S.フロイトの『人はなぜ戦争をするのか』の論考と第一次世界大戦の経験1:個人-共同体の暴力
精神分析の創始者であるジークムント・フロイト(Sigmund Freud, 1856-1939)は、相対性理論で知られる物理学者アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein, 1879-1955)との1932年の往復書簡で、人間が戦争を起こす原因と戦争の解決法について考察している。
『人はなぜ戦争をするのか(光文社古典新訳文庫)』では、S.フロイトは後期の自我構造論と社会契約論的な権利概念をベースにしながら、人間集団の間で戦争が発生する原因を分析している。
『戦争の時代的な起源』がいつなのかは当然ながら不明だが、『動物の自然選択(自然淘汰)』とは異なる他者や領土、財物、資源を支配する目的を持った“戦争”というのは、自我(精神構造)を持った人間に特有の集団闘争の形態である。
紀元前の昔から、古代ギリシア・ローマ文明や古代中国の春秋戦国時代、古代インドのヴェーダ時代において『名前の残る戦争・周辺国や先住民を征服する戦争』が人間によって繰り返されてきたが、世界四大文明の歴史以前にも類人猿から分岐した人類の祖先は無数の『名も無き戦争』を繰り返してきたと推測される。
戦争がいつから起こるようになったのかという時代的な起源は不明であるが、有史以前の戦争の現実的かつ心理的な原因は『動物的な生存競争』にあるということは合理的推測である。口伝・文字による記録のない石器時代において、人類のある集団とある集団が戦争でぶつかり合う原因の典型は、『食料資源・居住地を巡る争い』であったと思われる。
元々は少人数から成る集団・部族がそれぞれの生き残りを賭けて戦っていたと推測されるが、民族や国家、宗教(思想)、領土(国境)、政治システムが複雑化していくことによって『戦争の原因』も、過去の歴史の記憶や民族的な一体感、イデオロギー(思想)の共有といった“観念的側面”を強めていった。
少数の個人が集まって素朴な共同生活を営むだけの集団は、共通の文化や宗教、習慣を持つ『部族集団』として規模を拡大していき、規模が大きくなることによって戦争の災厄・被害も大きくなってくる。更に、人間集団が歴史と宗教、民族意識を共有して、高度な政治機構を持つ文明社会を構築するようになると、『強力な民族集団・国家の政治体制』が形成されることになり、防衛力の弱い小規模な集団は次々と国家(帝国)に吸収されていくことになった。
そして、技術や武器、戦術、知識、民族意識が発達し社会的階級(身分制度)が分化していくに従って、『文明・軍隊・文化・民族意識を持つ集団』がぶつかり合う戦争は、より複雑で大規模なものになっていく。フランス革命後のヨーロッパ世界に、愛国心(民族的統合)を持つ市民に支えられた強力な近代的国民国家が成立した。20世紀には『大量破壊兵器・戦闘機・戦車』を使用する凄惨な総力戦と世界大戦を経験して、『戦争の被害・脅威』は近代以前とは比べ物にならないくらい甚大なものとなった。
1932年に書かれたS.フロイトの『人はなぜ戦争をするのか』の書簡も、1914年のサラエヴォ事件によって勃発した第一次世界大戦の悲惨な結末(ヴェルサイユ体制によるドイツの没落と分裂)を前提に置いて書かれたものであり、第一次世界大戦は『君主政治(王朝政治)』という旧来的な世界秩序と王家の安定を崩壊させる猛威を振るったのである。
連合国主導の『ヴェルサイユ体制』が確立した第一次世界大戦によって、オーストリア=ハンガリー二重帝国のハプスブルク家、ドイツ帝国のホーエンツォレルン家、オスマントルコ帝国のオスマン家、帝政ロシアのロマノフ家が相次いで没落の一途を辿り、それぞれの帝国は民族の分離独立を招いたり君主のいない共和政に移行したりした。
