大阪市の二児放置事件とネグレクトを誘発する性格形成・環境要因:母親アイデンティティと児童福祉の問題

前回の記事の続きになるが子どもを養育するための十分な収入さえあれば子育てができるはずだから、母子家庭や貧困家庭への経済支援を強化することが大切だというのは重要な指摘ではある。だが、『児童虐待・ネグレクト』は経済的困窮だけで発生する問題ではなく、経済的困窮は人格構造や精神発達の問題に続くかたちで虐待のトリガーとなる二次的な要因としての側面もある。

お金があれば解決する育児・経済生活・手間(時間)の問題は確かに数多くあるが、そこに持続的な親子関係を育んで子どもの成長を支援しようという『親としてのアイデンティティ』が伴っていなければ、給付したお金は親自身の欲求や必要のために消費されてしまうだけになり兼ねない。大阪市のネグレクトでも、母親は嫌だったという風俗業で苦労して稼いだお金を、育児以外の事柄に費やさざるを得ない精神状態にあったが、『子どもと一緒の生活』を再建しようとする前向きな姿勢や行動力には乏しく、子育てに必要な児童福祉(子育て支援の制度)の知識も欠けていた。

23歳の母親は自分自身も離婚した父親の元で育てられているが、実家が遺棄されたマンションと同じく『ゴミ屋敷』の状態になっており、児童期~思春期にかけてネグレクトに近い生活状況にあったと伝えられている。親が離婚する前の家庭で、23歳の女性がどういった親子関係や家庭生活を経験してきたのかは分からないが、『両親からの持続的な愛情・保護』を受け取りにくい成育環境にあり、中学生時代は非行行為・交友関係などで荒れていた時期もあったようだ。

親の育児行動や親子関係から『親として生きるアイデンティティのモデル』を得られないことが、『ネグレクトの世代間連鎖』につながる負の要因になることがある。好ましくない親の姿を『反面教師』として自分の育児・家庭生活を見直すこともできるが、その為には一定以上の判断能力や責任意識の高まりが必要になってくる。この23歳の母親も『子どもへの自然な保護欲求』に対応する『親としての生き方・子どもとの向き合い方』を適切に学び取れていなかった可能性があり、自分がネグレクトされた経験によって『子どもとの関わりあい・世話の頻度』に対する間違った認識が生まれたのかもしれない。

母親(父親)としてのアイデンティティを確立していくというのは、『自分がもっと愛されたい・自分のために生きていきたいという自己愛的なスタンス』をある程度まで断念(放棄)していくということに等しく、『子どものために自分の時間・資金・労力を割いて生きるという対象愛的なスタンス』に転換することでもある。

『愛される自己・守られる自己』という受動的な自己アイデンティティだけでは継続的に子どもに関心を持って育児をしていくことは難しい。容疑者がホストクラブに通っていたということからも、『子どもを愛して守ろうとする自己』よりも『自分が愛されて大切にされたい自己』のほうが強まっていたと推測され、それは過去のネグレクトや人生経験により、『自己愛から対象愛への発達過程』が停滞していたことを示唆している。

『愛する自己・守る自己』という能動的な自己アイデンティティを確立して、子どものために生きる苦労や喜びに適応していくためには、本人の考え方や意志の強さだけでは十分ではなく、家族や周囲の人たち、社会制度も母親が育児をしやすくなる支援を惜しむべきではない。特に現代では、祖父母のいない核家族やシングルマザーが増えており、『子育ての負担・不安などのストレス』が母親一人の手にかかりやすくなっているので、児童福祉や育児支援制度の充実とその情報の普及も不可欠である。できれば地域社会でも子どもを育てている母親への関心を持って支援していければ良いが、現在では『他人の家庭・育児への干渉』を嫌う家や母親も多いので、生活状況・育児環境が悪化していても直接的な支援やお節介は難しいかもしれない。

