ホメオパシーの効果の科学的根拠の否定。疑似科学や自然主義思想の何が問題と成り得るのか?

ホメオパシー(同種療法)の治療効果に科学的根拠はないというニュース報道が為されているが、従来、自然療法や代替療法、民間療法(健康食品)の多くはエビデンスベースドなものではなくプラセボ効果(偽薬効果)を主とする心理効果に期待する療法である。

ホメオパシーの『科学的な無効性』が日本学術会議によって強く主張されているのは、今年7月山口県で助産師が乳児に必須のビタミンKシロップ(血液凝固能・止血に作用するビタミン)を投与せず、ホメオパシー理論に依拠してレメディという砂糖玉を自己判断で処方し続けたため、乳児がビタミンK欠乏性頭蓋内出血によって死亡するという事故が起こったためです。この事故(事件)を受けて、助産師会は助産師に科学的根拠・医学的知識に基づく治療を実施するようにし、自己判断でホメオパシーを使わないように(新生児に対する一般医療を制限しないように)という内容の通達を出しています。


「ホメオパシー根拠がない」は世界の共通認識 学術会議副会長インタビュー(1)

私たちの判断の中心にあるのは、「科学的根拠がどれだけ明確か」ということ。その点では、ホメオパシーは「根拠がない」ということがはっきりしています。これは日本だけでなく、世界中の科学者の共通認識です。

彼らが治療効果があると称して使う「レメディー」とは、原料となる物質の濃度を10の60乗倍まで希釈した水を、砂糖玉にしみこませたものだそうです。そうだとすると、もとの物質はまず存在しないと言っていい。存在しない物質が何らかの作用を及ぼす、などということはあり得ないわけです。

さらに、「物質が存在しなくても、希釈した水が物質の記憶を持っている」という説明に至っては、まさに荒唐無稽と言わざるを得ません。空や海を常に巡回している水が、その時々の記憶を持つことなどあり得ないことは、少し考えればわかります。


ホメオパシーを科学的な理論や治療法として宣伝するのであれば、それは治験(二重盲検比較臨床試験)で統計的に実証できず、理論的にも作用機序の合理的説明ができないという意味で、『疑似科学・似非科学』に該当することになると思います。

ドイツの医師ハーネマンが考案したとされるホメオパシーは同種療法ともいわれるように、『同じ病気を引き起こすであろう原因物質をごく微量摂取すると、病気への抵抗力ができて自然治癒が促進される』という基本理論に基づいています。

一読すると医学的なワクチン療法(免疫応答反応の利用)の概念にも近いように見えるのですが、原因物質の希釈率が『10の60乗倍』という天文学的な数字であり、その数字が誇張であるとしても現実的にそこまで薄めることができないのは明らかです。何らかの特殊技術でそこまで薄められたとしても、大海に一滴の水溶液を垂らすみたいなもので改善効果はないでしょう。

ホメオパシーというプラセボ効果を主体とした自然療法・伝統療法を受ける自由はあると思いますし、それに特別な効果効能があると個人的に信じてレメディを摂取することで、軽度の症状や体調の不具合が自己暗示で改善する可能性も十分にあると思うのですが、反医学的な理論を強調し過ぎると弊害が強まります。ホメオパシーを含む自然志向の伝統療法に社会的・医学的な問題であるとすれば、『反医学的・反科学的な宣伝や主張』をすることであり、『ホメオパシーに医療同等以上の科学的効果(治療実績)がある』という間違った情報を広めるということでしょう。

個人が選好する自然療法の一つの選択肢として、ホメオパシーやマクロビオティック、断食療法、特殊な食餌療法などがあっても構わないとは思いますが、それは『通常の一般医療を受ける機会』を禁止したり制約したりするものであってはならないでしょう。科学的療法やエビデンスが確認されていないものを、科学的効果のある医療同等の療法であるとしたり、統計学的なエビデンスが確立していると偽ったりするのも好ましいことではありません。

そういった自然療法や伝統療法、宗教療法を指導するような立場の人であっても、『依頼者の体調・症状』がプラセボ効果や信念の心理効果で改善できないほどに悪化したのであれば、一般医療施設とも連携して医学的治療を受けさせるべきです。

本人に自己判断能力(情報収集能力)のない乳幼児~児童であれば、親の思想・信念を押し付ける前にまずは一般医療をきちんと受診させてから、同時並行的に自分が信じるそれらの科学的に説明のつかない療法(自然志向の療法など)も試すという基本姿勢を持つようにすれば『生命の深刻な危機』は回避できるのではないかと思います。

科学的エビデンスが確立していない各種の療法・思想や健康食品(サプリメント)などは、『一般医療の代替(一般医療を受けなくても大丈夫な治療法)』にまでは成り得ないことから、『代替療法(代替医療)』という名前も誤解を招きやすいものだと感じます。補助的療法というのが実際の位置づけに近いものであり、症状・苦痛に応じて必要性や緊急性があれば一般医療の受診をするという選択肢も確保しておく常識感覚が求められます。

