日本経済の産業構造の転換と新卒者の就職活動の過熱化:採用面接では応募者の何が評価されるのか?

前回の記事の続きになるが、日本で雇用・仕事の量が減少していて、一つずつの雇用の質(福利厚生・給与水準)も低下傾向にある原因は、“製造業・汎用業種・従来産業”から“サービス業・専門業種・先端産業”への『産業構造の転換』であり、企業の国際競争の激化とコスト削減の経営戦略が産業構造の転換を否応無しに進めている。 国内の生産コストが高くな…
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新卒者の就職内定率の落ち込みと“新卒採用・就職氷河期”の問題:日本の雇用はなぜ回復しないのか?

大卒・高卒の新卒者の就職活動(就活)が難航していて、来春卒業予定者の内定率が2000年代初頭の『就職氷河期』よりも低くなる恐れが出ているという。大学生の10月1日時点の就職内定率は57.6%で前年同期に比べ4.9ポイント減少となり過去最悪になる可能性があるようだが、最終的には90%前後の数値に落ち着くことになるのだろう。 10人に…
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植木理恵『ウツになりたいという病』の書評3:認知の歪みの改善とうつになりにくい物事の考え方

社会の標準的な価値観や常識と距離を置いて、『自分なりの人生観・価値観』を持つことができれば精神的な葛藤や焦燥(苦悩)を緩和できるとは思いますが、現実には『社会的な価値観と最低限の生活水準がセットになりやすい』という圧力もあるので、なかなか現代人が自由な価値観を持ってそれに従ったライフスタイルを作り上げるというのは難しいとも思います。 …
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植木理恵『ウツになりたいという病』の書評2:現代の競争社会の圧力とセリグマンの学習性無力感によるうつ

『第一章 ウツ気分を大量生産する社会の秘密』では、どうして現代の日本でうつ病(ウツ気分)や自殺者が増加しているのかという社会的要因を考察しているのですが、著者は現代の競争社会が生み出す学習性無力感をクローズアップしています。 アメリカの臨床心理学者マーティン・セリグマンがイヌの電流実験を通して提唱した『学習性無力感』というのは、自…
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植木理恵『ウツになりたいという病』の書評1:うつ病の未病としてのウツもどきとうつ概念の拡大

古典的なうつ病(気分障害)とは異なる症状や特徴を持つ『非定型うつ病(新型うつ病)』については、過去にこのブログでも何回か取り上げていますが、本書では“ウツもどき”というフレーズによって現代的なうつムーブメントを分析しています。 “ウツもどき”というのは、意図的にうつ病を自称する詐病的な『擬態うつ病』のことではなくて、非定型うつ病と…
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内田樹『日本辺境論』の書評3:“辺境性”を活用してきた日本と先行者(世界標準)との距離

戦前と戦後の日本の軍事外交や国際情勢の認識に共通する要素として、内田氏は『被害者意識(外国が攻撃してくるからこちらも反撃せざるを得ない)』を上げていますが、『追い詰められる前の段階』で自ら先手を打って状況を変えようとはしないというのは、日本の政治・外交や日本人の行動様式に見られやすい傾向性かもしれません。 現在の日本においても、外…
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内田樹『日本辺境論』の書評2:“理念・ビジョン”ではなく“他国との比較”で語られる日本

日本の政治家・知識人は日本がどのような国であるかということについて、『日本固有の主張・理念(ビジョン)・特徴』で語るのではなく『他国との比較(ランキング)』で語ることが多いというのですが、他国との比較や先進的な文明文化との接近度を通じてしか自国の国家像(国家戦略)を描けないというのも、『日本の辺境性』の現れであると言えるのでしょう。 …
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内田樹『日本辺境論』の書評1:“中心―辺境(周縁)”の二元論から考察する日本文化論

『日本人とは何者なのか?日本文化とは何なのか?』という普遍的な問いに対して、“辺境性・周縁性の概念”を用いて答えようとしている本ですが、著者の内田氏が何度も『既に先賢・先人によって語りつくされたテーマではあるがそれを改めて日本論として整理し確認する』と述べているように、日本の思想史や民俗学に触れたことのある人であれば何処かで読んだ理論も…
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デズモンド・モリスが説く現代の社会的序列と地位ディスプレイ:継承者・実力者・文化人の分類

文明社会を構築する政治権力(法権力)も倫理規範も存在しなかった原始的社会では、明示的な腕力(暴力)とその示威的アピールによって『社会的優劣・集団内の序列』が規定されていたと推測される。 しかし、『暴力』が法律と倫理、人権によって禁止された近代社会では、暴力的に威圧する人物や腕力で他者を支配(抑圧)しようとする者は、道徳的な軽蔑や人…
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五木寛之『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』の書評4:加藤清正の本妙寺と大分県国東半島の羅漢寺

第97番 本妙寺(ほんみょうじ) 熊本県は豊臣秀吉の家臣の猛将であった加藤清正が統治した時代があり、清正は朝鮮出兵・虎退治の武勇だけでなく難攻不落の熊本城を建設したことでも知られる。『隈本』という元々の地名を畏れ(おそれ)につながるということで、『熊本』という文字に改めたのも加藤清正と言われる。 仏教と加藤清正のつながりは『…
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五木寛之『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』の書評3:空海信仰の善通寺・長崎の唐寺の興福寺

第93番 善通寺(ぜんつうじ) 讃岐うどんで知られる香川県にある善通寺は、真言密教の祖である弘法大師・空海ゆかりの寺(空海が建立した寺)であり、四国八十八箇所巡りの第75番札所である。四国八十八箇所の寺院を巡る経路のことを『遍路』といい、悲願成就や苦悩解消、自己探求のために遍路を歩いて巡礼の旅をする者を『お遍路さん』という。いつも…
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五木寛之『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』の書評2:太宰府の古刹の観世音寺と久留米の梅林寺

『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』では、四国・九州地方にある10宇の寺院が選ばれているが、前半の5つの寺院の来歴・地理・特徴、その感想を簡単に書き留めておこうと思う。 第91番 観世音寺(かんぜおんじ) 福岡県の太宰府市にある太宰府天満宮は、朝廷の藤原時平の讒言によって左遷された右大臣・菅原道真公を祀った『学問の神様』として有…
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五木寛之『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』の書評1:なぜ人は寺院を巡るのか?信仰と観光の癒し

日本全国にある百の寺を巡礼するシリーズの最終巻であるが、自分自身が九州に在住しているということもあって『四国・九州篇』から手に取ってみた。日本における仏教の歴史は朝鮮半島にあった百済の聖明王が、欽明天皇に仏像・経典を贈った538年(552年)にまで遡り、中世期には鎌倉仏教の登場で仏教の信仰と勢力は大衆にまで広がった。 日本仏教が日…
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すべての民間暴力を否定する近代国家と理由のある暴力を肯定する人間心理:闘争‐逃走反応の考察

法治主義や人権思想、教育活動が普及した現代の先進国では、他者と『物理的な暴力(実力)』で優劣を競い合って戦う場面はほとんど無くなっているが、十分な社会化・道徳化が行われていない幼児期から思春期に掛けては、感情・プライドの対立から殴り合いの喧嘩が起こったり、少年グループの間で自分たちのほうが強いという暴力(腕力)をほのめかす示威的行為が行…
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