視線を用いた非言語的コミュニケーションと優劣関係のディスプレイ:目で好意・悪意・恐怖を伝達する

人間や類人猿、サルにとって、『他の個体』を長く凝視したり目を合わせたりすることは特別な社会的意味を持つ行為である。サル山にいるニホンザルの目を人間が長く見つめると、サルは歯を剥き出して大声で吠え、今にも飛び掛ってきそうな形相をし始める。サル同士でも序列関係が下位のサルが上位のサルの瞳を長く見つめていると、『俺から目を逸らせ』とばかりに目を見開き歯を剥き出しての威嚇行為が始まる。

人間はどうであろうか。人間にとっての『凝視行動』の持つ社会的意味・感情作用は相手によって大きく異なり、『愛情・親密・信頼の表現』『敵意・軽視・挑戦(値踏み)の表現』との二面性を持つ。『見知らぬ他人の瞳』を長く無遠慮に見つめ続けることは、一般的には人間社会においても無礼な禁忌(非常識)であり、非常に強い居心地の悪さや感情的な興奮を引き起こしやすい。

サルのように他者の凝視によって誘発される威嚇行為(怒り・反発の感情)は、人間でも『眼(ガン)をつける・ガンを飛ばす=目を合わせ続けることが因縁をつけることになる』といったアウトロー文化にその残滓が認められる。だが、好戦的なヤンキーや無法者でなくても知らない他人から『じっと長く見つめられること』は、生理的に不快であり感情的な興奮を高めやすい行為である。

知らない他人を長く凝視する行為は、非言語的コミュニケーションとして『敵意・軽視・挑戦(値踏み)・好奇』などの不快な感情伝達を行うことにつながるので、凝視された相手は自分に向けられた強い感情や関心を推測して緊張したり反発したりするのである。『見つめる者』『見つめられる者』との立場が固定的なものになれば、それは社会的な優劣関係や序列意識を反映するものとなり、見つめる者は『評価(値踏み)する者』、見つめられる者は『評価される者』という役割を負うようになる。

企業の採用面接で面接室に入室した応募者(学生)は『見つめられる者』、採用の選考をする権限を持った人事の面接官は『見つめる者』であるが、こうした『他者の評価(評価するかされるか)』と相関する優劣関係が『見つめる・見つめられるの相対的な時間差』に反映されることは多い。こういった分かりやすいケースに限らず、人間は社会的・立場的に自分よりも明らかに優位にいると感じる相手、自分の処遇・人事に対して決定権を握っているような相手に対しては『まっすぐ見つめる時間』よりも『見つめられる時間』が長くなりやすい傾向を持つ。

知らない他人から凝視されることに対してセンシティブに怒りや反発を感じる人は、この『見つめられる立場の下位性・客体性』を察知して、自分が相手よりも下位の立場に置かれて一方的に観察(評価)されることに対して抵抗していると解釈することができる。自分より弱い立場(年少若輩の立場)にある相手に対して、『しっかり人の目を見て話せ』という叱責をする人もいるが、これは下位にいる人が上位の相手と目を合わせにくいことを利用した方法であり、『指導する者―指導される者』との立場の違いを視線のやり取りで再確認するような効果がある。

視線を用いた非言語的コミュニケーションは、『愛情(好意的関心)・怒り(敵意的関心)・恐怖(自己防衛)』という感情を間接的に相手に表現して、自分が相手に抱いている大まかな感情や関心の持ち方を伝達することができる。上記では、『知らない相手の凝視』による怒りや敵意、軽視といったネガティブな感情伝達を中心に説明してきたが、『他者との視線のやり取り』によって、好意や関心、親密さといったポジティブな感情伝達を実現することもできる。

