新田次郎『槍ヶ岳開山』の書評2:“悟り(煩悩消尽・自他救済)”につながる登山と瞑想の相関

ストイックに自分と弟子を戒律と専修念仏で律し続ける見仏上人は、文政・天保の世の中を『末法の苦悩に満ちた時代』と看破しているが、この時代に衆生を地獄の苦しみに突き落としていた大飢饉と幕府・藩の苛斂誅求に対しては為す術を持っていなかった。本書の後半では、『天保の大飢饉(1833年~1837年)』が発生して重罪・飢餓で苦しむ百姓たちが、仏教信仰や念仏の称名(功徳)に限界を感じて絶望したり仏法に反対したりするのだが、岩仏(播隆)は徹底的に追い詰められて二進も三進もいかなくなった衆生と自分を救済するために、人為をはね返す険しい山に登り続けるのである。仏教思想の基礎と戒律の遵守、修行の実践を教えてくれたのは宝泉寺の見仏であったが、岩仏に播隆という新たな戒名を授けてくれたのは修行よりも檀家を大切にする一念寺の蝎誉(かつよ)である。

播隆となった岩仏は更に、寺院の影響力を拡大する事業僧としての野心が旺盛な本覚寺の椿宗(ちんじゅ)と知り合うことで、笠ヶ岳や槍ヶ岳の開山に向けた動きを始めていくのである。その途中で、弥三郎から生前の妻おはまと生き写しのようにそっくりな“てる"という女性を紹介されて、どんなに修行を積んでも忘れることができない『おはまの幻影・淫欲』を思い出して苦悶することとなり、今頃になって意地悪にもてるを紹介してきた弥三郎の意図を思って憤慨する。おはまと瓜二つの容姿を持ったてるの側にいる苦痛に耐えがたくなり、戒律を破ってしまう身の危険を考えた播隆は、一念寺を出て流浪の念仏行者となって諸国を遍歴した。

当てどなく念仏称名しながら各地を三年あまり流浪した播隆は、本覚寺の椿宗の勧めを受けて荘厳などっしりとした山容を見せる笠ヶ岳(かさがたけ)の再興を目指すこととなる。元禄初年に円空上人によって笠ヶ岳開山の大事業が成し遂げられ、天明2年(1782年)に南裔上人が頂上を極めてはいたが、播隆・椿宗が生きている時代には40年にもわたって世人から笠ヶ岳の存在は忘却されており、笠ヶ岳再興には仏道を広める上で大きな意義があるように思われたのである。笠ヶ岳再興にとりかかる辺りから、無名で誰も信者がいなかった乞食坊主に近い播隆は、事業僧・椿宗の画策によりいつの間にか『上人(しょうにん)』という尊称で呼ばれるようになり、笠ヶ岳の登頂に成功して仏像を安置したことで更にその名声・人気は急速に高まっていくのである。

播隆本人の心情・動機からすれば、仏教の修行・振興や衆生救済といった高尚な大義名分を掲げた登山というよりも、自分自身が妻おはまに対する罪悪感や苦しみから離脱するための登山でもあった。山中の岩窟で瞑想しているとおはまの幻覚が出現して、播隆は『私はどうすれば許してもらえるのか』と問いかけるが、幻覚の像であるおはまは『あなたは死ぬまで苦しみ続けるしかない,完全に許される道などない』という厳しい返答を返してきて、播隆は一層、内面にある後悔と懺悔の思いを深めて悶える。針葉樹林が生い茂り岩・石がごろつく厳しい登山の道のりを越えて、笠ヶ岳の頂上にまで上り詰めた時に、阿弥陀如来が飛来する神秘体験である『御来迎・御来光』が起こるのだが、霧の中に現れた如来の顔は紛うことなき“おはまの顔”であった。

笠ヶ岳山頂の霧の中で、虹に浮かぶおはまのような阿弥陀如来の御来迎を経験した播隆は、笠ヶ岳よりも更に天上・極楽浄土に近い高く険しい山に登れば、またおはまの移し身である御来迎に遭遇できるのではないかという希望(煩悩)を持つようになる。笠ヶ岳の向かいに天空を突き刺すようにそびえ立つ槍ヶ岳登山への悲願を抱くようになり、槍ヶ岳の登山の過程と播隆を取り巻く複雑な人間関係の推移が、小説『槍ヶ岳開山』の後半のストーリーをぐいぐいと推し進めていく。播隆は机上の学問や檀家相手の説法・葬儀(供養)によって悟りを得るような従来のタイプの僧侶とは全く異なり、念仏称名や苛烈な登山という『孤高の禁欲的な山岳修行』によって悟りに近づこうとする僧であるが、播隆の悟りを妨げ煩悩の炎を盛んにするのは“妻おはまの幻影・情愛・罪悪感”であり、物語全体として『許し・慈悲を請い続ける播隆の姿』が強調されている感覚を受ける。

