努力する事で得られるものと要求水準の高さ・幸福の実感1:人は何を求めて努力しようとするのか?

勉強して試験に合格したり専門的な技術のレベルを高めたり、物事を成し遂げたりするためには、一般に『努力・意欲』が必要であると考えられています。何らかの分野における達成や向上に向かって『努力すること・頑張ること』ができなければ、自分の成長や社会経済的な評価(報酬)を得ることが難しく、将来的に幸せになれないのではないか(大きな失敗につながるのではないか)という不安感もあります。

多くの人にとって『努力すること・頑張ること』には一定のストレスが伴いやすく、学校の勉強や入試、資格試験、仕事のスキルアップなどでも、自分の成長や将来のメリットのために嫌なことでも我慢してやっているという人が少なからずいます。

努力が『我慢・忍耐・自己抑制』と同等のものになってしまうと、フラストレーション(欲求不満)を溜め込みながら無理に自分を努力させているような状態になってしまい、短期間で望んでいる結果がでないとその努力は続かなくなってしまいます。あるいは、フラストレーションやストレスが高まり過ぎて、イライラして不機嫌になったり焦燥感・不安感に駆られたりといった不安定な精神状態になりやすくなります。

最も理想的な努力の仕方は『自分なりに楽しみながら努力する』『好きなこと(好きになれること)を頑張る』といった方法であり、無理に努力しているという意識そのものが希薄になって、習慣的に物事をこなしたり意欲的に好奇心を持って物事に取り組めるようになってきます。一線級の専門家や知識人、ビジネスパーソンになると、『頑張って努力しているという意識』よりも『やるべきこととやりたいことが習慣的に同一化された意識』のほうが強くなってきますが、そういった身構えないリラックスした努力ができるようになるためには、『努力する意味・方向性・面白さ』が無意識的に内面化していないと難しいでしょう。

反対に嫌なことだけど頑張らなければいけないという義務感の下で、自分の体力やストレス耐性の限界を超えて無理やりに努力し続けると、『燃え尽き症候群(burnout syndrome)』によって気分・感情が落ち込んだり、集中力・思考力が大幅に低下してしまうことがあります。心身を休ませる暇もないハードワークや過酷な努力・忍耐の状況が続くと、燃え尽き症候群によって意欲や思考力、行動力が低下するだけではなく、生真面目な義務感に圧倒されたり努力しなければ破滅してしまうという強迫観念によって、『うつ病(気分障害)・パニック障害』を発症するリスクもでてきます。

現代の日本では『幸福になるため・失敗しないために努力するべき時期やライフイベント』として認識されやすいものとして、『高校や大学の入試・新卒時の就職活動・20~30代での結婚(出産)』などがありますが、こういったライフイベントと関連した努力は『何を実現したいのかの目標』が明確であるため、努力の期間や終わりが比較的見えやすいものだと言えます。

入試であれば希望する学校に進学するため、就職活動であれば志望する会社に就職するため、恋愛・結婚であれば好きな異性と付き合ったり結婚するためであり、『努力をする目的・期間』がはっきりしているので集中して取り組みやすく、初めに頑張って努力して後は少し楽ができるといったメリットも見えやすくなっています。学歴社会や終身雇用・年功序列が機能している社会では、初めに努力や苦労をして『区切り・節目の試験(関門)』を突破すれば、長期的な雇用・身分・所得が保証されやすいという『先憂後楽のメカニズム』が働いています。

これは古代中国の官吏採用試験である科挙に代表される、『文人主義的な努力(刻苦勉励)のエートス』です。現代日本においても、『入試の合格・難関資格の取得・大企業(官庁)への就職』などでは、初めに努力して資格(社員の身分)を手に入れれば、後は比較的安定した生活ができるという先憂後楽の努力観が持たれています。

そのため、一流大学の入学試験や大企業の採用試験では、短期的に大人数の人の努力や意欲が集中しやすくなり、その競争倍率(参入障壁)は高くなりますが、『努力する期間・目的』がはっきりしているので、合格・不合格(採用・不採用)の結果がでれば、とりあえずその努力を同じ強度で続ける必要性は弱くなります。もちろん大学や会社に入ってからも、新しい知識・技術を学んで経験を積み重ねるための努力は続けなければならないし、研究や仕事、人間関係にまつわるストレスや悩みも生まれてきますが、『目的的・集中的な努力』は入試・就活よりも低くなる人のほうが多いのです。

知識労働や専門職など仕事の種類によっては、帰宅後にもハードな勉強やトレーニングをし続けなければならないものもありますが、勤務時間内に決められた仕事(作業・接客)をこなすようなオンとオフを切り替えやすい仕事ならば、勤務時間が終わった後はリラックスして特別な勉強や努力をしなくても良いことが多くなります。進学(学歴)にせよ就職(新卒時の就活)にせよ、『努力・勉強する時期の範囲』が概ね決まっているので、そこで結果を出して『習慣的なワークスタイル・安定的な収入経路(雇用と給与)』を確立すれば、後はそれほどもう勉強や努力を無理をしてまでしなくなるという事(仕事に必要な最低限度の資格取得や技術向上に留めるという事)は珍しいことではありません。

