅迫』のやり取りが、小さな村の独裁者が苦悩する恋愛小説の盛り上がりを作っている。

小説『ポリティコン』は、閉鎖的な農業共同体の内部で起こる人間関係と感情の軋轢、性的欲望の葛藤、権力への意志を題材にしているが、その中心に置かれているのは『唯腕村建設の共同体主義の理想と現実』であり、『高浪東一のマヤに対する恋愛感情(愛情と憎悪のアンビバレンツ)』である。隣人と隣人と共に作り上げる共同体のために自己を捧げて働くという理想が、男女の性愛の乱れや資本主義的な価値観の影響、高齢化・過疎化によって緩やかに崩れていくが、唯腕村の新世代のリーダーとなった高浪東一は『個人的な欲求・恋愛』『唯腕村の経済的な再建・農業のビジネス化』の両立を目指そうとして独裁者的な経営や指示に傾斜していってしまう。

むしろ、東一はマヤという好みの女に惚れたことがきっかけで、村の独裁者的な権力や役割への欲望をたぎらせていったという流れになっている。最後の部分では、マヤの人生の苦境・転落とは対照的に、メディアに露出する農業指導者としての成功や別の女(ホア)との家庭を手に入れた東一に、作者は『虚しかったよ・なーして俺から逃げたんだよ(だからみんな不幸になったんだ)・好きな女はどんなに懇願しても振り向かないし・何の希望もねがったよ』と語らせているのだが、この辺りの述懐は東一の権力欲と恋愛感情の密接不可分さを表してもいるのだろう。小さな集団内部での権力争いや自意識のぶつかり合い、世代間の対立、噂や誹謗中傷の広まりなどが、要所要所で詳しく書かれているのだが、それは『社会的な動物』である人間の本能的側面を浮き彫りにしたものでもあると感じる。

『ポリティコン』の作品の上巻では、資本主義・市場経済のカウンターカルチャー(逃避先)としての農業共同体の理想が語られ、その理想が通用しない時代になって金儲けのできる農業・養鶏が要請されることになるのだが、下巻では惜しいことにそういった農業・共同体・理念の問題や唯腕村の改革プロセスの掘り下げが甘くなって、『東一とマヤの恋愛関係のすれ違い・懊悩』のほうがメインになっている。小説としてはそちらのほうがまとまりが良くてエンターテイメント性も高いのだが、羅我誠と高浪素峰の共同体主義の理想と資本主義社会の現実とのダイナミックなぶつかり合いやその改革のあり方というのももう少し読んでみたかった気がする。

独裁者に対する人民の反乱によって、唯腕村で築いたものの全てを失った高浪東一だったが、それに懲りることもなく、『新たな唯腕村建設の野心』に突き動かされて新天地を求めて動き出す。唯腕村の経営と指導にいったんは挫折した東一の脳裏にあるのが、『隣人と共同体のために働く理想主義』なのか『私欲と支配欲求が介在した利己主義』なのかは分からないが……『ポリティコン』を読んでいると農業共同体の思想と現実を通して、現代の経済社会を生きる我々の内面にある閉塞感やフラストレーション、その打開策についても考えさせられる。






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