“人間関係の親密さ・本音の交流”を促進するプロセスと視線を合わせる行為の社会的意味:1

生得的な気質や性格特性の影響を誰もが受けるとしても、人間関係の苦手意識や不安感、緊張感を和らげていくためには、自分が他人から悪い方向に評価されているはず(相手に高い評価や良い印象を与える可能性は低いはず)だという『他者に対する認知の歪み(結論の飛躍・読心術・過度の一般化・レッテル貼り)』を意識的に少しずつでも修正することが役に立ちます。どうすれば生得的な性格傾向や過去の苦痛な経験(トラウマ体験)の影響によって形成された『認知の歪み(偏り)』を修正できるのかは、認知療法の理論や実践を参照することになります。

コミュニケーション場面(対人場面)において、自分自身の頭に自然に浮かんでくる『自動思考・イメージ』をセルフモニタリング(自己観察)してみて、その内容が現実的な状況や相手の反応・態度と本当に一致しているのかどうか(その自分の考え方を証明するような出来事が本当に起こっているのか)を考えてみることが、『不必要な自己否定・将来悲観・他者不信』を生み出す認知を修正するとっかかりになります。

認知療法を対人関係の悩みに応用する時には、『自分が一方的に想像している相手の内面や考え(特に自分に対するネガティブな相手の意見や気持ちの想像)』に囚われすぎずに、『実際に目の前で相手が話している言葉やその表情』に集中して、できるだけ自分と相手との関係を円滑にするような認知を考えていくことが大切です。その認知を元に、現実の他者とのコミュニケーションにトライしてみること、他者からポジティブなフィードバックを受けて自己確信を強めていくことが基本的な方略になります。

人間関係には『本音の深いつきあい(個人的な幸福や満足を求めるつきあい)』『建前の浅いつきあい(社会的な適応や交流を目的としたつきあい)』とがありますが、社交的に明るく対応して人間関係を卒なくこなすだけで良いのであれば、その場のTPOや関係性の文脈に合わせた『建前の儀礼的・適応的なつきあいのパターン』を習得することは可能だと思います。しかし、相互の存在を自分にとってかけがえのないものとして認識する恋愛関係や友人関係では、表層的で無難な人間関係のパターンだけでは上手くいかないだけでなく、『心理的な距離感・よそよそしく打ち解けない感じ・相手の本心が分からない・心から信用できない』といったマイナスの評価につながりやすいという問題があります。

相手の存在や考え方をありのままに尊重して受け容れる、自分の存在や考え方もありのままに肯定されて受け容れられるという『個人的・情感的な深くて密接な関係』というのは、誰もがそういった無条件に信用できる相手を持ちたいというような『人間関係の究極的な目標』の一つです。しかし、そういった密接で深い人間関係ばかりでは、息苦しくて窮屈に感じるというバランス感覚の上に立つ関係でもあり、本当に親しくて疲れない関係というのは、状況や必要に応じて『相手との距離感・干渉する強度』を自然に無理なく調整できるという柔軟性を持ちます。

この人間関係の柔軟性や自然さを指して、『空気のような存在・そこにいるのが当たり前の存在・何も構えなくて良い相手(素のままで接しても問題がない相手)』という表現が為されることもあります。現実の家族や夫婦、恋人であっても、『個人的・情感的な深くて密接な関係』は簡単には長く持続させることが難しいものでもありますが、そういった情緒的で親密な関係が順調にいっている場合には、『特別な努力を要さなくても関係が持続する確信的な感覚(どちらかの感情や考え方がズレてくると確信と無関係に心理的距離が開くことはありますが)』があるというのもまた事実です。

また人間関係が親密さを増していく過程では、言葉をやり取りする会話の頻度が多くなり『言語的コミュニケーション』によって相互理解を深めていきますが、一定以上の親密な人間関係になってくると会話をする重要性は当然にあるのですが(余りに何も話さないために共通の関心事や気持ちの確認ができずに離れていく関係もありますが)、相互の気持ちの確認において『非言語的コミュニケーション』が占める割合が増していきます。

個人と個人が対面で向き合って意思疎通する場合には、『視線・表情・態度・声のトーン・動作(ジェスチャー)』などの非言語的コミュニケーションも重要になってきますが、対人関係の苦手意識や緊張感、赤面・発汗のしやすさに関する悩みでは『視線の合わせ方』が話題に出されることも多いのです。“視線の合わせ方・まなざしの向け方”というのは行動としては実に単純なのですが、人間が他者と視線を合わせるという事には様々な『社会的・動物行動学的な意味』があり、一般的にそれほど親しくない他人を長く見つめて視線を合わせることは、社会的禁忌(タブー)となっています。

まなざしを通してよく知らない他人から『関心・注意・好奇心』を長く向けられる事は、『緊張感・不快感・侮辱感』を高める恐れがありますが、人間が他人と視線を合わせるという行為には『親密さ・好意・信頼感の確認』『挑発行為・敵対心・興味本位のアピール』という大きく二つの社会的意味があります。前者はポジティブな視線の合わせ方であり、後者はネガティブな視線の合わせ方という風に解釈できますが、ここでは良好な人間関係を築くに当たって必要な『ポジティブな視線の合わせ方』について少し考えてみたいと思います。

チンパンジーなどの類人猿やサルの社会では、社会的・暴力的に優位な個体のほうが劣位の個体をじっと見つめる権利があり、視線を合わせる行為が『集団内の優劣関係』を確認する“威嚇・示威の行為”としての意味を帯びています。

サル社会では劣位な個体は優位な個体から見つめられると視線を逸らさなければならず、そのまま長く見つめ返す事は『相手への挑戦・対等な立場のアピール』になって闘争に発展するリスクを生みますが、人間社会にもそういったサル社会における視線の持つ意味(挑発・攻撃・敵対)の名残はあり、長く相手から見られることを『因縁をつけている・ガンを飛ばしている』と受け取るアウトロー文化などに顕著に見られます。そういった喧嘩を吹っかけるようなまなざしの解釈は非適応的で問題ですが、一般的にもよく知らない他人に長く見られ続けると、違和感や不快感、反発心を感じやすい心の仕組みは誰もが持っています。

人間関係では『他人に視線を合わせられる抵抗感』と同時に『自分が視線を合わせることの難しさ』というのもあり、自然に緊張や違和感を感じずに視線を気持ちよく合わせられるというのは『親密で信頼できる人間関係のバロメーター(指標)』になっているとも言えます。

視線を自然に適度な頻度で相手と合わせるというのは、『親密さ・好意・信頼感の確認』というポジティブな社会的意味を生み出しますが、消極的で緊張しやすく引っ込み思案な性格の人の場合には『顔を上げられない・他人と視線を合わせて話ができない』というのが人間関係の悩みの原因になっていることもあります。この記事で書いた内容と関連するものとして、人間関係の心理と視線の合わせ方、人間関係の自然さと持続性、社会集団への適応などについてもまた記事を書きたいと思います。






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