ジョン・ロック,ジャン・ジャック・ルソーの社会契約論と一般意志に基づく民主主義政治についての考察

前回の記事の続きになるが、万人闘争を排除して社会秩序を安定させるために『政治的な絶対権力』は必要だが、その絶対権力を戦争の勝者である専制君主(国王)に与えるだけでは、一般国民は専制君主に一方的・慣習的に支配される『自由の保障されない臣民・隷属』になってしまう。

専制君主・国家権力の拒否できない命令によって国民皆兵の徴兵制度が実現したり、必ずしも戦争・国策に賛同していない国民個人の生命を侵害するような強制力が及ぶ可能性が出てくるわけだが、『政治的な絶対権力=強制的な秩序形成』の副作用として起こるこうした国民個人の自由や選択の抑圧をどのように解決すれば良いのだろうか。

この難問に対する部分的な回答を提示したのが、『国民主権・自由主義・権力分立』の原理を説き明かしたジョン・ロック(1632-1704)であり、『一般意志に基づく国民主権・民主主義(人民政府)』の可能性を展望したジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)であった。ロックとルソーは王権神授説の絶対権力を反駁する『社会契約論』を提示して、国家の強制力や市民に課される義務は、市民相互の自由意志に基づく『社会契約』によってのみ正当性が担保されると主張したのである。

社会契約の無いところに強制や義務は存在しないという『社会契約論』のロジックは、絶対神から国王に統治権力が付与されるという封建的な『王権神授説』を覆す原動力となり、イギリス・フランス・アメリカにおける“市民革命”を正当化する啓蒙思想として機能した。市民(国民)が自らの基本的人権を守るために、相互契約を結び自然権を委譲して『政府(政治権力)』を確立するという社会契約説は、国家権力を抑制する自由主義や立憲主義を政治体制に組み込んでいくことになる。

自然権というのは『社会・政府』が成立していない自然状態で人間が有する自由かつ平等な権利のことで、思想家によって微妙にその内容が異なってくる。トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』にあるように、バラバラの個人が生得的に保有すると考えられている自己救済的な『自己防衛権(暴力を含む実力行使の権利)』を意味することも多い。ジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソーは、現代の『基本的人権(生命・財産・身体の自由)』に近い意味で自然権を捉えており、国家(政府)といえども個人の自然権(人権)を侵犯することはできないとする。

特に、ジョン・ロックは国家が社会契約に違反して個人の自然権を侵害する場合には、『抵抗権(革命権)』を行使して合法的にその政治体制を転覆させることができると説いたことで有名である。ルソーのほうは、人民政府が『一般意志』を体現する公正な政治を行っている限り抵抗権の合法性は認めないし、『特殊意志(私的欲求)』を通そうとする個人の人権侵害を看過すると考えられる。

しかし、現代のように個人・団体の利害関係が複雑な社会では『一般意志とは何なのか?』という定義を説得的に論述することは困難であり、一般意志に依拠する間違いのない人民政府というのは想像的な幻影に過ぎない。ルソーは著書『告白』によると、知的障害のある女性に子どもを産ませて孤児院に遺棄したり、露出症など各種の性倒錯を持っていたりと、私生活や人格構造にかなり問題のある人物だったとされるが、ルソーの政治哲学は民主主義政治の可能性(利点)と問題点(欠点)を掘り下げる射程を持っている。

ルソーは、人間社会を動かす意志の形態を『特殊意志・全体意志・一般意志』に分類して、理想的な民主主義政治は一般意志に従って運営されなければならないとした。


特殊意志……個人の私的利害・損得を反映した意志。

全体意志……特殊利益を単純に加算した多数決的な意志。

一般意志……共同体全体の利害(公共の利益)を反映した普遍的な最高意志。

ジャン・ジャック・ルソーは直接民主制によって『普遍的な一般意志』を体現する民主主義を理想としたが、その普遍的な一般意志は論理必然的に『人民共通の一般意志』に合致すると想定していた。ルソーの民主主義思想に基づく人民政府が『抑圧的な独裁政府』に転換する危険性があるという指摘もあるが、それはルソーが公共の利益(人民全体の共通意志)を反映する『一般意志』にすべての個人が従わなければならない最高意志の性格を付与しているからである。

直接民主制によって本当にすべての個人に共通する『一般意志』が抽出されるという客観的根拠はないが、ルソーの政治哲学に基づいて考えれば、一般意志を実現しようとする人民政府は絶対的な正しさと権力を保有することになってしまう。しかし、ルソーの一般意志の普遍的な目的を『(権力を人民政府に委譲した)人民の人権の保護』に置くのであれば、一般意志によって少数派の個人の人権が侵害されるという危険の想定は杞憂になるだろう。

1789年のフランス革命で第一共和政(国民公会)の主導権を握ったマキシミリアン・ロベスピエール(1758-1794)は、反革命勢力を次々にギロチン台に送る恐怖政治を行って『ルソーの血塗られた手』という異名を取ったが、ロベスピエールはルソーの言う一般意志を『議会(人民政府)の代表者の意志』という風に解釈していたと推測される。

一般意志の体現者を『議会(人民政府の代表者)』として捉えてしまうと、絶対主義的な恐怖政治や独裁政治に転落する危険性が高まるので、ルソーが自然状態にある人間に自由・平等な自然権が備わっていると考えたように、『個人の自然権(基本的人権)』の不可侵性を自由主義によって担保する必要性が出てくるのである。あるいは、公共の利益と合致する一般意志の普遍的な存在意義を『個人の人権保護』に置かなければ、政治権力と化した一般意志の絶対性が強まりすぎるということになる。

この続きとして、社会契約論から民主主義・自由主義・共産主義・アナキズムなどにまで範疇を広げた記事を書くかもしれません。










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■書籍紹介

社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫)
光文社
ジャン=ジャック ルソー

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