新型うつ病と規律訓練型システムによる超自我の形成4:“中心的・権威的な価値規範”との向き合い方

前回の記事の続きになりますが、従来のうつ病は『~しなければならない・~できない自分には価値がない』という社会的・権威的な価値規範への同一化があり、それが実行できない自分に罪悪感や自罰感情を感じることが多かったのですが、新型うつ病では通俗的な道徳や価値規範を懐疑しつつも、『自分がどのように生きていけば良いのか分からない』という自己アイデン…
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新型うつ病の“選択的なストレス反応”と“仕事上の適応困難”3:仕事のストレス増大要因の考察

新型うつ病はある意味では『ストレス環境(主に労働環境)への適応問題』へとシンプルに還元することが可能な病気なのですが、それはそれだけ現代の先進国に見られる豊かな社会が『仕事(労働)・お金の問題以外のストレス』から解放されている証拠でもあるように思います。 特に、戦後の中流階層で生まれ育った若年層では、幼少期から物理的な欠乏や飢えの…
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新型うつ病の“選択的なストレス反応”と“仕事上の適応困難”2:増加する職場のメンタルヘルス問題

新型うつ病(非定型うつ病)の増加は『社会一般のメンタルヘルスの問題・悩みの増大』とも無縁のものではなく、基本的には『経済的・福祉的に豊かな社会』に特有の精神疾患として理解できます。飢え・病死と隣り合わせでその日を生きていくのに精一杯な環境、社会福祉(公的扶助)もない貧しい途上国では殆ど発症しないタイプの疾患なのですが、高度資本主義の先進…
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新型うつ病の“選択的なストレス反応”と“仕事上の適応困難”1:ストレス回避の過眠・過食の症状

従来の古典的うつ病と非定型うつ病(新型うつ病)の大きな違いは『選択的なストレス反応の強さ・自罰感情の有無』にあり、従来のうつ病と比べると非定型うつ病(新型うつ病)のほうは症状がかなり軽症化していて、自分の興味や喜びが残っているという違いがあります。『精神運動抑制(抑うつ感・無気力・興味の消失)』の症状は軽症化しているが、慢性的に長期化す…
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奥州・蝦夷の歴史は“米の文化・中央の権力”とどう向き合ったか3:松前慶広と豊臣・徳川政権への同化

奥州藤原氏ははじめ本拠地を江刺郡豊田館(奥州市)に構え、その後に磐井郡平泉に拠点を移して1108年から中尊寺金色堂の造営を開始しているが、奥州藤原氏は最後に確立された『蝦夷・俘囚の系譜』を引く中央から独立的な政権でもあった。初代の藤原清衡は自らを『東夷の遠酋・俘囚の上頭』と称するなど、京都の朝廷・貴族とは異なる奥羽地方の出自を誇りにして…
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奥州・蝦夷の歴史は“米の文化・中央の権力”とどう向き合ったか2:安倍氏清原氏と武家の棟梁源氏

平安時代中期には、陸奥に土着して支配領域を拡大していた軍事貴族の安倍氏がいて半独立的な勢力を築いていたが、朝廷への貢納を怠った廉で陸奥守・藤原登任(ふじわらのなりとう)が攻撃を仕掛けると逆にこれを打ち負かして、安倍氏は朝敵として成敗の対象となる。朝廷は1051年に河内源氏の源頼義(みなもとのよりよし)を陸奥守に任命して安倍氏征伐に派遣す…
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奥州・蝦夷の歴史は“米の文化・中央の権力”とどう向き合ったか1:稲作伝来が生んだ日本文化の基層

前回の記事の続きになるが、平安時代前期の9世紀には、平安京の朝廷は蝦夷に対する直接の軍事活動を取りやめることになり、朝廷の蝦夷に対する支配領域の拡大は現在の岩手県・秋田県のそれぞれ中部付近を北限として停止することになる。なぜ平安京の天皇・公家は坂上田村麻呂が進展させた『蝦夷征伐事業』を中途半端な段階でやめてしまったのだろうか、その理由は…
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“人間関係の親密さ・本音の交流”を促進するプロセスとカウンセリングの気づきの現実への応用:2

前回の記事の続きですが、相手に対する親密さや関心、好意を込めて“まなざし(視線)”を相手に向けるという行為には、『相手に対する本当の興味+その関係性への集中』が必要になります。そういった真実の相手に対する関心と集中力がなければ、『まなざし(視線)の持つ感情交流の作用』が弱くなってしまい、本当に他人と向き合って相手の目を見るという非言語的…
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“人間関係の親密さ・本音の交流”を促進するプロセスと視線を合わせる行為の社会的意味:1

