F.ニーチェの『この人を見よ』に投影されたツァラトゥストラ(超人)の理想と自己讃美・復讐の衝動

フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)の思想というと『ツァラトゥストラはこう言った』『道徳の系譜』が注目されやすいのですが、ニーチェの著作を概観してその思想のエッセンスを知りたいのであれば『この人を見よ』がお勧めです。ニーチェ哲学の入門書・解説書にも良書は少なからずありますが、『この人を見よ』はニーチェ自身が書いた自尊心の漲る自伝であると同時に、主要著作の解説書となっています。この著作を読めば、ニーチェがどういったことを言いたかったのかを正確に知ることができるでしょう。

冒頭で『私を取り違えてくれるな』と宣言しているように、ニーチェが自分自身の著作・思想に対する誤解や誤読を取り除くために書かれた自伝的解説書が『この人を見よ』であり、“この人”とはツァラトゥストラという超人であり、F.ニーチェという超人を志向した人間でもあります。

1888年の秋、ニーチェ44歳の時に書かれた『この人を見よ』は、ニーチェの最後の著作であり、この自叙伝的な作品を書き上げて以降、ニーチェは精神状態に変調を来たして思想的な執筆活動から遠ざかります。1900年にその人生の幕を閉じるまで、ニーチェはそれ以前の思想家としての発想の鋭さや思考の深さを取り戻すことはなく、運命を受容し自己を全肯定する『超人』とはかけ離れたかのような自意識の弱い寂しげな晩年を過ごしたとされます。

最も知名度の高い著作『ツァラトゥストラはこう言った』はニーチェの思考プロセスや思想の内容をまとめた作品ではなくて、『神の死』によって訪れる近代的ニヒリズムの到来とニヒリズムを克服する『次世代の人類(超人)』を描いた文学作品(寓話)という位置づけに近いと思います。故に、『ツァラトゥストラ』は人間の生を肯定するニーチェ思想の到達点でありながら、それ単独で読んだだけでは物々しい叙事詩の印象を受けたり、思わせぶりな警句(アフォリズム)に意識が引きつけられるだけになりやすいのです。

『神の死』というのは西欧の伝統的なキリスト教と形而上学(真理探究)の否定であり、現実の知覚される『仮象世界』とは別に『真の世界』が存在するというプラトン的なイデアリスム(観念論)の否定です。プラトニズムの背後世界を宗教化したキリスト教やローマ・カトリックの僧侶階級を否定することに、ニーチェの言葉の多くは費やされています。

『アンチ・キリスト(反キリスト)』とは、弱く貧しく惨めな人ほど道徳的に正しいとするルサンチマンの欺瞞性を暴き立てる試みでした。ニーチェは『キリスト教世界』『古代ギリシア世界』を対照的に捉えて、自分を古代ギリシア神話の酒と享楽、混乱の神であるディオニュソスになぞらえていますが、そこでは徹底した『健康な身体性・快活な精神性』が追求されています。

目に見えない価値や背後世界を否定する発想が、どのようにして運命愛を受容する健康な超人につながるのかというと、『現実とは違うもう一つの世界や尺度があるという想像上(観念上)の逃避』を許さない態度によって、『あるがままの自己』を全肯定する明るく快活な意志が生成するということです。

ニーチェは脆弱さや病気、暗さを肯定するような『価値の転倒(ルサンチマンの道徳規範)』を認めずに、思考のパースペクティブ(遠近法)によって伝統道徳(宗教)の自己欺瞞性を暴き、更に強靭さや健康、明るさを肯定する価値体系へともう一度『捏造された価値・正しさ』を転倒させるのです。

『偶像の黄昏』によって、キリスト教道徳の不健康な価値体系(僧侶階級の権威)と感じる偶像に鉄槌を下したニーチェは、古代ギリシアの肉体賛美や強者の賞賛に『捏造されていない純粋な価値』を見出すわけですが、ニーチェ自身がそういったギリシア的な健康や強さ、明るさを体現するような『超人の人生』を送ったかというと疑問ではあります。

『この人を見よ』の各章のタイトルには、『なぜわたしはこんなに賢明なのか』『なぜわたしはこんなに利発なのか』『なぜわたしはこんなに良い本を書くのか』という手放しで自己の著作の功績と類稀な才能を褒め称える自画自賛の表題がつけられていますが、こういったエクリチュール(文章)の修辞・装飾による過剰な自己讃美も、ルサンチマン(弱者の強者に対する怨恨)の一部として解釈できるかもしれません。

『なぜわたしはこんなに賢明なのか』の章では、ニーチェは他者に拘束されない『絶対的な主体性』を示唆する言葉として、多くのものを選び取り振るい落とす『選択の原理』という概念を用いており、自分は『選ばれる立場』に立つことはなくどんな時も『選ぶ立場』に立つことを宣言しています。病気(脆弱)であることを嫌い健康であることを願うニーチェは、病気であることの弊害として怨恨感情(ルサンチマン)を上げ、怨恨から自己を解放する手段として『永劫回帰』に耐える自己肯定を主張しています。

