大阪市の二児放置事件と持続的な育児行動を支える要因:判断能力の未熟と現実逃避の自己防衛

大阪市西区のマンションで置き去りにされた幼児2人の遺体が見つかった事件で、23歳の母親が死体遺棄容疑で逮捕された。3歳と1歳の2人の乳幼児を長期間にわたって密室に放置し死亡させたという極端な『ネグレクト(育児放棄)』に、メディアやネットでは当然に厳しい非難・罵倒の声が殺到したが、母親への道徳的・人格的な非難とは別に、虐待の最悪の結末(子どもの死)を回避するために親や行政、地域社会(近隣住民)はどうすれば良いのかを考えていかなければならない。

母親がネグレクトをした理由は、本人の供述によると『自分の時間が欲しかった・子育てをする自信がなくなった・子どもが邪魔になった・ホスト遊びに熱中していた』などの自己中心的なものだったが、大局的には『人格・判断能力の未成熟さ』によって現実逃避の度合いが強まったと見ることができる。容疑者がネグレクトをするようになった契機の一つは『元夫との離婚・大阪への単身での転居』と見られるが、転居した当初までは育児のやる気があったものの、風俗店に転職してからは仕事のストレスが強まって育児への意欲・関心が薄れてきたようである。

結婚していた時代のブログには、『明るい家庭を築く意欲・子どもを授かった喜び(育児への前向きな姿勢)』なども綴られていたというが、実際の結婚生活や夫婦関係がどのようなもので何が原因で離婚に至ったのかの経緯はよく分からない。いずれにしても『安定した定職のない母親一人だけで育児をしなければならない環境』が、本人の性格的問題や判断能力の未熟も合わせて、児童虐待に至る原因の一つにはなっていたのではないかと思う。

子どもを産めば誰もが『母親としての責務』を果たせるわけではなく、世間で支持される『母性神話』が説くような自然な女性の本能としての『母性』が目覚めるわけではない。母性神話を信じている人からすれば、母親が自分の子の育児に対して『自己犠牲を厭わない献身・子どもを最優先にする生き方』ができることは当たり前のこととして受け取れてしまう。

そして、献身的な育児や子どもの監護ができない母親(女性)は、普通ではない冷淡さや幼児的な自己中心性を持った女性として差別的に取り扱われ、『特殊な事例』として一般の育児や母親の心理のフレームワークでは言及されることが少なくなる。

しかし、子どもの幸福と健康を願う『母性』や子どもの心身の健康・成長を最優先にして生きる『養育態度(育児姿勢)』は、生得的な本能・素質だけによって自然に開花するという性質のものではない。

母性的な養育態度や母親としてのアイデンティティは、『過去の成育歴(自分の親との関わり合い)』『メディアなどの育児にまつわる情報』『現在の生活環境・交友関係・経済状況』などによって様々な影響を受ける。だが、幼少期~青年期にかけて親子関係に特別な問題がなければ、『子どもの最低限度の監護・生命と安全の保護』についての責任感や母親としてのアイデンティティが形成されていきやすくなる。

成育歴に多少の問題があったとしても、その後の人生経験や信頼できる他者との関わりによって母親としての責任意識を高めていけることも多いので、子どもを死に至らしめるほどのネグレクトや虐待に発展するケースは全体的には稀と言える。成育歴や生活環境に問題があり、性格構造や価値判断に大きな歪み(幼児性・依存性・衝動性)が生じていれば、児童虐待・ネグレクトのリスクはどうしても高くなってしまうが、子どもへの愛情が不足していても子どもが死んでしまうほどの虐待事案までには発展しにくい。

子どもを愛して守ろうという感覚は、弱くて小さいものを守る義務感にも近く、幼少期からの成育歴の過程では男女を問わず、『小さな赤ちゃん・動物への保護欲求』を感じるものである。『自分がいなければこの生命は生きていけない・自分が世話をし続けて上げなければならない』というのが、『母性』が発達する精神構造の基盤であり、これは『育てる親―育てられる子(乳幼児)のフレームワーク』における責任感の普遍性とも相関している。

血のつながった自分の赤ちゃんだから特別に可愛くて守ってあげたいという母性的な感情は強まりやすくなるが、『実際の世話・面倒』を継続的にして上げられるか否かを別とすれば、自分の子ではなくても無力な赤ちゃんに対しては保護的欲求や責任感が刺激されやすくなる。『赤ちゃんのような無力な弱い存在』が放置されて目の前にあれば、自分と何の関係もない赤ちゃんであってもとりあえずその場で保護して、警察・児童相談所などに通報するというのが人の自然な感情・責任意識の働きである。

大阪市西区の悲惨な乳幼児のネグレクトでは、母親が母親としてのアイデンティティ(責任意識)を十分に確立しておらず、上記した『自然な保護欲求の発露(出産時の喜び)』『継続的な育児行動と養育責任の自覚』にまで結び付けられなかったのが不幸であったように思う。母親は『ご飯も水も与えなければ小さな子どもが生きていけないのは分かっていた』と供述しているように、知的レベルではネグレクトが悪い行為であることを理解していたが、実際の判断と行動がそれについていかなかった。

これは子どもに対する自然な保護欲求は芽生えていたが、『性格構造の歪み(忍耐力・問題解決力の不足)』『状況判断の誤り(放置しておけば一時的に面倒を忘れられる)』によって継続的な育児行動にまでつなげられず、子どもを投げ出して現実逃避してしまった状況を物語っている。

23歳の母親が、子どもが産まれた時に感じた感動や育児へのやる気が“偽者”であったとは思わないが、『子どもを継続的に育てるための人格構造・性格基盤』が十分に確立していなかったために、『結婚生活での夫の支援』を失った離婚後に、一気に子どもに対する養育責任や育児の意欲が続かなくなってしまったのではないだろうか。










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