無理や我慢(忍耐)をしながらする種類の努力については、『努力をしなければならない期間』『努力した結果として得たいもの(努力の目的)』がある程度明確になっていないと、身体的な疲れが溜まりすぎたり精神的なストレスの悪影響がでやすくなったりしてしまいます。その意味では、ライフイベントや雇用・結婚(出産可能年齢)の制度設計と合わせた『進学・新卒時の就職・結婚出産』というのは、それなりに自分の望む結果に近いものが得られれば、満足感を得やすいライフイベントになってきます。

恋愛や結婚、出産といった異性関係を作っていくプロセスは、お互いに惹かれ合う自然発展的なプロセスも多いので、必ずしも好きな相手を求める努力が必要とは限りませんが、一般的に良好な恋愛や結婚生活を続けていくためには、相手の心情・立場・負担を思いやるという意味での努力は必要になるでしょう。お互いに自分のやりたいようにやってもそれを気にしない、相互の自由や不干渉を最大限に尊重するといったカップルもいないではないですが、現実的な経済生活や子どもの扶養義務などを共有するようになると、それぞれが自由勝手なライフスタイルを楽しんで干渉しないといった生き方は難しくなります。

しかし、『努力の継続によるストレス・燃え尽き感』が問題になってきやすいのは、就職や仕事をした後の『成功・向上・自己肯定(自己承認)』を目指すタイプの努力であり、自己アイデンティティの拡散や自己評価の上がり下がりと関係することでエンドレスな努力・苦労につながりやすいのです。自分磨きやスキルアップ、成功願望、キャリアデザインなどによる『向上心・上昇志向・自己承認の努力』は、要求水準の設定が現実離れしたレベルになってしまったり、何を目的にしているのかが曖昧になったりすると、『エンドレスな満足感・達成感の乏しい努力』になり兼ねない危うさを孕んでいます。

人間がさまざまな努力や苦労をする目的は『広義の幸福追求・目的達成』としてまとめて考えることができますが、努力の目的は大きく『何かを得るための実際的・具体的(客観的)な目的』『自己承認を高めるためのアイデンティティ的・抽象的(主観的)な目的』とに分けることができます。

前者の『実際的・具体的な目的』は、入試や資格試験、就職・転職、現実的な所得水準、恋愛・結婚生活(育児)などが該当しますが、これらの努力目標は何のために努力しなければいけないのかが明確なので、『要求水準』が適切なレベルならば努力の方向性や現状の改善点についてあれこれ迷うことは少なくなります。

後者の『アイデンティティ的・抽象的な目的』は、今の自分自身の状態や役割、実績に満足できないという動機づけを持ちますが、『自分の価値・人生の意味・成功のレベルの引き上げ』という抽象的な自己アイデンティティの強化が目的になるので、人並みの生活水準や人間関係の幸せでは満足することが難しくなり、更に何のために努力しているのかも判然としなくなりやすい特徴を持ちます。人並みの生活水準や普通の幸せで満足しづらいという心理状態は、『他者との差異・優劣』によって自己価値を確認したいという欲求を強めますので、『アイデンティティ的・抽象的な目的』を持つ努力は、自分よりも幸福そうに見える人や成功している人と自分を比較して劣等感を感じやすいという問題もあります。

こういう風にそれぞれの努力目的の特徴を分類すると、『実際的・具体的な目的を持つ努力』のほうが『アイデンティティ的・抽象的な目的を持つ努力』よりも、副作用が少なくてメリットが大きいように感じられますが、人生の幸福感や味わいの深さを実感するという意味では、自己アイデンティティや自己価値感を強化するような努力も重要になることはあります。また、『何か努力や活動(勉強)をしていなければならない』という義務感や焦燥感の動機づけには、“勤勉・努力”を尊んで“怠惰・無為”を蔑む近代産業社会の労働道徳も影響しており、ストイックにこつこつと努力や改善を続けることによって、労働者個人としての人生がより発展的・上昇的に開かれていくという世界観は、無意識的にせよ(実際に何かに取り組んでいるかどうかは別としても)かなりの部分の人に共有されているように感じます。

要求水準が適切で実現可能なものであれば、『実際的・具体的な目的を持つ努力』のステップバイステップの繰り返しによって、一定の幸福感や充実感のある人生を送りやすくなります。しかし、要求水準が高くなりすぎたり自分の目指すべき生き方が分からなくなったりすると、『方向性を見失った過剰な努力(成果のでない努力)』によって自分を磨り減らして、自己評価を著しく下げてしまう恐れが出てきます。






■関連URI
資本主義(自由主義経済)と社会主義における労働観と『努力-結果』の因果応報を求める規範意識

近代産業社会の労働道徳と『脱俗の聖域・無欲の聖性』を生み出した前近代的な宗教(仏教)の禁欲道徳

“人の可能性・話す意欲・リソース”を引き出す解決志向カウンセリングのコミュニケーションスキル

■書籍紹介



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた

この記事へのトラックバック