桐野夏生『ポリティコン 上・下』の書評1:理想的で閉鎖的な農業共同体としての唯腕村の歴史と現状

慌しくストレスの多い資本主義・企業経済の世界から脱け出して生きていきたいという欲望の現れとして、『自給自足的・非貨幣的なコミュニティの形成』がある。心から信頼して助け合える同志と呼べるような仲間と一緒に汗水を流して懸命に働けば、『お金・企業・市場に束縛されない人生』の道が切り開けるのではないか、『仲間・共同体のための労働』ができるのであれば物質的に貧しくても、そこにヒューマニスティックな労働の喜びが実感できるのではないか、そういった農本主義の理想郷建設の思想の下に『唯腕村(いわんむら)』は人工的に建設された。

本書『ポリティコン』の舞台となる山形県馬淵町の庄内平野にある唯腕村は、田舎の僻地を自らの力と汗で開拓して建設された人工的な農業共同体である。小説家・資産家の羅我誠(らがまこと)と彫刻家・開拓者の高浪素峰(たかなみそほう)が協力してゼロから築き上げた、現代の牧歌的・協働的な貨幣経済の欲望に取り込まれないユートピア(思想的な村落)として唯腕村の歴史は続いている。『唯腕村』という村名は、トルストイの農本主義・清貧思想に共鳴していた羅我誠が『イワンの馬鹿』から取ったものであり、『愚直・誠実・清貧』に隣人のために生きる人たちが住む村を作るという理想が込められたものである。

お金のため自分のために競争して働くのではなく、隣人(仲間)のため共同体のために支え合って働くのだという『原始共産主義的・平等主義的な理想』に根ざして、唯腕村は約80年前に作られた。だが、当時村づくりの主力として働きに働いた入村者も、今ではすっかり高齢化してしまい、現金収入が少なく若者の離村も続く唯腕村の生活は汲々としている。唯腕村は小説の内部で創作された思想的な農業共同体ではあるが、そこには現代日本の農村が抱えている『高齢化と過疎化・現金収入の少なさ・将来の展望の無さ・人間関係の閉塞感』が凝縮された形で描かれている。

工業労働が増えた高度経済成長期には、土にまみれて汚れる農業はださくて儲からない“田舎の仕事”とされたが、企業に雇用・管理される労働に疲弊感も出てきた現代では逆に、土に触れて仲間と協力する農業(肉体労働)の内在的な価値の見直しといったスローライフのカウンターカルチャーも生まれてきている。しかし、『ポリティコン』では都会人のメンタリティから見たそういった『思想的・情緒的な農業の幻想』が解体されると同時に、『農業の思想的・幻想的な理念』をビジネスに上手く応用していかなければ生き残れない農村の経済的苦境がベースになっている。初期の農村開拓者のリーダーだった高浪素峰の子の高浪素一(たかなみそいち)が理事長を務めているが、素一は父の素峰とは違って農業への関心は乏しい人物で、趣味・副業の演劇に力を入れて酒を愛する好々爺である。

高浪素一は唯腕村の理事長として堅実に職務を果たしてはいたが、村は『高齢化・過疎化・収入源の乏しさ』で先細りする一方であり、その時代の流れに逆行して村を再び栄えさせるほどのカリスマ性やエネルギーは素一にはない。『ポリティコン』の主人公は素一の息子である高浪東一(たかなみといち)であり、男盛りの28歳である東一は高齢化の陰鬱とした空気の中で、変わり映えのない農作業・鶏舎の世話が続く毎日に飽き飽きとしている。ゆくゆくは父親の高浪素一の後を継いで、唯腕村の理事長になることが決まっている東一だったが、この村で生活してリーダーになるという自分の人生に何も明るい希望や興奮を見出せず、昔ながらの腐れ縁の友達と共に近くの町の酒場に繰り出して、憂さを晴らすしかないような日々だった。

28歳の性欲旺盛な高浪東一にとって『若くて魅力的な女がいない村・好きになれる女の候補もいない現状』はそれだけで何の魅力もない場所であり、もう50代後半で初老に入ろうとする熊田アリスという村民の女性に発情せざるを得ない自分の情けない欲求不満の立場を自虐的に感じている。年の離れた熊田アリスは東一の初体験の相手であり、一時期は繰り返し肉欲と情に任せて密会を重ねた仲だったが、アリスは同世代の村の友達である翔馬・遼馬の兄弟の母親でもあった。

狭い村の中ではあっという間に誰と誰が関係を持っているのかの噂は広まってしまう。東一は母親のヤイ子からアリスとの背徳的な関係を批判されて、恥辱感と共にアリスとの密会をやめることになるのだったが、それ以来、(若い女性がいなくてネットも普及していない時代なので当然ではあるが)東一は女性と恋愛・セックスをする機会を得ることはなく悶々とした面白くない日々を送っている。

