香山リカ『キレる大人はなぜ増えた』の書評:“自己防衛的な攻撃性”と“利益獲得的な攻撃性”

少し前に、少年犯罪・校内暴力などの事例を挙げた『キレる若者』というフレーズが流行したことがあったが、最近は若者の特徴を評価するフレーズが『草食系男子・消費や結婚をしない若者・雇用の安定志向』といったマイルドで抑制的なものへと変化してきているようだ。

10代~20代の若者が中高年の大人よりもキレやすいというのは元々感情論や印象論のレベルにあるもので、統計的な年代別の比較調査などの裏づけがあるわけではなかったが、最近は、モンスターペアレント(モンスターペイシェント)や乱暴で非常識な言動をする中高年、忍耐がなく激昂する高齢者といった『大人のキレやすさ・マナーの守れなさ』のほうもマスメディアで取り上げられるようになっている。

統計的・学術的なレベルでは、現代人のほうが過去の人たちよりも『キレやすいのか・怒りやすいのか』という判断は慎重でなければならないが、『公共の場で怒鳴ったり暴れたりする人・理不尽な要求をする消費者(サービスの受け手)・自分の正当性を微塵も疑わない人・他人の内面の傷つきに配慮するつもりさえない人』を社会現象として散発的に見かけることはある。

更に『会社にとってお客様は神様です・教師や医師は聖職者でなければならない』ではないが、仕事をする上で立場的に反論したり抵抗したりすることが難しい相手(対価や社会的承認を受けるエージェント)に対して、理不尽な要求や非難をぶつけるケースが目立っていることも『キレやすさ』の印象を強めるのだろう。自分自身が仕事をしている時に、上司・顧客から理不尽な要求や罵倒をされて、そのフラストレーションが『自分が安心して怒れる立場の相手(まず反抗してこないであろう相手)』に転換されるという悪循環(=抑圧移譲)も指摘できるのかもしれない。

本書は『キレる大人・キレる場面』を題材にした新書で、現代社会のイライラや不満、怒りを生み出すフラストレーションやその心理過程をいろいろな角度からエッセイ風に切り取っている。香山リカ氏の主張には賛同できるものもあればできないものもあるのだが、『キレるという心理現象』を精神医学(精神分析)の行動化のフレームワークで解釈しており、『豊かな社会での暴力』を現代の社会事象を踏まえて考えるきっかけになると思う。

現代社会の世論はマスメディアとネット言論の影響をかなり強く受けるので、『キレる人・非常識な人・他人を思いやれない人が増えてきた』と伝えられていても、大半の人は『自分はそんな人間ではない、最低限のマナーや常識は守っている』と自己認識しているのではないかと思う。客観的にも、公共の場で暴力を振るったり、お店で暴言をわめき散らしたりする人は依然として圧倒的少数派ではあるのだが、実際に暴力的で非常識な言動をするか否かとは別の次元で、『現代人のフラストレーション・自己不全感の高まり』というのはあるだろう。

キレるというのは具体的には、『突発的(反射的)に暴言を吐いて威圧する・暴力を振るう・モノに当たって破損する・言語的コミュニケーションが不能になる』ということであり、内的に自分の感情や不満、欲求を処理できなくなって『行動化(アクティング・アウト)』してしまうということである。誰もが長い人生の中で、何度かは行動化を起こす可能性はあるし、自分の不満やイライラを相手に強く印象づける行動方略として意図的に怒ったりキレてみせたりする人もいるだろう。

クレーマーの中には本気で店の対応に怒ってはいなくても、感情的に激昂したり勢い良く罵倒したり法的対応をちらつかせてみせたりすることで、何らかの経済的・物理的な恩恵を“謝罪ではない誠意ある対応”をキーワードにして引き出そうとする人も存在しているが、本書では純粋なイライラやフラストレーション、自己不全をキーワードにして『キレる人の心理』を分析している。

第1章『見て見ぬ振りをしない人』では、公共の場でのキレと注意の距離の縮まりを指摘して、キレる心理的要因を『管理社会における自己実現(生きたいと思う人生)の挫折』『他者との連帯感情の衰退』に求めている。現代社会は確かに表面的には豊かで華やかになり、利便性と技術力は格段に向上したが、高度な文明社会を『縁の下の力持ち』で支えているサラリーマン(労働者)の被管理意識や精神的ストレスも高まってきている状況にある。

地域コミュニティや私的な人間関係(家族)が有効に機能していれば、『職業的な自己実現の挫折』があっても、『プライベートな人間関係・家庭生活の充実』でそのフラストレーションを補完することもできたはずである。だが、最近では雇用の悪化や未婚化の進展などで、自己実現の挫折と人間関係の貧困がリンクしやすくなっている。

仕事もきついばかりでいまいち遣り甲斐や社会的承認を感じられず、会社から家に帰っても家族からは余り感謝や尊重をされるわけでもなく、個人的な人間づきあいや趣味の活動も充実していないということであれば、フラストレーションの鬱積による『キレる』までの距離はかなり短くなるだろう。

端的に言えば、『これだけ俺(私)は嫌なことを我慢して毎日頑張っているのに、それに見合った報酬や承認はいつまでも与えられる見込みはなさそうだ』という自己否定的な認知と将来予測による諦観が、『自尊心による感情抑制(大人としての振る舞いを維持する態度)』の閾値を押し下げて、キレて相手の価値(尊厳)を引き下げてやろうというモチベーションを高めるのだと思われる。