大阪市西区の事件で、部屋に閉じ込められた二人の子どもが亡くなるという『最悪の結果』を避けるために母親はどうすれば良かったのだろうか。最も現実的な対処としては、母親自身が『現在の自分に子どもの生命と健康を守って育てていくだけの能力・経済状態・精神の安定がないこと』を認めてしまうことが考えられる。その上で、生活再建や就業までに必要な親族の援助や行政の制度的な支援を受けたり、子どもの児童養護施設への預け入れを検討したりすることで、子どもをネグレクトによって死なせてしまう最悪の結果は回避することが出来ただろう。

行政は児童養護施設で一定期間子どもを預かってくれるショートステイなどのサービスも提供しており、自分だけでは子どもの安全や生命を十分に守れない(このままでは虐待やネグレクトをしてしまう可能性が少なからずある)と判断できる時には、役所の児童福祉課・母子保健課や児童相談所にとりあえずは相談してみることも必要である。大阪市の事件でも、母親にこういった児童福祉制度や育児支援サービスに関する関心・知識や、それらを利用して最悪の事態を防ごうとする意識があれば、子どもを施設に預けることになったとしても子どもの死亡にまではなっていなかったのではないだろうか。

現代の日本の雇用情勢や社会制度の中では、職業的に自立していて一定のキャリアがある女性であっても、『母親ひとりだけ』で子どもを育てていくのは難しいことであり、仕事(収入)や精神状態が不安定な母親が、誰の力も借りず行政の支援も受けずに、子どもの預け先(保育施設)もないまま、育児をすることは不可能なのである。シングルマザーが昼間に仕事をするにしても夜間に仕事をするにしても、『自分がいない時間帯』には子ども(乳幼児)の面倒を見てくれる大人か子どもを預けられる施設が必要であり、『自分が仕事でいない10時間程度の時間は子どもを部屋に閉じ込めておけばいい(出られないようにドアを封鎖しておけばいい)』という発想はそれ自体が虐待的発想としての側面が強い。

働く女性が一人で子どもを育てようとすれば、『自分がいない時間帯』に自分に代わって子どもの面倒を見てくれたり遊び相手になったりしてくれる大人・保育所が必要であり、そういった子どもの面倒を見てくれる環境・制度・人間関係がなければ、そもそも働くことが不可能だという考え方をすべきだ。小学生中学年以上くらいの年齢になれば、一人で半日程度の留守番をさせてもまず大丈夫だとは思うが、0~6歳未満の認識力・判断力の発達レベルではまず不可能であり、6歳~10歳未満でも火の扱いや熱中症、突発的な事故などに対する不安は依然として残る。

2人の子どもがネグレクトの虐待を受けている可能性があることは、かなり以前から近隣住民に認識されており、児童相談所に3回も通報されていたにも関わらず、子どもの生命を救う必要な訪問対応ができなかったことは悔やまれる。児童相談所への通報が役立たなかった理由としては、『通報後に即時に職員が訪問する態勢が整っていないこと』と『法的に立入り調査の権限があってもそれを行使しづらいこと』が考えられる。

子どもが正に今、虐待を受けていたり長時間の放置をされたりしている状況において、児童相談所への通報から10時間以上も経って訪問するようでは時既に遅しということになりやすいし、時間的な遅れに加えて更に親・子ども双方との面会(安全確認)もできていないというのは心もとない児童保護の体制である。

子どもが虐待やネグレクトを受けている可能性がある程度高く、親が外部からの呼び出し(電話・訪問)に全く応じないという状況であれば、緊急対応的に警察・職員が連携して『立入り調査』に踏み切っても良いのではないかと思う。

深夜・早朝の時間帯に子どもの大声の悲鳴や長時間の哀願・泣き喚きが続いているようであれば、通報を受けた警察か職員が即座に自宅を訪問して安全確認をするという形態が望ましいし、結果として親が虐待で容疑者になるリスクを減らすことにもつながる。手紙をポストに入れて注意を促す場合にも、親から児童相談所に折り返しの連絡をさせる文面を入れておき、育児で何か困っていること(子どもの預け場所がない・子どもに暴力を振るってしまうなど)があれば力になること、利用できる育児支援サービスもあるので気軽に相談して欲しいことを併せて伝えてみてはどうかと思う。










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