自分が『今とは違う別の人生・人間であれば良かったのに(現実世界とは違う天国のようなもっと良い真の世界がある)』などと決して思わないこと、永遠に生まれ変わったとしても『今と全く同じ人生』を繰り返すことに“然り(これで良い)”という『聖なる肯定』を迷い無く下せること、それがニーチェの思い描いた『反宗教的な人類の進歩・前進』でした。ニーチェほどヨーロッパ人でキリスト教を憎悪した人間も珍しいのですが、以下のような過激な論調で『宗教道徳(利己的・個人的な欲求や優越を否定する道徳)』を非難していたりします。


わたしの使命は人類の最高の自覚の瞬間を用意すること、人類が過去をふりかえり、未来に目をはなち、偶然と僧侶どもの支配から脱して、「なにゆえに?」「なにをめざして?」という問いをはじめて全体として発する大いなる正午を用意することであるが――この使命は必然的に次の洞察から生じてくるのである。すなわち、人類は現在自然に正しい道を歩んでいるのだという状態にあるのではない、人類は神的に統治されているのではけっしてない、むしろ人類にとってのもっとも神聖なもろもろの価値概念という名のもとに、否定本能、腐敗、デカダンス本能が誘惑的に力をふるってきたのだ、という洞察である。

それゆえ、道徳的価値の素性を問うことは、わたしにとっては第一級の問いなのだ。この問いは人類の未来を決定するものだからである。一切はつまるところ神の手によって統べられていると信ぜよ、聖書という一冊の本が人類の運命における神の導きと知恵とについて究極の安心を与えてくれるのだと信ぜよ、という要求は、それを現実の状況に復元してみれば、その反対のあわれむべき真実、すなわち、人類はこれまで最悪な手によって掴まれていたのであり、出来そこないども、腹黒い復讐の念にもえる者たち、いわゆる「聖者」ら、こういう世界誹謗者と人間侮辱者によって支配されてきたのだという真実を、明るみに出すまいとする意志に他ならないのだ。

(中略)

つまり僧侶は、退化してゆくもの、腐ってゆくものの保存をはかり――その骨折損として人類を支配するのである。……あの嘘の諸概念、すなわち、「魂」、「精神」、「自由意志」、「神」などという道徳の補助概念には、人類を生理的にだめにしてしまうという意味のほかに、どんな意味を持つというのか?……自己保存ということ、肉体、つまり生の力を高めることを真剣に考えず、萎黄病から理想を、肉体の軽蔑から「魂の救い」をでっちあげようとするなら、それはデカダンスへの処方でなくて何であろう?――重力の喪失、自然な本能の否定、一言でいえば「自己喪失」――これがこれまで道徳と呼ばれてきたのだ。……『曙光』によってわたしははじめて、この自己滅却の道徳に戦いを挑んだのだ。――

F.ニーチェ『この人を見よ(岩波文庫)』のP127-129から引用


自分の弱さや不幸を覆い隠すための『転倒した価値(善悪)』を捏造しないこと、自己の生き方やフラストレーションを正当化するための『道徳的な世界観・優劣を歪めた理屈』を想像しないこと、これは並みの人間には容易に為しえない境地であり、いわゆる超人の価値規範でもあります。

ニーチェの説く『生の哲学』『力への意志』は、人間の自然な生命力や身体的な美しさ、精神の強靭さ、優越的な力強さを志向しており、そういった生命の輝きや身体の強さを阻害する『ルサンチマン(強者に対する復讐・怨恨の道徳)』を反駁しようとする性格を持ちます。ニーチェが『善人・道徳・同情』を嫌悪して排除しようとするのは、それが人間本来の欲望や価値、快楽を否定する『禁欲・我慢こそ正しい(欲望を満たさない人間ほど正しい)』とする価値の転倒を引き起こしているからだといいます。

ニーチェは『この人を見よ』で何度も自分のことを“心理学者”と言っていますが、ニーチェが批判している心的態度は、価値あるものを価値がないと言い張る自己欺瞞であり、認知的不協和の正当化です。つまり、誰もが持っている人間の自然な魅力・価値を追求する『力への意志(豊かな生命力の発揮)』を、一切捻じ曲げない生き方ができる人間のことを『超人』と呼んで賛美しているわけです。

しかし、ルサンチマンや自己欺瞞と無縁な『超人』になり得なかったのはニーチェも同じかもしれず、『ニヒリズム(虚無主義)』を形而上学的な観念ではなく、自己の徹底した肯定・健全さによって克服しようとした試みが成功したとも言い難い部分があります。自分の弱さや不満、劣等感を道徳的に正当化したいという衝動は強烈であり、自分の人生のすべてを全肯定し続けられるほどに健全な人間も希有ですから、ニーチェの『この人を見よ』に投影された過剰な自己賛美(自己正当化)の心情もまた、『永劫回帰の人生』に耐え難い人間の不安によって動機づけられたものなのかもしれません。










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■書籍紹介

この人を見よ (岩波文庫)
岩波書店
ニーチェ

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