生得的な気質や性格特性の影響を誰もが受けるとしても、人間関係の苦手意識や不安感、緊張感を和らげていくためには、自分が他人から悪い方向に評価されているはず(相手に高い評価や良い印象を与える可能性は低いはず)だという『他者に対する認知の歪み(結論の飛躍・読心術・過度の一般化・レッテル貼り)』を意識的に少しずつでも修正することが役に立ちます。…
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“人間関係の苦手意識”を軽減するカウンセリング要素と“ありのままの自分”の見せやすさ・見せにくさ

人間の性格(character)には、遺伝・体質気質などの『固定的な部分』と社会的態度・役割行動などの『可変的な部分』とがありますが、特に『その時々の人間関係・社会的環境のコンテクスト(文脈)』によって表面化される性格特性には大きな違いが出てきます。誰もが“自分らしい性格特性・態度”をストレスを感じずに素直に出せる相手もいれば、自分らし…
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蝦夷征伐の東北史から見る“日本人・大和文化”とは何か?3:坂上田村麻呂の東北経略と平安京の怨霊信仰

大和と蝦夷の激戦地帯となったのは現岩手県の胆沢(いざわ)の周辺であり、780年(宝亀11年)に俘囚の伊治呰麻呂(いじのあざまろ)が反乱を起こして、陸奥按察使(むつあぜち)の紀広純(きのひろずみ)を殺害して朝廷が築いた多賀城を攻め落とした。789年(延暦8年)には、征東大使・紀古佐美(きのこさみ)が率いる征東軍を、蝦夷の阿弖流為(アテルイ…
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蝦夷征伐の東北史から見る“日本人・大和文化”とは何か?2:まつろわぬ者の蝦夷・アイヌと帰属意識

統一的な近代国家の要件を備えた日本が明治期に成立するまでは、日本及び日本人の範囲は『天皇家・大和朝廷(平安京)にまつろう者(従う者)の集団勢力』によって規定されており、蝦夷・毛人(えみし)とは端的には『大和朝廷・にまつろわぬ者ども(天皇の権威に服属もせず臣下としてのアイデンティティを持たない者)』という意味であった。日本の天皇(皇室)・…
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蝦夷征伐の東北史から見る“日本人・大和文化”とは何か?1:中国の華夷秩序の影響と大和朝廷

日本人は戦時中には“大和人(大和民族)”と自称する事が多く、男性社会を支える良妻賢母を育成しようとする女性教育では三従の“大和撫子”が理想とされた。日本が当時最先端の造船軍事技術を集積させた切り札の戦艦にも『大和』という命名が為された。米軍の海・空からの苛烈な集中砲撃によって、鹿児島県の坊ノ岬沖海戦(1945年4月)で実質的に壊滅に近い…
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自転車は車道を走るべきか歩道を走るべきか?3:自転車専用レーンの建設計画と政策の優先度の議論

車と自転車とでは、出せるスピードや自重(運動エネルギー)が大きく違う事から、どうしても『車両の仲間・自転車が凶器になり得る』という認識を持ちにくい部分はあり、他に車の姿が見えない深夜の道路の赤信号で、車であれば絶対に止まるところを、自転車だと信号無視をしやすくなるというような『意識の低さの問題』は残っている。歩行者も車の来ていない道路・…
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自転車は車道を走るべきか歩道を走るべきか?2:“車・自転車・歩行者”に対する認識の変化と高齢化問題

自転車の危険運転・マナー違反(法律違反)の規制強化に対しては、日常生活の中で自転車に不満・迷惑・恐怖を感じている『一定数の国民の支持』もあり、そういった危険運転やマナー違反・ルール違反をもっと厳しく取り締まってほしいという意見もある。自動車社会が進展していたモータリゼーションの昭和の時代と比較すると、現在では『交通事故・交通行政の捉え方…
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自転車は車道を走るべきか歩道を走るべきか?1:統計的な自転車事故数の推移とマスメディアの情報

近年、テレビ・新聞で自転車事故(死傷事故)や自転車運転のマナー違反、ルール違反を取り上げる頻度が増えていて、ウェブでも自転車事故やその安全対策に関する議論を時折見かけることがある。警察も自転車の交通違反は厳しく取り締まらないという従来の方針を改めて、自転車を道交法の規定通りに『軽車両』と認定し、信号無視・標識違反・携帯操作(音楽視聴)を…
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