個人の武芸の鍛錬や敵を恐れぬ勇気、伝統的な兵法などは、機械的な銃弾の発射によって大人数を短時間で殺傷できる『近代的な兵器』の前で無力化した。近代以降の戦争からは『個人の武勇のロマンティシズム』が姿を消すことになり、古代・中世の戦争に内在していた『共同体の英雄幻想・非日常的なハレとしての開放感』の多くをスポイルしてしまった。
国家が科学技術と近代兵器を駆使して、一般国民を大量動員して戦った総力戦は『戦死の意味・戦争の是非・平和の希求』を改めて各国に突きつけることになり、第二次世界大戦以降は核抑止力と冷戦構造の影響もあって『先進国の国家間戦争』は鳴りを潜めている。
S.フロイトは『戦争の根本的な原因』を考察するに当たって、トマス・ホッブズやジョン・ロック、ジャン・ジャック・ルソーらと同様に、政治権力(政府)が社会契約で形成される以前の『自然状態(原初状態)』を想定して、権力の歴史的起源を『暴力(ゲバルト)』に求めている。
道徳規範が極めて弱い原始的な時代の段階では、自己と他者との間の『利害対立』を解決する有効な手段として物理的暴力があり、腕力の強い者が勝者となってモノ(食糧)や土地、異性を占有したり、他者を殺害して抵抗できないようにしたと考えられる。バラバラの個人が自衛権を持つ自然状態では、個人の一方的で理不尽な暴力があっても、万人闘争の勝敗に対して『制裁を与える政治権力・法権力』が存在しないので、腕力の弱い個人は腕力の強い個人に殺害されるか服従するかしか選択肢が無いということになる。
S.フロイトは『人はなぜ戦争をするのか』の書簡で権力の本質としてある『暴力・威圧による強制性』を指摘したが、類人猿から進化したばかりの数百万年前の原初の人類の世界では、『他者を従わせる権力』は限りなく『個人の暴力』に近いものだったと推測される。
社会共同体(仲間集団)の法規範・協働が存在せず、個人の超自我(良心)の精神機能が発達する以前の原始的世界を仮定すると、他者に自分の要求や欲望を押し付ける手段として暴力が用いられ、理不尽な暴力を振るう個人を抑制できる仕組みもまた『暴力による抵抗』しか無かった。
現代では法律に基づく国家権力の行使としての暴力(逮捕・刑罰・戦争)以外は『犯罪』であるが、法的制裁を恐れない好戦的な素振りを見せる反社会的勢力・無法者が一般に煙たがられ恐れられるように、他者に要求を押し付けたり支配したりする手段として『暴力』が全く無効というわけではない。
実際に手を出さなくても、大声で恫喝・威圧を加える個人というのは厄介な存在であり、進んでそういった相手と係わり合いになりたい人もまずいない。大多数の人が教育を受けて社会化され、『非暴力的な価値観・対話重視の信念』を持っている現代の文明社会では、かえって『暴力的な個人の異質性』が強まりやすい。好戦的・非常識な相手と喧嘩して怪我をしたり自分が事情聴取を受けたりしてもバカらしいということで、(暴力的な個人は道徳的・社会的・対人的に低く評価されるとしても)個人の暴力に対して公権力以外が対処することが極めて困難になっている。
公権力に介在する余地を与えずに行使される突然の違法な暴力(拉致監禁・暴行・傷害など)、法律や道徳による制止が効かない頭に血が上りやすい暴力的な個人というのは、現代においても恐怖あるいは軽蔑の対象であるが、政治権力が機能する法治国家においても『暴力犯罪(不条理な被害損失)』を撲滅することは不可能に近い。
■関連URI
『国家と戦争・権力と自由・集団と個人』の歴史的推移とトマス・ホッブズのリヴァイアサンによる政治秩序
戦争を巡る価値観と原始的な脳・理性的な脳1:大脳辺縁系の情動判断と大脳新皮質の学習の影響
“歴史の終焉・共同体の衰退”を予感させる近代社会の閉塞感と自由の原理を使いこなす難しさ
大英帝国のコーヒーハウス文化の衰退と国民各層に普及した“紅茶文化”:紅茶の国イギリスの近代化
■書籍紹介
『人はなぜ戦争をするのか(光文社古典新訳文庫)』では、S.フロイトは後期の自我構造論と社会契約論的な権利概念をベースにしながら、人間集団の間で戦争が発生する原因を分析している。