外部からの人の出入りや人口移動のない極端に閉鎖的な村落共同体では、『性愛の乱れ・不倫の増加・夜這いや筆下ろしの旧習』などが生まれる可能性が高まるだけでなく、貧しくて経済的な消費や物質的な豊かさとも無縁な共同体では、労働を終えた後の性愛は数少ない娯楽・楽しみの一つになる。ひたすら自らの性欲と恋愛欲求を抑圧してきた高浪東一だったが、『ある事実(父親・母親の相互の不倫)』をふとしたことから知ることになり、農業共同体の互助と労働の理想を掲げた唯腕村でさえも、閉鎖的な村における『性愛(婚姻規範)の乱れ・男女の娯楽』と無縁ではなかった事を知る。

東一は父母の不倫を知ってショックを受けるどころか、日ごろから寡黙・陰鬱な性格で真面目にコツコツ働くだけが取り得の母親ヤイ子に違和感(実の母親ではないような感覚)を感じていたこともあり、ヤイ子が自分の本当の母親ではないことを知って逆に歓喜する。しかも父の素一が不倫していた血縁上の母親が、東京に住んでいる羅我誠の孫娘の和子だと聞いて、『自分の母親が遊びなれた都会人で有名人の孫である事実』に、自分の自己アイデンティティの肯定的な変容さえも感じるのである。

『ポリティコン』では『都会と田舎の二元論』もベースになっていて、村で生まれ育った東一や幼馴染みの翔馬は、都会の華やかさや豊かさ、若者の多さに憧れている。マスメディアを利用した有機農業・観光事業の収益で村を盛り立てて、都会的な消費ができるようになりたいという欲望が、唯腕村の理念や性格、生活様式を変化させていくのだが、その根底にあるのは素一の後を継いだ高浪東一の『女性への欲望・恋愛への衝動・権力の流用』でもある。その欲望の高揚や権力への意志は、北田というインテリ崩れの実質的なホームレスが、マヤという美しく魅力的な女子高生を村に連れてきたことによって強く刺激されることになる。

約80年前に現代のユートピアとして建設された唯腕村だが、現在では働き盛りの若者や村を経済的に支えられる裕福な人が入村してくることはなくなり、資本主義社会から排除されて行き場所がなくなったホームレスや社会的弱者、逃亡者、不法滞在の外人などが村の見学者を装って、どさくさに紛れて入村しようとするケースが増えていた。しかし、唯腕村の経営は養鶏業・野菜販売の利益と高齢者から集めた年金の平等分配でぎりぎりの状態であり、『村を頼ってくる弱者・困窮者』を受け容れる余裕はなく、新規入村はよほど村に利益をもたらす可能性の高い人でないと認めない方針になっている。

ホームレスの北田は高浪素一にその知性・話術・協調性を気に入られて、高校生のマヤと中国人のスオン、スオンの子アキラを連れて入村を希望してくるのだが、初め東一は村に利益をもたらしそうにもない北田らの入村に強く反対する態度だった。しかし、北田が田舎では珍しい人目を引くほどの美人であるマヤを連れている事に気づき、東一は綺麗だけど生意気なマヤに強く惹かれている自分を抑えることができずに、北田ら擬似家族の入村を認めるのである。ホームレスに転落した元インテリの北田、北朝鮮の脱北ビジネスを支援していた母親がいなくなったマヤ、農家の旦那と離婚して行き場所がない中国人のスオン親子、それぞれが外部の経済社会で普通に暮らせない事情を抱えており、一般社会から離れている唯腕村を頼ってきたのだった。

スオンのツテを頼ってきた同じ中国人のスオンとメイも村民に加わることになり、『唯腕村の雰囲気』はがらりと変わるが、恋愛や性の対象として見ることのできる若い世代の女性が4人も入ってきたことで、高浪東一の性的な欲望が村内の権力の掌握と結びついた形で、急激な高ぶりを見せるようになっていく。高浪東一が厚遇する若くて新しい村民が一挙に増えたことで、旧世代の村民との軋轢も高まるようになり、母のヤイ子や小松房江、菊池ひさ子、豊島ルリ子といった昔から村を支えてきた働き者の中高年女性たちは、若い世代との不平等な扱いに不満を溜め込み、『自分達はもう十分に働いてきたので、もう現役を引退して余生を楽しみたい』とボイコット宣言をして、それまでの農業・集卵・食堂などの仕事をしなくなってしまう。






■関連URI
桐野夏生『グロテスク』の書評:1

海堂尊『ジェネラル・ルージュの凱旋』の書評

桐野夏生『優しいおとな』の書評:大人に守られなくなった子ども達と家族的なものを模索する物語

■書籍紹介

ポリティコン 上
文藝春秋
桐野 夏生

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ポリティコン 上 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

驚いた

この記事へのトラックバック