視線を用いたコミュニケーション方法は『視線を向ける』『視線を外す』かの二つしかないシンプルなものではあるが、私たちは『家族・配偶者・恋人・親友』のような極めて新密度の高い相手には視線を向けて話す頻度が多くなり、ある程度長く視線を合わせ続けても(喧嘩でもしていない限りは)それほどストレスを感じることはない。特に、恋愛感情や性的関心がお互いに高まっている異性とであれば、『長時間の凝視行動』は愛情確認や相互承認、安心感の強化の役割を果たすことにもなる。

同じ恋人(親密な異性)であっても、付き合い始めて間もない時期では『視線を合わせる頻度』が少なく、『自分がまだ十分に受け容れられていないかもしれないという不安・自分の顔やスタイルが評価されているように感じる恥じらい』によって好きな相手の顔を直接長く見つめることに躊躇する。しかし、恋愛関係が深まっていき恋人との間に十分な愛着・信頼が形成されてくれば、恥じらいや不安が無くなるので『視線を合わせる頻度』が増えて、自分と相手の瞳を直接的に長く合わせながらリラックスして凝視できるようになる。

長時間に及ぶ双方向の凝視を心地よく感じられるということは、相当に親密な関係や愛情のやり取りが二人の間にあることを意味する。そして、好きな相手に対して『長時間の凝視行動』ができるようになる心理というのは、『自分が相手に拒絶・否定される不安がなくなったという確信』と関係しており、相手の視線を“評価するまなざし”ではなくて“愛情を注ぐまなざし”として受け取れるようになったということである。

長時間の凝視行動には、相手を自分と対等な存在と見て“愛情・好意を注ぐまなざし”があるが、もう一つ、相手を自分よりも下位の存在と見て“悪意・軽視を注ぐまなざし”もあり、初対面で無遠慮な相手が女性を凝視してくるような場合には、“好意・性欲・軽視”の区別がつかないこともあるだろう。しかし、人間は好意や関心を寄せている異性に接しているほど、相手にそれとなく視線を向ける頻度が無意識的に増える傾向があり、表面的な関心を装っているだけのような相手に対してはうなずいたり適当に答えたりはしていても、『視線を向ける頻度』が相当に落ちてくる。

一般的な会話や雑談の場面では、人は適度に視線を合わせたり外したりしながら話すが、この視線のやり方は無意識的なものであることが殆どである。この時にも極端に相手の目を長く見続ける人や殆ど相手の顔を見ずに話す人は、『不自然な印象や緊張・ネガティブなイメージ』を相手に与えてしまいやすい。話し始めや話し終わりにだけ相手と少し視線を合わせて、相手の表情・反応を確認するというような視線の合わせ方が多いが、基本的には『話し手』よりも『聴き手』に回っている時のほうが相手の顔を見る時間・頻度は多くなる。

相手の視線が自分の顔に来ている時には少し視線を外し、相手の視線が外れてくると自分が相手の顔を見るというような『視線のやり取り』が繰り返されやすいが、異性を口説いたり相手の好意を受け容れたりする時には、意図的に視線を外すべき時に外さずに合わせるということもある。

知り合って間もない異性との『形式的・儀礼的な人間関係』を、一歩前進させて距離を縮めるような時に、こういった『意図的な視線合わせ』が笑い(ユーモア)や親近感(プライベート感覚)を引き出したりして効果を発揮することもある。だが、相手にその気が無ければ、単純に生理的な不快感・嫌悪感(失礼な相手)として受け取られるリスクもある。

『視線のやり取り』による非言語的コミュニケーションは、日常生活の何気ない会話場面では殆ど意識されることが無い。それは『適度な関心・無難な注意(敵意の無さ)』を伝達するために、お互いの視線を意識しなくても良いレベルにまで視線を向ける頻度とバランスが無意識的に調整されているからである。

それほど親しくない他者との形式的なコミュニケーションでは、視線のやり取りはお互いに相手の顔をそれほど見ない程度に無意識に制御されているが、そういった儀礼的無関心を越えて相手と関わろう(親しくなろう・相手の注意を自分に向けよう)とする場合には、『意図的な視線合わせ・凝視行動』の頻度が上がりやすくなる。










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