香山リカ『しがみつかない生き方』の書評2:勝間和代を目指さない生き方と金銭・子どもとの距離感

前回書いた香山リカ『しがみつかない生き方 「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』の書評の続きになります。

第6章 仕事に夢を求めない

人は何のために働くのかという疑問に対して、『パン(生活費)以外の働く理由』が分からなくても全く問題がないと答える。それほど好きではない仕事でも、とりあえず何とか働いているうちに、仕事そのものの面白さ・興味関心がでてきたり、仕事以外での消費・趣味・人間関係などが生まれてくることも多い。

今、一生懸命に働いていて仕事が面白い(人間は働かなければならない)と言っている人でも、棚ボタで数億円の大金が転がり込んでくれば、その仕事をあっさり辞めてしまうかもしれない、そういった現金(俗物)な一面が人間にあるのも事実ではあるが、『仕事=絶対的な義務・自己実現(夢実現)の手段』と思い詰めて定義するよりも、『仕事=生活のための手段』と割り切ったほうがすっきりとして働く心境になりやすいというのはある。

生涯賃金に相当する大金が入ってくれば仕事を辞めようと思っている人でも、今はそんな大金なんてないのだから働かなければならないということで働く決断をすることになる。反対に、お金に余り興味はないが、自分のやりたい仕事や自己実現につながる職業でなければ働くつもりがないという人だと、今は大金が無いにも関わらずいつまでも働く決断ができずにジリ貧になってしまうかもしれない。

実現可能性や就職(収入)の見通しがある限りにおいて、仕事に夢や自己実現、好きなことを求めていくことは『仕事の充実感や生き甲斐・自己アイデンティティの強化』につながる。だが、そういった可能性・見通しを度外視して仕事に夢や面白さを求めすぎると、『不真面目だけれどとりあえず働いている人(お金さえあれば仕事を辞めたがっている人)』よりも人生全体が経済的・心理的に困窮してしまうリスクもでてくる。

個人にとっての仕事や就職の本質は『好きなこと・夢の実現(自己実現)』というよりも、『生活のための収入を稼ぐ』と完全に割り切ることは難しいとしても、『好きなことの範囲を広げる・少しでも関心を持てる業界に飛び込んでみる』などの決断が良い結果につながることも多いと思う。

絶対に嫌いというほどの仕事でなければ、やっている内に仕事そのものが面白くなったり、仕事外部の消費・レジャーや人間関係(恋愛・結婚・友人)が充実したりということもある。個人差はあるが一般的には、好きな仕事(仕事による自己実現)ができない不利益よりも最低限の収入を稼げずに社会参加しにくい不利益のほうが、人生全体に与えるダメージは大きいということもある。


第7章 子どもにしがみつかない

愛子さまのことしか和歌に詠まない雅子妃殿下の事例を上げて、『家族・子ども』にしか興味関心が持てなくなり、女性の視野・活動範囲が狭くなり過ぎることの問題を上げている。母親としての自己アイデンティティの強度や子どもを持つことへのこだわりといった論点であるが、母親になることや子育てをすることに自分の生き甲斐を求めること自体は悪いことではないと思う。

第7章は、香山リカ氏自身の結婚をせずに子どもを持たなかったという人生の選択とも関わっている章であり、『子どもを持つ研究者・サラリーマンの雇用待遇面での優遇措置』への不満めいた意見もでてくる。しかし、『少子化社会・男女共同参画社会』の現状を鑑みれば、子どもを育てながら働く女性を企業・行政が支援することには、世論の同意を取り付けるだけの合理的根拠がある。過去には『未婚で子どものいない女性』のほうが、企業組織の雇用継続・昇進面で優遇されていたので、急に『子どもがいる女性』のほうがキャリア形成・休暇取得などで有利になったのであれば、過去と現在との整合性の問題はでてくるとは思うが。

子どもを産むか産まないかは他者に強制されてはならない『女性の選択(+相手の男性の補助的選択)』ではあるが、子どもを産んで育てることには『社会全体の持続性・生産性におけるメリット』があるので、子どもを育てやすい環境・制度を整備していくことは政治・企業の役割でもあるのではないだろうか。

ふつうの幸福を手に入れるルールとして考えるのであれば、不妊症や自分の選択によって子どもを持たなかった人(持てなかった人)が、『子どもがいる人生は幸福・子どもがいない人生は不幸』という二元論的な価値判断に陥らないようにすることだろう。