『戦争の時代的な起源』がいつなのかは当然ながら不明だが、『動物の自然選択(自然淘汰)』とは異なる他者や領土、財物、資源を支配する目的を持った“戦争”というのは、自我(精神構造)を持った人間に特有の集団闘争の形態である。
紀元前の昔から、古代ギリシア・ローマ文明や古代中国の春秋戦国時代、古代インドのヴェーダ時代において『名前の残る戦争・周辺国や先住民を征服する戦争』が人間によって繰り返されてきたが、世界四大文明の歴史以前にも類人猿から分岐した人類の祖先は無数の『名も無き戦争』を繰り返してきたと推測される。
戦争がいつから起こるようになったのかという時代的な起源は不明であるが、有史以前の戦争の現実的かつ心理的な原因は『動物的な生存競争』にあるということは合理的推測である。口伝・文字による記録のない石器時代において、人類のある集団とある集団が戦争でぶつかり合う原因の典型は、『食料資源・居住地を巡る争い』であったと思われる。
元々は少人数から成る集団・部族がそれぞれの生き残りを賭けて戦っていたと推測されるが、民族や国家、宗教(思想)、領土(国境)、政治システムが複雑化していくことによって『戦争の原因』も、過去の歴史の記憶や民族的な一体感、イデオロギー(思想)の共有といった“観念的側面”を強めていった。
少数の個人が集まって素朴な共同生活を営むだけの集団は、共通の文化や宗教、習慣を持つ『部族集団』として規模を拡大していき、規模が大きくなることによって戦争の災厄・被害も大きくなってくる。更に、人間集団が歴史と宗教、民族意識を共有して、高度な政治機構を持つ文明社会を構築するようになると、『強力な民族集団・国家の政治体制』が形成されることになり、防衛力の弱い小規模な集団は次々と国家(帝国)に吸収されていくことになった。
そして、技術や武器、戦術、知識、民族意識が発達し社会的階級(身分制度)が分化していくに従って、『文明・軍隊・文化・民族意識を持つ集団』がぶつかり合う戦争は、より複雑で大規模なものになっていく。フランス革命後のヨーロッパ世界に、愛国心(民族的統合)を持つ市民に支えられた強力な近代的国民国家が成立した。20世紀には『大量破壊兵器・戦闘機・戦車』を使用する凄惨な総力戦と世界大戦を経験して、『戦争の被害・脅威』は近代以前とは比べ物にならないくらい甚大なものとなった。
1932年に書かれたS.フロイトの『人はなぜ戦争をするのか』の書簡も、1914年のサラエヴォ事件によって勃発した第一次世界大戦の悲惨な結末(ヴェルサイユ体制によるドイツの没落と分裂)を前提に置いて書かれたものであり、第一次世界大戦は『君主政治(王朝政治)』という旧来的な世界秩序と王家の安定を崩壊させる猛威を振るったのである。
連合国主導の『ヴェルサイユ体制』が確立した第一次世界大戦によって、オーストリア=ハンガリー二重帝国のハプスブルク家、ドイツ帝国のホーエンツォレルン家、オスマントルコ帝国のオスマン家、帝政ロシアのロマノフ家が相次いで没落の一途を辿り、それぞれの帝国は民族の分離独立を招いたり君主のいない共和政に移行したりした。
個人の武芸の鍛錬や敵を恐れぬ勇気、伝統的な兵法などは、機械的な銃弾の発射によって大人数を短時間で殺傷できる『近代的な兵器』の前で無力化した。近代以降の戦争からは『個人の武勇のロマンティシズム』が姿を消すことになり、古代・中世の戦争に内在していた『共同体の英雄幻想・非日常的なハレとしての開放感』の多くをスポイルしてしまった。
国家が科学技術と近代兵器を駆使して、一般国民を大量動員して戦った総力戦は『戦死の意味・戦争の是非・平和の希求』を改めて各国に突きつけることになり、第二次世界大戦以降は核抑止力と冷戦構造の影響もあって『先進国の国家間戦争』は鳴りを潜めている。