笠ヶ岳再興をやり遂げた播隆は、以下のように自分が体得・実感した『登山と悟りとの相関性(一心不乱の境位)』について説法の中で語っているが、播隆は自らが最も愛する二人の弟子(徳念・柏巌尼)の“男女の仲”を疑って葛藤し続けるという未熟さを最後まで容易には脱しきれなかった。柏巌尼(はくがんに)は、妻おはまに瓜二つのてるの双生児の“おさと”であり、弥三郎の懇願によって播隆の手によって得度された尼僧である。

てるの双生児であるから、当然ながらその外見や雰囲気は播隆の死んだ妻であるおはまに似ていて、折りに触れて播隆の煩悩や葛藤を煽ることになる。播隆は美しい青年層へと成長した“徳念”と美貌を残したまま剃髪した“柏巌尼”との関係を、こころのどこかで疑い嫉妬し続けながらも、自分が特に目をかけている弟子の二人のことを、そんな目で見てしまう卑俗な自己の弱さ・未熟さに苦悩しているのである。


『私は念仏行者ですから、諸国を念仏しながら歩きました。岩窟にこもることもありましたが、今度の笠ヶ岳再興で私は山へ登ることが瞑想に(精神統一に)近づくことのできる、もっとも容易な道のように思われました。山の頂に向かって汗を流しながら一歩一歩を踏みしめていくときには、ただ山へ登ること以外は考えなくなります。心が澄み切って参ります。登山と禅定とは同じようなものです。それは高い山へ登って見れば自然に分かってくることです。なにかしら、自分というものが山の気の中に解けこんでいって、自分がなんであるか、人間がなんであるか、なぜ人間は死なねばならぬか、そういうむずかしい問題さえ、自然に山の気が教えてくれるようにさえ思われて来るのです。そのような境地は登山によって身を苦しめて得られるのではありません。登山はけっして苦行ではなく、それは悟りへの道程だと思います』


仏道修行に邁進しながら深い信頼と敬愛で結びついている“播隆・徳念・柏巌尼の三者関係”と播隆に柏巌尼を引き合わせた“弥三郎の隠された真意”とが、『槍ヶ岳開山』の後半部分のサスペンスとも呼べる人間ドラマの展開を力強く支えている。凍傷で右足の指を失いながらも、必死の思いでやり遂げた峻険な山を踏破する『槍ヶ岳の登頂』によっても、播隆の煩悩は完全に晴れることなく、おはまと生き写しの柏巌尼を巡る妄想観念によって播隆は自己の悟りへの遠さを再び思い知らされるのである。

新田次郎は登山をテーマにした山岳小説を多く手がけていて、このジャンルを開拓した作家とも呼ばれる人物であるが、『登山過程における臨場感のある苦しみ・楽しみ』『仏教信仰・念仏称名による衆生救済(自己の救い)』とを融合したこの『槍ヶ岳開山』は今、読んでみても古さを感じさせない完成度の高い作品に仕上げられている。播隆は播隆本人の自覚や自己評価とは無関係に、自然界にそびえ立つ山を登攀して開山する行為を通して、いつの間にか周囲の僧侶や村人たちから『上人・聖人・高僧』として賞賛され崇拝されるようになっていく。

だが、播隆の念頭にいつもあったのは飽くまでも『自己の救済・煩悩と悔悟の消尽』であり、他者が播隆に抱いているストイックで悟りを得た高僧のイメージとは全く異なっている。播隆は自分が見ているおはまに対する煩悩に迷い苦しむ“未熟な僧侶としての自己イメージ”、周囲の他者が見ている峻険な山を制覇し一切の煩悩を脱した“悟った高僧(上人)としての自己イメージ”との落差を受け容れて、淡々と自らの使命や修行に取り組んでいき、外見的にはその仏教僧としての禁欲的で利他的な生き方にブレがないのである。身を焦がすほどに愛していた妻のおはまへの愛着・煩悩を振り切ることがなかなか出来ずに、煩悩に襲われた時にはただただ無心になって念仏を唱える播隆は、険しい山岳地帯へと一歩一歩、足を踏み入れていく。

飢餓と重税、絶望に苦しむ大衆を直接的に救う力を持たない播隆は、自身と念仏の無力さを自覚した上で、『ただ念仏を唱えて苦しくて死にたいと思うのでは極楽浄土へは行けない』と語りかける。圧倒的な飢えと搾取、貧しさに苦しみぬいている衆生が、『ならば、どうすれば我々は極楽浄土に行けるのか』と問い返すと、『どんなに苦しくても一心不乱に生きたいと願い続けることが極楽浄土への唯一の道だ』と播隆は応えた。ただ念仏を唱えるだけで極楽往生できるとする浄土教の教えに、播隆は苦悩・絶望・恐怖に押し潰されない『一心不乱な生への意志』を導入したが、それは机上の学問に頼らずに登山・山岳修行に明け暮れた播隆ならではの
衆生救済の菩薩行(ぼさつぎょう)だったのかもしれない。

登山を趣味として険しい山に登っている人、仏教・仏法に関心を持って悟りの境地に憧れる人、人間関係(異性関係)や愛着の苦しみを抱えている人、登山や仏教に関連する小説を読みたい人など、いろいろな嗜好性や背景を持つ人に応えてくれる小説である。






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■書籍紹介

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槍ケ岳開山 播隆
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