“教職大学院”による教員養成課程の6年制化で『教師の質の向上』は図れるか?2:教員の資質と能力

前回の記事の続きになるが、ロースクールに関しては、ロースクールに進学すればその大半が医師のように法曹になれるという誤った思い込みを持っている人もいるので、教職大学院を設置する場合にもその種の大学院を修了すれば、ほとんどの学生が教師として働けるようになるという誤解を生じないようにしなければならないだろう。

10~20代の6年というのは人生に占める年数として見ても長い期間なので、『各分野の専門家の養成課程』と定義して大学院教育を実施するのであれば、それなりの試験合格率と就職率を担保していなければならないとは思う。どうして、教員の養成期間として『4年』ではダメで『6年』でなければならないのかという客観的根拠というか、知識量・経験量の定量的な基準というものは恐らく存在しないとは思うが、教職大学院の設置は『教員の能力・資質に対する世論の懐疑』の影響も多分に受けているのだろう。

教育現場の疲弊や荒廃は、学級崩壊、いじめや校内暴力、非行や援助交際、子どものネットの悪用、生徒の犯罪や自殺、モンスターペアレントのクレーム、学力の低下、教員自身の不祥事や犯罪など、さまざまな形でマスメディアから伝えられている。その内のいくつかは、行き過ぎた過熱報道(教員バッシング)であり教師の大部分は懸命に教育・指導・事務の仕事に取り組んでいると思う。だが、ごくごく一部ではあっても、生徒・子どもに対する性犯罪を犯した教師がいたり、学校内外で不祥事を起こす教師がいたりすることで、『教員への信頼・教員免許の権威(信用性)』が低下していることは否めない事実だろう。

学校や教師、生徒、保護者を取り巻く不祥事が、毎日のように『教育現場の崩壊』としてマスメディアで報じられる中で、『学校・教師に対する信用』を取り戻すために、政府・文部科学省はどう対処すれば良いのかを考えることになる。そこで出された解答の一つが、『教員養成課程の6年制化』であり、国民の大学進学率が上がっている現状では、大学院修了を受験資格にしないと『教員免許所持者の能力・適性』を社会に十分に認めてもらえないと考えたようにも思える。

学歴主義の短絡的な発想のようにも思えるが、現在でも難関資格の権威が残っているように、免許取得までの大学での教育キャリア(教育年数)を長く擁するものほど、高度で専門性が高いはずだという国民の先入観というのはあるのではないかと思う。学歴によって受験資格を細分化することにはメリットもあればデメリットもあるが、教職員の能力・適性について本当に『大学院教育によってしか培われない専門性・実習経験』が世論や保護者、生徒から期待されているのかという議論は有り得るし、教育現場から『大学院教育の必要性』がほとんど要請されていないということにも配慮する必要があるのではないだろうか。

教員に対する信頼感の低下には、『教員の授業・指導の能力への不信』『教員の人格的な資質・適性への不信』の二つの側面を仮定することができるが、学校現場での教員の資質・適性というものは『専門教育の期間延長』によって十分に確証できる種類のものではないので、免許取得に関しては4年制のままでも大きな弊害はないのではないだろうか。民主党の言う『専門免許制度』のように定期的な研修機会を準備して、教員としての能力・資質・倫理が低下しないような仕組みを作ることには賛成であるが、教員免許取得の条件そのものを厳しくすることに実際的な意味があるかは分からない部分も多い。

教職大学院に期待できることといえば、『分かりやすい授業をする能力の向上』『実践的な教育実習の充実で、教員志望者の現場適応の見極めが進む』といったことであるが、これらは学部の段階の教育カリキュラムの見直しで代替できないというものではなく、教員として就職した後の研修プログラムを充実させても良いのではないだろうか(現状でも就業後の研修体制は存在する)。

『教員の質の向上・不適格な教員志望者の排除』を目的とする教員養成課程の改革においては、教員免許取得のハードルを上げるというのも確かに一つの方法なのだが、民主党政権は『教員の質と量の向上』を掲げているので、教職大学院に進まなければ教員になれないシステムにすると、教員の数(量)の増加という目的に合致しない部分もでてくるだろう。一般的に学卒の就職活動よりも院卒の就職活動のほうが困難とされる企業の採用環境において、教職大学院を卒業したのに専門性を活かせる職場がないというのでは本末転倒であり、ロースクールのような受給のアンバランスが生じないような制度設計の練り込みを期待したい。

自公政権の『教員免許更新制』にせよ民主党政権の『専門免許制度』にせよ、一回試験に合格したら一生涯にわたって有効な『免許・資格』であることはおかしいという世論を受けて考案されたものだが、確かに『最低限の知識・能力・資質』を維持するために定期的な研修や簡単な査定などは必要のように思える。ただ、もう一度同種の資格試験を受けるかのように、何十時間も必死になって勉強(暗記)しなければならないような更新制などは無意味なので、『時代と共に変化する教師に求められる知識・能力・人間性・教育理念などのエッセンス』をきちんと伝えられるような研修制度を工夫していくべきなのだろう。


【教育】教員免許制見直し、疑問の声も 養成6年「無駄」/更新「意義ある」

校長は「大学院を出て教師になっても授業もだめ、学級を持たせれば崩壊…そんな教師は掃いて捨てるほどいる。一方で短大卒でもすばらしい統率力を発揮し、学級をまとめる指導力のある教師はたくさんいる」と指摘する。

今年度から始まった教員免許更新制について「負担になる」など教師の間にも反対する意見があることには、「熱心な教師は新たな研修の機会として期待する声が少なくない。結局は教師としての使命感、研修意欲がすべて」とし、「6年制にするなら『一般社会人経験2年』を義務づけた方がよほどいい先生が集まる」と話す。

また別の中学教諭は、「教員採用試験に落ちた臨時採用の中には、学級担任を任されたり、部活の指導で子供や保護者から信頼を得るなど資質を持つ若手が少なくない。採用試験自体も工夫しなければ、優秀な教員は確保できない」と訴える。


教師に対する信頼性の向上という意味では、懲戒規定の厳格化を行って『不適格な犯罪・逸脱などをした教師』を的確に教育現場から退かせる仕組みが必要であり、学校の身内意識による懲戒処分の甘さ(減給・停職・人事異動など)が『教員の資質・適性の最低ラインの担保』に疑念を抱かせる要因になっていることにも留意する必要があると思う。その意味では、個人的な意見であるが、『教員の入り口のハードルを高める』のではなく『不適格な教員(教育への意欲を失った教員)を確実に退ける』ほうが改革のポイントなのであり、やる気と能力、こころざしがある教員志望者が再チャレンジして教壇に立ちやすくなるような『雇用の一定の流動性(不適格な教員と新規の志望者との入れ替えの促進)』が求められる。










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■書籍紹介

学歴の社会史―教育と日本の近代 (平凡社ライブラリー (526))
平凡社
天野 郁夫

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求められる教師像と教員養成—教職原論 (MINERVA教職講座)
ミネルヴァ書房
山崎 英則

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