S.フロイトは『戦争の根本的な原因』を考察するに当たって、トマス・ホッブズやジョン・ロック、ジャン・ジャック・ルソーらと同様に、政治権力(政府)が社会契約で形成される以前の『自然状態(原初状態)』を想定して、権力の歴史的起源を『暴力(ゲバルト)』に求めている。
道徳規範が極めて弱い原始的な時代の段階では、自己と他者との間の『利害対立』を解決する有効な手段として物理的暴力があり、腕力の強い者が勝者となってモノ(食糧)や土地、異性を占有したり、他者を殺害して抵抗できないようにしたと考えられる。バラバラの個人が自衛権を持つ自然状態では、個人の一方的で理不尽な暴力があっても、万人闘争の勝敗に対して『制裁を与える政治権力・法権力』が存在しないので、腕力の弱い個人は腕力の強い個人に殺害されるか服従するかしか選択肢が無いということになる。
S.フロイトは『人はなぜ戦争をするのか』の書簡で権力の本質としてある『暴力・威圧による強制性』を指摘したが、類人猿から進化したばかりの数百万年前の原初の人類の世界では、『他者を従わせる権力』は限りなく『個人の暴力』に近いものだったと推測される。
社会共同体(仲間集団)の法規範・協働が存在せず、個人の超自我(良心)の精神機能が発達する以前の原始的世界を仮定すると、他者に自分の要求や欲望を押し付ける手段として暴力が用いられ、理不尽な暴力を振るう個人を抑制できる仕組みもまた『暴力による抵抗』しか無かった。
現代では法律に基づく国家権力の行使としての暴力(逮捕・刑罰・戦争)以外は『犯罪』であるが、法的制裁を恐れない好戦的な素振りを見せる反社会的勢力・無法者が一般に煙たがられ恐れられるように、他者に要求を押し付けたり支配したりする手段として『暴力』が全く無効というわけではない。
実際に手を出さなくても、大声で恫喝・威圧を加える個人というのは厄介な存在であり、進んでそういった相手と係わり合いになりたい人もまずいない。大多数の人が教育を受けて社会化され、『非暴力的な価値観・対話重視の信念』を持っている現代の文明社会では、かえって『暴力的な個人の異質性』が強まりやすい。好戦的・非常識な相手と喧嘩して怪我をしたり自分が事情聴取を受けたりしてもバカらしいということで、(暴力的な個人は道徳的・社会的・対人的に低く評価されるとしても)個人の暴力に対して公権力以外が対処することが極めて困難になっている。
公権力に介在する余地を与えずに行使される突然の違法な暴力(拉致監禁・暴行・傷害など)、法律や道徳による制止が効かない頭に血が上りやすい暴力的な個人というのは、現代においても恐怖あるいは軽蔑の対象であるが、政治権力が機能する法治国家においても『暴力犯罪(不条理な被害損失)』を撲滅することは不可能に近い。
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『国家と戦争・権力と自由・集団と個人』の歴史的推移とトマス・ホッブズのリヴァイアサンによる政治秩序
戦争を巡る価値観と原始的な脳・理性的な脳1:大脳辺縁系の情動判断と大脳新皮質の学習の影響
“歴史の終焉・共同体の衰退”を予感させる近代社会の閉塞感と自由の原理を使いこなす難しさ
大英帝国のコーヒーハウス文化の衰退と国民各層に普及した“紅茶文化”:紅茶の国イギリスの近代化
■書籍紹介
人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス (光文社古典新訳文庫)
光文社
フロイト
ユーザレビュー:
アインシュタインとの ...
かなりネガティブな時 ...
精神の解明。「生と死 ...

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フロイト
ユーザレビュー:
アインシュタインとの ...
かなりネガティブな時 ...
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