第8章 お金にしがみつかない

自由市場の競争原理のみによって財を配分する『新自由主義』に対する批判に多くが費やされているが、目的や必要性、使い道も考えずに『過度のお金にしがみつく生き方』が幸福につながらないというのはその通りだろう。

『お金はあればあるほど良い・お金は幾らあっても困らない』というのは、あらゆるモノやサービスがお金で買える資本主義社会(市場経済)では一面の真理かもしれないが、『人間を不幸にするお金へのしがみつき方』として以下の3つにまとめることができると思う。

1.『手に入ったお金(自分が稼げるお金)』に満足できず、『手に入らないお金(それ以上のお金)』にばかりしがみつくこと。

2.『自分の持っているお金』と『他人の持っているお金』を比較して、その差に嫉妬したり不満を持つこと。

3.手段を選ばずにどんなことをしてでも他人を傷つけて不幸にしてでも、『必要以上のお金・贅沢』を貪欲に求めること。

衣食住を整えて生きていくため、一定の文化的生活をするため、他人と付き合って交遊するための『必要限度のお金』を持っていないということは概ね不幸であると言って良いかもしれないが、『それ以上のお金』を稼げなくて持っていないということで自分が不幸であると感じる必要は無いのではないだろうか。

自分にとっての必要や目的に見合った金額(現実的な金額)を稼いだり貯めたりできるように頑張る、という程度の『金銭への執着』がちょうど良いのかもしれない。



第9章 生まれた意味を問わない

この世界に自分の意志とは無関係に生み出されてきたという『投企的な現実(世界に投げ出された現実)』をまず認識することが大切であり、自分が生まれる前から決められていた『生まれた意味』や他人とは異なるオリジナルな『人生の価値』を求めてもナンセンスであるということだろう。

人間は『意味』を求めて『価値』を評価したがる知的傾向を持つから、『自分が生まれてきた意味・自分の人生の価値』を問いたいという欲求はおよそ普遍的なものであるが、そういった問いに対する答えをその時々で出していく営みこそが人生ではないだろうか。

誰か(社会)にとって代替不能な価値を持つ人間でなければならないとか、特別な才能や魅力を持った人間でなければ生まれてきた意味がないとかいうのは、『自己愛・承認欲求』の過剰であって、そういった『特別な自分』になれないとしても自分の人生のオリジナル性は何ら損なわれることはない。

生まれてきた意味や人生の価値というのは、生まれる前から運命のように決められているわけでもないし、社会・誰かが与えてくれた評価をそのまま受け容れて自己価値を確立すれば終わりというわけでもない、数十年間あるいは百年以上の長い人生を生きる中でその都度『了解可能な意味・価値』を自分なりにそれとなく実感できれば十分なものでもある。


第10章<勝間和代>を目指さない

『勝間和代』という固有名は果てなき成功欲求や向上心、努力至上主義の象徴として用いられているが、香山リカは『努力すれば成果がでる・努力すれば夢が叶う』という成功欲求に基づく努力主義を実例を挙げながら批判している。分かりやすく言えば、本人の努力ではどうにもならない問題や偶然の不幸はあるし、遺伝要因・環境要因・心身の疾患によって努力したくても努力できない人たちがいるという当たり前の指摘である。また、幾ら同じように一生懸命に努力しても、他の大多数の人たちと同じ成果をどうしても上げられないという人もいるだろう。

勝間和代と香山リカではメッセージを伝えようとしている想定読者層が異なるし、『書物を書く動機づけ』そのものも違っているので、『適切な努力をすれば成功しやすい・競争に勝つための努力をしよう』という勝間和代の自己啓発的な著書に対する批判としては的外れな観が無いわけではない。

香山リカは、勝間和代は努力したくても努力できない人たちや社会の最底辺で貧困と無力に喘いでいる人たちをどう思っているのか、そんな人たちでも勝間氏の著書を読んで努力し続ければ貧困から抜け出して成功する確率が高まると本当に言えるのかと批判する。だが、勝間氏が想定している読者層は『成功欲求や上昇志向があり努力する環境・意欲・費用を持っている層(一般的なサラリーマン層や学生層などで貧困問題を抱えていない人)』だろうし、成功哲学や自己啓発書は一般に、派遣切り・ネットカフェ難民・ホームレス・生活保護者・無気力者・メンタルヘルスの失調者などの救済を目的として社会問題を考察する類のものではない。