第2章『泣き寝入りをしない人』では、『フラストレーションや他者への要求を抑制するメリット』よりも『感情や不満をダイレクトに主張して相手に要求を呑ませるメリット』のほうが大きいと見積もる人の心理が、アメリカ帰りの帰国子女の強い自己主張をベースにして語られている。この章では、ある種の合理主義的なキレというか相手をディベートのロジックでやり込めるような自己主張が扱われているので、必ずしも制御不能な心理状態で『感情的にキレている』というわけではない。

第3章『「それでも私は正しい」人』では、妄想性障害(パラノイア)と被害妄想によって『病理的なキレやすさ・過剰防衛』が起こる可能性について示唆しており、理不尽に自己制御できずにキレている人の一部には、被害妄想を伴う精神疾患が発症している可能性には留意したい。インターネットのテクノロジーの進歩によって、『現実と妄想の境界線』を専門家でも判定しにくい状況が生まれていることもあり、ネット内の悪口(誹謗中傷)や個人情報の流出、ストーカー被害を巡るセンシティブな不安や怒りの訴えの中には、客観的な事実もあれば病的な妄想に基づく不安もある。

また、医学博士の学位などを持つ人物が、その権威を利用して『医学的に認められていない病気・病因』を誇大にネットで吹聴するなどの問題点についても指摘されている。統合失調症の急性期で起こりやすい『パソコンやケータイなどの電波が音声になって聞こえてくる・電磁波を利用して組織が自分を監視している・文明社会の電磁波によって心身の調子がおかしくなる』といった症状が、電磁波過敏症などの非医学的なラベリングによって正当化される恐れも出てくる。今まで無かった新規な疾病概念や宗教理念を適当なデータ(体験談)をもとに作り上げて、その周辺で効き目が期待できない高額商品を売りつける悪質商法・霊感商法などの問題も関わってくる。

第6章『ネット上だけ「正義の人」』では、論理的・法律的な規範性だけに特化されやすいネット言論の道徳的批判の過剰にフォーカスして、融通性や寛容性を著しく欠いた『ネット上の正論原理主義(不正に対する道徳的非難のカスケード)』の弊害を多角的に考察している。インターネットではマスメディアの実名報道や個人ブログのイリーガルな武勇伝(過去の微罪)の暴露などによって、『個人の落ち度や違反の可視化』が行われるので、その相手に非難されるべき問題や落ち度があれば、一方的に幾らでも激しくバッシングして完膚なきまでにこき下ろすことが技術的に可能である。

個人の意識としては『自分の正義心・道徳観』に照らし合わせて、『問題のある相手(悪人と見なせる相手)』を正当な理由に基づいて批判しているだけなのだが、無数の個人が自由に批判・攻撃・中傷を書き込めるネットでは、正論原理主義の結果として『道徳的批判のカスケード』が起こってしまいやすい面は確かにある。

実社会であればそれほど目くじらを立てない小さな違反や問題であっても、ネットでは『万人に対する違反・問題の可視化』が行われるため、攻撃的な非難を反射的に書き込む心理的な閾値が低くなりやすく、集団バッシングを受けた相手がどれくらい精神的に参っているか、反省しているかを推測することも困難である。自分自身の立場に置き換えて物事やコミュニケーションを考えてみることが、ネットでも現実社会でも『行き過ぎた怒り・キレの抑制』には必要なのではないかと思う。

第7章『キレる脳のメカニズム』では、脳の情動反応の中枢である『扁桃体』の機能障害に基づいて『キレる心理・行動のメカニズム』を総論的に分析しているが、『PTSD(心的外傷後ストレス障害)』と『反社会性人格障害(サイコパス)』との扁桃体の機能障害の質の違いに言及している部分は興味深い。PTSDの病理と『過去の記憶に由来する怒り・攻撃性』を直接的に結びつけることはできないと思うが、PTSDの扁桃体の機能障害を『過活動』とし、反社会性人格障害の機能障害を『機能不全』とする分類がされている。

人間の攻撃性を、自己防衛的な『反応的攻撃』と利益獲得的な『道具的攻撃』に分けてキレる現象を考察しているが、第8章『キレなければ生き残れない社会とは』では、現代社会の経済的・文化的要因を前提にしながら『適応方略としてのキレる行動・情動的な表現』が説明されている。

適切な自己主張や健康な自己愛のレベルを超えてしまい、『他者への共感性・想像力の欠如』が起こることによって『大人のキレやすさ』は道具的攻撃の様相を帯びてくるということだろう。そして、反応的攻撃を示さなければ、自分の生活や生存を維持できないような弱い立場にある人、余裕のない人たちも増えているのかもしれないが、この『キレる大人の問題』は安心社会の共同体的基盤が崩壊しかかっていることとも相関しているように感じた。

日本では『共同体的な安心社会』から『相互契約的な信頼社会』への移行がスムーズに進んでいるとは言い難く、そういった大きな社会変動の中で孤立感や無力感、閉塞感を抱える個人が増え、『キレる行動化の防衛機制』が発動しやすくなっているのだろうかとも思ったりする。










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■書籍紹介

キレる大人はなぜ増えた (朝日新書 90)
朝日新聞社
香山 リカ

ユーザレビュー:
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