デイヴィッド・リースマン『孤独な群衆』に見る他人指向型と現代社会における人間関係・承認欲求の不全感

前回の記事の続きになるが、人間の悩みや葛藤が強化される各種の原因として、『劣等コンプレックス・自己不信感・対人恐怖・喪失感・過去への執着と未来への不安』を取り上げてきたが、物質的な豊かさや個人の自由領域(他者との不干渉)の拡大、文明社会の利便性やシステムによる環境管理が増大していく現代では、『主体性の喪失・群集内での孤独感・自己愛の肥大・選択できないモラトリアムと虚無感・格差拡大(豊かさの中での貧しさ・無力感)・仕事のストレス増加』などが新たなメンタルヘルスの危機を招くリスク要因になってきている。

社会的価値観や経済活動、産業構造と人間のライフスタイル(生き方・関心の持ち方)は密接に相関しているが、その社会・経済構造と性格構造との相関を『社会的性格(social character)』として理念化・類型化したのがアメリカの社会学者デイヴィッド・リースマン(David Riesman,1909-2002)である。D.リースマンは代表作である『孤独な群衆(1950)』では、伝統社会・工業化社会・脱工業化社会にそれぞれ対応する社会的性格の類型として、『伝統指向型・内部指向型・他人指向型(外部指向型)』の三つの性格構造を上げているが、それぞれの特徴は以下のようなものである。

伝統指向型(traditional-directed)……過去から長く続いてきた宗教・慣習・文化の規範的な伝統に同調して従属することによって、『昨日と同じ明日の意識』に支えられた安定的秩序を守ろうとする性格構造。18世紀以前の農業・牧畜を中心とした伝統社会における社会的性格。社会全体で共有される価値・物語として『宗教規範・伝統的慣習』などが機能している。

内部指向型(inner-directed)……伝統的な宗教(神)ではなく、個人の内面や心理に意識を向けるようになり、両親や権威的な教育者から教えられた『内面的な倫理(良心)・罪の意識』に従って判断しようとする自己批判的な性格構造。19世紀の産業革命の影響が拡大した工業社会における社会的性格で、M.ヴェーバーのプロテスタンティズムの倫理とも重なっている。社会全体で共有される価値・物語として『道徳的な価値観・社会的な適応性(勤勉・誠実・正直・常識的など)』がある。

他人指向型(other-directed)……個人主義・自由主義・消費文明の発展を背景として、『他者からの反応や評価(他人が自分をどう見ているか)・マスメディアの情報(社会でどういった流行があるか)』に従って判断しようとする自己愛的・大衆迎合的な性格構造。20世紀の脱工業社会(消費文明社会)における中間大衆層の典型的な社会的性格とされ、他人の目や反応を気にして同調しながらも、他人と情愛的な相互理解や協力関係を深めることが難しくなり、各個人はバラバラに分離して孤独な状況に置かれやすくなる。社会全体で共有される価値・物語は希薄化してしまい、消費文明や経済社会により良く適応することが自己目的化して、『自己愛と孤独感(他者とのつながりへの欲求)の間』で虚無的なジレンマに襲われやすくなる。


重化学工業化に成功しただけでなく第三次産業(サービス業)も急速に発展した現代社会では、『大量生産・大量消費・大量廃棄の消費文明』の枠組みの中で、自分が他人に“価値のある人間・人並みに幸せな人間”だと認められたいという自己愛に根ざした承認競争が激化していく。その結果として、絶えず周囲の他人の動向や反応を気にするようになり、マスメディアやウェブが発信して形成するモード(流行)や話題にもアンテナを張り巡らせるようになるが、『他者との相互理解・連帯感・協力性』を高めるような共同体的基盤が弱体化しているため、どうしても人々はバラバラな個人になって孤立感や寂しさを感じやすくなってしまう。

厳密にいうと、心理的には癒され難い空虚化や孤立感(他者との切断)を感じていながらも、表面的には仲間集団・企業活動の人間関係に無難な適応をしているため、『仲間とは異なる個性・価値観・生き方』を示して仲間集団から疎外されることを恐れるという感覚が強まりやすくなる。自分と相手とがホンネとホンネでぶつかり合った結果として相互理解を深めるような人間関係(友人関係)は、(子ども時代には幾つかの思い出があるとしても)現代の大人社会では珍しいものになっており、『仲間集団に所属しているという外見・とりあえずの話し相手がいるという状況』によって癒され難い孤独感(虚無感)を部分的に埋め合わせていることが多い。

物質的な豊かさと文明・科学による恩恵、情報技術の発展によって、私たちの生活は便利になり快適になったが、他人指向型の性格構造では『他者から承認されたいという欲求』は表層的・物質的なレベルに変化しやすくなり、『他者との連帯感・一体感を得たいという共同体的感情』は自己愛・自己利益の下に抑圧されてしまい、恋愛や家族関係以外では得ることが難しくなった。他人指向型のパーソナリティでは、他人が自分をどう見ているのかが不安になって、絶えず他人の動向・反応に視線を向けているのだが、『他人そのものへの興味関心』を持つことが殆どなくなり、“他人への関心・意識”“自己愛・自己防衛(自分が愛されたい・他人に傷つけられたくない)”に回収されて再び孤独感に陥ってしまいやすいのである。

都市の街路で膨大無数の人と擦れ違っていても、挨拶を交わすわけでもなく匿名者として無関心のままに擦れ違うだけだが、現代社会では伝統規範に従うことや内面的な倫理観を守ることよりも、商品・レジャー・娯楽・プレゼントなどの消費を通して『他者から認められること・他者とのつながりを感じること』の相対的価値が高まっており、真実の関心や愛情に根ざした人間関係に極めて高い価値が付与されるようになっている。学歴や雇用、所得といった実際的・経済的価値というのは確かに重要だが、そういった現代社会における豊かさや名誉の指標といったものも、突き詰めれば無人島では意味を持たないように『他者・社会からより価値を持つ人物と認められたいという欲求』『他者との良好な関係性を得たいという欲求』が投影されたものと考えるのが妥当だろう。

現代社会では、社交不安障害(対人恐怖症)や境界性パーソナリティ障害、回避性パーソナリティ障害といった『他者から愛されたい・認められたい・傷つけられたくない』という完全主義的な欲求(不安)を背景にしたメンタルヘルスの問題が生まれやすくなっているが、そこには『他人指向型の時代における承認・連帯の欠落』が関係しているように思う。

他者と共感的・協力的につながって安心したい、自分の存在を認められたいという本能的欲求が満たされにくくなり、『他者からどう見られているか・悪く思われていないかという不安』に影響された表層的な人間関係や消費行動が増えている中で、自分が他人とどのような関係を築きたいのかを自覚して実践していけるかどうかが問われているのだろう。他人からより立派な優れた存在として認められたいがために、競争的行動や敵対的戦略を講じてしまいやすい条件が他人指向の現代にはあるが、アドラー心理学でいう自己と他者の利益を統合して貢献的行動に喜びを見出すという『共同体感覚(他者との共感性・協力感)』を取り戻すことが、虚無的なナルシシズムに停滞しやすい現代で、充実した人間関係を作っていくために大切なことのように感じる。






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■書籍紹介

孤独な群衆
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