勝間和代の著書『断る力』に対して、大多数の人は断る以前にそんなに依頼が来ないのだから、『断る力』など必要ではなく『(孤独・貧困・絶望に)耐える力』のほうが重要になっていると香山氏は語る。だが、『断る力』が対象読者としているのは、仕事をある程度取捨選択できる恵まれた立場にある人であり、ハローワークや求人情報で仕事を探したり、必死に営業して何でもいいから仕事(依頼)を得ようとしている人ではないことは明らかである。初めから少数の仕事・依頼にさえありつけない人が、『断る力』を発揮したって確かに何のメリットもないだろうし、そもそも会社の一般的な仕事(役職)の大半は断るか断らないか自分で選択できるようなものではない。

勝間和代を目指さないの最終章で重要なのは、『自分の成功の原因帰属に対する歪み』『他人の失敗に対する不寛容』ということになると思う。『私が成功したのは私が努力したからだ』という原因帰属が極端になると、『他人が成功しないのは他人が努力不足で怠け者だからだ』という現実にそぐわない他者否定になってしまう。成功と失敗の原因が『個人の能力・努力』だけに還元されると、行き過ぎた自己責任原理が社会を覆うことになり、失敗した人は努力不足で怠けていたのだから成功者が財の再配分をする必要はなく、政治的な社会保障の救済もすべきではないということになってしまう。

確かに何もしなくて偶然や幸運だけで成功することは無いかもしれないが、『成功に向けて努力できる環境』があるか無いか、『努力の道筋を見つけやすい家庭(親)の教育資本・教養水準』があるか無いかの所与の環境要因の違いというのも大きい。『努力しなければ成功しない』というのはある程度“真”であるが、『努力すれば成功する・失敗したのは努力しなかったからだ・努力すれば絶対に失敗はしない』は“真”であることもあれば“偽”であることも多い。

親や成育環境、経済状況、社会階層、遺伝要因、健康状態など本人の努力では十分に解決できない所与の要因によって、『機会の平等』を実際的に実現することができない以上、『完全に公平な競争』というのも近代社会を成立させるためのフィクションを多く含んでいる。また、『成功―失敗の結果』だけを見て、その人が努力してきたのか努力しなかったのかを判断することは難しいし、成功した要因が『自分の努力・能力』だけに由来するという原因帰属は、社会的リソースや他者(支援者・消費者)の協力がない成功は有り得ないので“誤り”と言って良いだろう。

『成功しなければ幸福になれない・努力し続ければきっと成功する』という固定的な偏った信念は、大多数の人にとっては『成功できない自分は努力が足りない・成功していない自分の幸福なんて自己欺瞞に過ぎない』という不幸の実感を強めるだけだろう。努力し続けて飽くまで経済的・社会的な成功を求める生き方があってもいいし、成功の結果を出せれば賞賛すべきことでもあると思う。

一方で、大きな成功を求めずに『ほどほどに努力する生き方』や『それほど努力しない生き方』などの人生の多様性も認められるべきだし、『ライフスタイルの多様性』に対応した小さな幸福や日常的な楽しみを見つけることができれば、それなりに『ふつうの幸福』を実感しやすい心境にもなるのではないだろうか。










■関連URI
“モデルとしての人間”には客観的な生きる意味はないが、“実在する私(主観)”は生きる意味を経験する

“子どもの幸福・成功”を応援できない親の心理的問題と見捨てられ不安:空の巣症候群・境界性人格障害

悲観主義を徹底できない人間の弱さとオプティミズムによる生きる意味の発見

“生きる意味”がないと判断する人間理性の問題点と“世俗の雑事・所用”を煩わしく感じる遁世・脱俗の欲求

■書籍紹介

しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書)
幻冬舎
香山 リカ

ユーザレビュー:
精神科医の幸福論の系 ...
ではないだろうか。そ ...
世の中の「当たり前」 ...
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る






勝間さん、努力で幸せになれますか
朝日新聞出版
勝間 和代

ユーザレビュー:
「努力」することは必 ...
幸福は設計できるか、 ...
「低い期待」以上 こ ...

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る

この記事へのトラックバック