高齢者の所在不明問題と生存確認方法の曖昧さ:“家族・地域・福祉”で高齢者の生活や命をどう見守るか

100歳以上の高齢者で所在不明の人たちが全国で70名以上もいたというニュースが連日報道されているが、この問題は『公的年金の不正受給』『家族関係の希薄化(高齢の親・祖父母への無関心)』という二つの視点から考えることができる。

高齢の所在不明者(安否不明者)がどのくらいいるのかは『地域差』も大きく、県によっては宮城県のように673人全員の所在が確認できたところもあり、地域社会や家族(親族)のネットワークが従前のように機能している地域ほど所在不明者は出にくいように思える。東京都足立区でミイラ化した111歳男性が発見された事例では、その男性の老齢福祉年金を長期間にわたって家族が受給していたため、『公的年金の不正受給』が死亡届を出さない理由のひとつになっているようである。

同じく東京都の113歳女性が行方不明になっている事例でも、50年以上にわたって死去している夫の遺族給付金(現在の遺族共済年金)が支払われていたということで、年金不正受給が問題視されているが、この問題は親・祖父母の年金に頼って生活している世帯が一定数存在しているという『貧困・格差の問題』の置き換えでもあるだろう。

高齢者の死亡を隠蔽していなくても、『高齢者の年金所得』が世帯の主要な収入になっていると、その老親が死亡して年金支給が打ち切られた時に、その家族はたちまち生活が成り立たなくなり、子も既に高齢であるために生活保護に依拠するしか選択肢が無くなってくる。

この『老親の年金所得が家計の主な収入になってしまう問題』は、現役世代の20~40代でも『フリーター・非正規雇用・ニート・ひきこもりの人口』がかなりの数いることを考慮すれば、短期間で不正受給を指摘すれば解決するという類の問題ではないかもしれない。今後も引き続き『現在進行形の問題』として年金不正受給や無年金の対策を考えていく必要があり、根本的には無年金の高齢者を無くす『最低保障年金』のようなものを設立しないと解決は覚束ないように思える。

自己責任を貫徹させるという立場であっても、メディアで報道された所在不明者の子ども世代(70~80代以上)で年金が少ない人たち(職業履歴も乏しく子や孫もいない人たち)がまともな収入の得られる雇用を得られる可能性は低く、『身体的・認知的な衰退』によって仕事の負担に耐えられない人も多くなってくるだろう。また、年金不正受給が起こってくる根本的な制度上の欠陥は『行政サイドの本人確認の方法』が杜撰でいい加減なものであることが関係している。

多くの所在不明の高齢者たちは20年~30年以上も前に『突然家を出て行った・徘徊してどこに出かけたのか分からない』といった状態にあり、その家族・同居者の証言が真実で無かったとしても、『本人の面会による所在確認』を行っていれば未然に防げた問題でもある。行政の職員や民生委員、ケースワーカーなどが、高齢者本人と面会して所在確認は手間とコストがかかるが、『住民基本台帳・郵送される書類』だけで所在・生存の確認をすればどうしても死亡事例を見落としてしまう恐れが出てくる。

数千万人単位の全ての65歳以上の高齢者・年金受給者を、本人との面会で所在確認するのは時間的・コスト的に無理があるかもしれないが、80歳以上などの年齢の区切りを設けて数年間に1回くらいは『担当者による面会もしくは目視』によって、本人の生存と所在を確認する制度を設けたほうがいいかもしれない。

高齢になれば『認知症・寝たきり』になる人も当然に増えてくるので、判断能力がない本人と会っても仕方ないという考え方や『家族・同居者による代返』でも十分という風になりやすい傾向がある。だが、死亡届が申請主義である以上は、『最低限度の生存確認方法』として、数年に1回程度は直接的な面会・目視による確認を義務づけることが望ましいと思う。

介護保険や医療保険(後期高齢者医療保険)の利用状況というのも一つの目安にはなるが、高齢者の中には一定の割合で『病院嫌い・家族内での介護の希望』もあるので、その利用実績だけで生存の有無を断定することはできないかもしれない。

高齢者の所在不明問題のもう一つの視点は『親子関係・家族関係の希薄化(老親への関心低下)』ということであるが、核家族が増えて老親との同居を好まない世帯も多く、現状の家族関係では(特に都市部において)老親の生活圏は『病院・介護老人福祉施設(特養老人ホーム)・介護老人保健施設・有料老人ホーム』などになりやすい。また、家族構成員が少ない核家族では、子どもが自立すれば夫婦二人だけになるため、老親の世話や介護ができる物理的な労力・介護可能な環境がないことも多いだろう。

こういった医療・介護の施設に入所したまま死亡すれば、『死亡届』が戸籍法の規定通りに出されないケースというのはまずないわけだが、独り暮らしの老親と離れた地域で生活していたり、定期的な電話・手紙での連絡などをしていなければ、老親の生存・消息が分からなくなってしまう可能性も出てくる。

同居していた老親が突然家を出て行って戻ってこないまま、数十年間が経過したというケースは、常識的には有り得そうにないシチュエーションだと思う。普通は、認知症などで徘徊してもどこかで保護されて戻ってくるか、家出の後に死亡していても警察・行政から連絡が来ると思うのだが、居住地も定まらない状態で家出をした高齢者たちはどこに行ってしまったのだろうか。失踪届を出して家族が周囲を探して回っても見つからないのであれば仕方が無いケースではあるが、80代以上の高齢者が何の当てもなく突然失踪して、別の場所で生活基盤を立て直すというような事は余り無いのではないかと思う。

一般的に高齢者になるにつれて、『家族以外との人間関係』が失われていきやすいが、地域社会とのつながりが切れて家族親族との連絡も滞る中で、『高齢者との孤立化・社会環境からの疎外』が今後も深刻になっていきそうである。夫婦二人の核家族や自分ひとりの単身者が、高齢の親の世話や介護を十分にすることが困難な状況があり、地域社会のネットワークによる高齢者への関心も弱まっている中で、『高齢者の生き場所・生存確認』をどのような方法で担保していけるのか、あるいは高齢者福祉制度に依存するしかないのかといったことが問われているように思う。

また、家族だけに高齢者を背負い込ませると、外部の人間がプライバシー問題などで他の家庭に全く立ち入れなくなる『家庭の密室化・聖域化』が起こり、高齢者本人のアクセス可能性が低下して今回のような『高齢者の所在不明問題』が温存されることにもなる。『高齢者の家族』と『行政・医療・介護の支援サービス』が高齢者の余生や生存に対する負担を分担することも必要であり、高齢者のいる世帯を社会から孤立させずに『密室化の弊害(高齢者の生存・生活の実態が分からなくなる弊害)』を改善していかなければならないのではないだろうか。

プライバシー保護や本人の意向といった問題はあるが、自力で意志表明することが困難になったり寝たきりで外出できない状態になれば、ある程度は『高齢者のいる家庭との定期的なコミュニケーション』を維持していくべきではないかと思う。高齢でも本人がまだ元気であり、役所に直接出向いたり電話で必要な応答ができるのであれば、強制的な立ち入り調査のようなことは好ましくないが、『本人との接触手段』が全く無いような時には、行政の担当者が定期的に目視・面会できるような制度が求められてくる。











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■書籍紹介

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