伊坂幸太郎『魔王』の書評:ファシズム(群集心理)の不安と安藤兄弟の超能力を巡る物語

自分が頭の中で念じている内容を『他人の口』から喋らせることができるという超能力(腹話術)を持つ会社員の安藤が、閉塞した日本に忍び寄るファシズム(全体主義)を警戒して阻止しようとする。経済が悪化して景気低迷が続く日本では、失業率が史上最悪となり、国民の心は希望の無い諦観に緩やかに包まれていた。国内の政治・経済に活路を見出せない国民の感情的な鬱積は、アメリカ・中国・朝鮮半島などへの対外的な不満や怒りへと向け変えられ、政府の弱腰で妥協的な外交は厳しくバッシングされている。

ミクロな個人の生活の不満や将来の不安は簡単に解消できないので、マクロな政治や外交の分野に『日本人を困窮させる原因』を求めるようになり、ポップなナショナリズムの萌芽が芽生える。バラバラな大衆が一つにまとまって大きな目的の達成のために行動するには、『個人的自由の放棄(理念への自発的服従)』『強力なリーダーシップ』が必要であり、それまでの日本の政界には強力なリーダーシップが存在せず、国民個人の絶望も中途半端なものであった。

両親を早くに亡くした安藤は、弟の潤也と二人で暮らしており、潤也には詩織という彼女がいる。安藤は学生時代から『物事について深く考えること・人や雰囲気に流されず考えること』が趣味のような理屈を好む男だったが、野党未来党の党首でカリスマティックな風貌と信念を持つ犬養が、未来の独裁者になるのではないかという妄想的確信を持つようになる。

犬養は自分に政治を任せてくれれば『現在の日本の問題点』を5年以内にすべて解決すると公言し、できなければ自分の首を刎ねればよいと毅然とした態度で言い放つ。真面目すぎるほどに真面目すぎる犬養は、ストイックで冗談の一つも受け付けそうにない厳格な威圧感を漂わせているが、宮沢賢治を愛読していて『注文の多い料理店』を好きな作品として上げる。

安藤はさまざまな変化や小さな徴候から『ファシズムの到来の危険』を感じ取るのだが、宮沢賢治を愛読する犬養を、ダンテを愛読していたイタリアの独裁者ムッソリーニと重ね合わせたりもする。宮沢賢治の『注文の多い料理店』では二人の紳士がいつの間にか相手(店)の思うがままに破滅的な結果へと誘導されていくが、安藤は犬養がこの作品を愛読者に上げた理由を『国民の無意識的な誘導・統制』にあるのではないかと臆測して戦慄する。

『魔王』では熱心な法華経の信者で、透徹した清浄な浄土世界のビジョンを持っていた宮沢賢治の詩が、大衆の情熱・使命感を揺り動かす煽動のツールに据えられているが、大勢の人々の行動を一つの方向に向けて統一するには、ある種の『(個人的な事柄を捨てても良いと思えるほどの)理想主義的なビジョン』が必要となる。

いつの間にか大勢の人間(国民)が無自覚的に何らかの理念・目的で束ねられて、気づいた時には大きな政治の流れに『個人の自由・力』で抗する手段が無くなっている、『魔王』ではこういった群集心理やファシズムが安藤の思索や直感、会話を通して考察されるという構成になっている。

政治テイストの強いミステリー小説だけど、安藤の持つ『腹話術(自分の思ったことを相手の口から話させられる)』の超能力を色々な相手に試す場面などはユーモラスであり、友人の島や弟の潤也、詩織との会話内容も面白く作りこまれている。

ファシズム談義としては、安藤と『ドゥーチェ』という店のマスターが話し合う部分が読み応えがあるが、『国民が一つにまとめられて個人の自由が奪われることを恐れる安藤』『国民が一つにまとまって集団の結束や民族の自覚を強めることが必要だと語るマスター』とが対照的な政治的スタンスとして示される。

『ファシズム(個人の意識の統一・行動の結束)の何がいけないのだろう』と語るマスターの言葉は、『国家(集団)』『自己』を同一化させて自己アイデンティティ・存在意義を確認しようとする人間の本能を刺激し、『自由の過剰・バラバラな個人』に憤りや不満を感じる集団主義(規範主義)の価値観とシンクロする。

自分の人生が『小さな世界(私的領域)』でそれなりに自足している時の人間は、『集団』に参加することを煩わしく面倒に感じることが多いが、自分の人生の苦境を個人の力で克服困難であると感じる時に、人は『集団(大きな世界)』に参加して意識の統一や行動の結束を強めることになる。

巨大な集団が構成された時にそのエネルギーや鬱積した感情を非暴力的にコントロールできれば、個人では実現できない大きなプロジェクトや善意の活動をすることができる。その一方で、排外主義やナショナリズム、経済的困窮、諸外国との摩擦(敵対勢力の挑発行為)などによって、群集心理のエネルギーが政治的な権力者(宗教的な指導者)であってもコントロールできない危険なレベルにまで高まることがある。

アメリカで日本人のサッカー選手が刺されて、加害者が日本に対して侮辱的な発言をする事件が起こり、日本でアメリカに対する排外主義的な動きが台頭する中で、日本の政治情勢や国民意識を刷新しようとする犬養が国民の心をまとめる街頭演説をしようとしていた。その演説を腹話術を使って妨害しようと考えた安藤は、犬養の演説会場へと向かい力を行使しようとするが、そこで『魔王』はクライマックスを迎える。

『魔王』に続く『呼吸』では、安藤の弟・潤也の意外な超能力が開発されており、潤也はじゃんけんや競馬で必ず勝つという圧倒的な『運の良さ』を活かして、『莫大な金』をコツコツと蓄積していく。潤也の運の良さが発揮されるには一定の条件があったが、限られた頭数立ての競馬の『単勝馬券』では絶対に外すことがなく、あっという間に1億2千万円以上の金を貯めこんで、彼女の詩織に『お金で人を救うことができると思う?』と問いかける。国民を新たな場所に主導する政治的な権力を持つようになった犬養首相、困窮した人を救えるポテンシャルとしての経済力(無限の稼得能力)を持つようになった潤也、どちらが人々を危険な世界に誘う『魔王』なのだろうか。

終わり方は特段の結末があるというわけではなく、何となく中途半端な感じもあるのですが、ミステリー小説の内部で読者を引き寄せる独特な世界観や会話を介した人間描写はなかなか魅力的に描けています。『魔王』の時代から更に時間が進んだ世界を創作した『モダンタイムス』という続編もあるので、興味のある人はこちらも読んでみると良いかもしれません。






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■書籍紹介

魔王 (講談社文庫)
講談社
伊坂 幸太郎

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