その意味でも、自然療法の支持者が症状(体調)の悪化や苦痛の増加などを『一時的な好転反応(毒素の排出・体質改善の影響)』として片付けてしまう非科学的な説明のあり方は、必ずしも患者の利益にならないだけでなく時に深刻な健康リスクになってしまいます。薬を用いる現代医学を『対症療法』として位置づけ、自然療法・伝統療法を『根本療法』として位置づけるような人もいますが、こういった表層的な対症療法と本質的な根本療法の二元論の影響で、医療を受けないことによる症状悪化が見過ごされやすくなるということもあります。

診断のつく病気や生死に関わる症状ではない『体調不良・疲労感』などであれば、体調を整えたり疲労感を和らげたりするために栄養ドリンクやサプリメント(健康食品・伝統食品)を摂取するというのも一つの選択肢ですし、日常的な健康増進・体調管理を目的にするのであれば(病院に行き医師の診療を受けることも否定しないのであれば)ホメオパシーも有害な治療法とまでは言えないでしょう。自分が身体に良いと思える食品やサプリメントを摂取したり、健康維持につながると信じている健康法などを実践したりすることは、そこに科学的効果がないとしても(個人の経験談に基づく宣伝広告に影響される問題はあるとしても)本人の心理的利益や主観的満足感があるからです。

ホメオパシーは『治療法・レメディ(砂糖玉)』そのものが有害なわけではなくて、治療法の背景にある現代医療(特に未成年者の受診機会)を否定しかねない『原理主義的な思想・情報提供』が有害なのだと思います。それ以外の自然療法・伝統療法にも共通する要素として、『医療・西洋薬は人工的なもので副作用が強いという信念』『できるだけ医療や薬を使わず自然志向なライフスタイルで治したほうが良いという価値観』がありますが、“自然-反自然(科学・医学)の二元論”で人間の身体の機序や病気の仕組みを短絡的に理解するのは間違っていますし、実際的な健康上のデメリットが強まることもあります。

科学と疑似科学の境界線や反証可能性・科学的パラダイムという『科学哲学的なテーマ』に関心のある人は基本的に少ないですし、スピリチュアルやエコロジー、パワーストーン、パワースポット、占い、遠隔ヒーリング、オカルト現象(心霊現象)など科学的根拠のない現象や超常的なパワー(エネルギー)を信じている人は意外に多いと思います。疑似科学を判別できるような自然科学に詳しい人であっても、アクセサリーとしてのパワーストーンを見ていて、何らかの特別なパワーやご利益をふと信じてみたくなるような気持ちが全く無いわけではないと思います。

『目に見えない特別なパワー(霊的な影響力)・人工的ではない自然性への回帰・俗世的ではないピュアネスへの憧憬』などは、非科学的な理論や事象への親和性を生み出しやすい心理傾向(認知傾向)ですが、『実証科学の思考法・科学的検証の方法論(統計学の手法)』が発見される以前は人類の認識・知識の主流を占めていた心理的な傾向性ですから、その影響が現代にまで残っているとしても不思議ではないのでしょう。科学的思考法や科学的根拠へのこだわりというのは『近代的・教育的なもの(ある程度意識して習得していくもの)』なので、人間が自然に生活したり会話していたりしても、いつの間にか身に付く思考パターンではないということもあります。

理系とされる数学・物理・化学・生物の学習(科学的思考や問題解決のトレーニング)は、数字の操作・論理的思考が苦手な人だと高校時代に放棄されることも少なくないので、『科学教育の充実・振興』だけでは科学と疑似科学を区別する思考法を身に付けることは困難かもしれません。科学的効果や統計学的根拠(エビデンス)が云々というのは、大多数の人にとっては『日常的な関心事・よくする話題のテーマ』ではないので、そういった話を聞いてもスピリチュアルや自然療法のような分かりやすい説明理論や心地良い想像力の刺激、直観的な健康のイメージにつながりにくいという問題もあるかと思います。

宗教団体・心霊研究家などが自らの理論や教義を『科学・科学的なもの』として取り扱っていたりすることもあり、それに特別な違和感や問題点を感じない人も少なからずいます。『科学とは何か?』という定義が極めて大雑把な自己流のイメージや学校の教科科目で捉えられていたり、『客観的な正しさ』を雰囲気で強調するための言葉としてだけ使われていたりということも多いのが実情です。

そういった現状を情報提供や義務教育などで啓蒙していければ良いのですが、いつもどんな状況でも『科学的な基準』で物事の是非・正誤を判断したほうが良いという所までいくと極端になってしまうようには思います。

『非科学的な信念・価値観』を持つこと自体が悪いわけではなく(世間一般で面白おかしく話されたり個人の経験談として効果が語られたりすることの多くは科学的根拠を意識したものではない)、『科学ではないものを科学とする主張(科学的根拠の悪用や健康・安全リスクの伴うミスリーディング)』に問題があるということになってきます。

多くの生活場面や雑談・趣味では科学であるか非科学であるかを区別する必要性がないことが多いので(大多数の人の関心の範疇に入ってこず余りに科学的根拠にこだわると相手の話の腰を折ることにもなるので)、個別的事例において科学的な是々非々を検証する態度まで身に付けられるかとなると難しいかもしれません。

なぜ人間が『非科学的な理論・現象・療法』に引き付けられやすいのかという心理の分析については、過去に『スピリチュアルな世界観と科学的な世界観の差異』の記事で行ったことがあるので興味のある方は読んでみて下さい。










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■書籍紹介

疑似科学と科学の哲学
名古屋大学出版会
伊勢田 哲治

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