“現代社会における不確定性・孤独感の高まり”と“他者の代替不可能性(深く親密な人間関係)の希求”

前回の記事の続きになりますが、『リアルの人間関係・コミュニケーション』とは別に『ウェブの人間関係・コミュニケーション』を持てるようになったというのが、インターネットが現代社会にもたらした大きなインパクトでした。この事は『リアルの人間関係のあり方』『知人・家族とのコミュニケーション手段』にも一定の変質を迫ることになります。

今の小学生・中高生の中には、ケータイを24時間手離せずいつも友達やメル友とコミュニケーションしていないと落ち着かない、一日に何十通、何百通とメールのやり取りをしているのに『つながれない不安・孤独感』を感じるという子どもがいます。こういった誰かとつながっていないと落ち着かない『不安』や自分が親密な関係性から切り捨てられたように感じる『孤独感』というのは、現代の大人の一部にも広がってきています。ウェブ社会ではコミュニケーションのツールや出会いの機会そのものが急速に増加したにも関わらず、『つながれない不安・孤独感』が強まっているというのは、一見すると矛盾した心的現象です。

一日に数十通のメールをやり取りしようと思えば、必然的に『メールの内容』を詳しく考える時間は無くなり、着信したメールに脊髄反射的に応答する『無意味な短文メール』が増加することになります。短時間のうちに即座に返事が来ないと落ち着かないという『メール依存症』のような状態になると、『メールの内容・意思疎通』よりも『反応してくれた事実』のほうに重点が置かれることとなります。

1日~数日間、メールの間隔が空いただけで『あの人は自分に関心がなくなった→あの人にとっての自分の価値がなくなった→深く傷つく前に自分から離れよう』という短絡的な状況判断を行ってしまうと、お互いがメールを送る必要性や面白さを感じなくなっていても、『反応によるつながりの確認』のためだけに休む暇なくメールを送り続けなければならないという窮屈な事態になってきます。

数分間~数時間以内での“即時的な反応・共感”が無ければ、『相手は自分のことに興味がなくなったのではないか・自分との付き合いをやめたいと思っているのではないか』とネガティブな認知を形成してしまう人になると、人間関係を維持するために膨大な時間・労力のコストを支払っているにも関わらず、『いつ縁が切れるか(どちらが飽きられて見捨てられるか)分からない不安定な関係・気持ち』に陥りやすくなります。

リアル世界とウェブ世界の『二つの世界』でいろいろな他者と出会って人間関係(コミュニケーション)の幅を広げ、リアルの友人関係では対面コミュニケーション以外にもSNSやメールで連絡を取り合っているのに、なぜ、他者とつながれない不安や世界から取り残されたような孤独を感じるのでしょうか。その原因は、『人間関係・出会いの流動性(可能的な数量)の上昇』『リアルのコミュニティ機能の低下』に求めることができるように思えますが、端的に言うと“不特定多数の他者と知り合える可能性”がイメージされることで『人間関係の持続性・信頼感の低下』が起こりやすくなるということです。

インターネットの普及や地域コミュニティ(地縁血縁)の衰退、転勤・移住・海外体験の増加によって、『人間関係(出会い)の流動性』が急速に上昇したことで、『幼少期(児童期)から継続する友人関係』を思春期・青年期以降にまで延長できる可能性はかなり低くなりました。ネット上では“不特定多数の他者と知り合える・つながれる可能性”がありますが、リアル世界で“継続的な関係性の記憶(過去)を共有する人間関係”がない場合には、『この人でなければならないという持続的な代替不可能性』を感じる人間関係に全面的にコミットすることが困難になります。

環境や立場の変化によって確かに人間関係(友人関係)は次々と移り変わっていくのですが、『学生時代のどこかから続いている友人関係』と『大人になってからの友人関係』というのは多くの場合、“質的な差異”を抱えていて大人になってから『職場のつながりや利害関係と無縁な友人(属性や所属と無関係にプライベートでも付き合いたいと思う友人)』を見つけるというのは結構難しいと思います。仕事を辞めたら(職場を離れれば)もう個人的に連絡することも一緒に遊ぶこともないドライな関係というのが多く、どちらかが結婚して家庭を持っていたりすると、そこから同性同士にせよ異性相手にせよ『フラットで忌憚のない友人関係』というのは簡単には作ることが出来ません。

実際問題として、現代の都市部で働き生活する大人のかなりの部分は、家族・恋人以外に『この友人のためならば一定の自己犠牲を払っても良い・家族に近いほどの強い信頼関係(協力関係)にある』というような友人は恐らく持っていないのではないかと推測されます。通勤・仕事の時間や一日の疲労の大きさなどを考慮すると、ほとんどの人は会社に行って長く働いて、帰宅してから家族・恋人と少し話して明日の仕事のために眠る、という生活サイクルに一年の大半を囚われますから、よほど地域コミュニティ(昔からのつながり)が残っている地方の町村などでなければ『家族外部の私的な人間関係の環』というのは相当に狭くなるのです。

そして、都市部で生活しているとそういった昔からのつながりや縁というのは煩わしくて面倒なものになりやすく、知らず知らずのうちに『家族・恋人・仕事関連以外の人間関係』とは疎遠になり、一定の孤独感を感じていてもそういった『自由なネットワーク(必要最低限な煩わしさの小さい人間関係)』に居心地の良さを感じやすくなります。

現代社会ではそういった(仕事以外の)拘束の少ない『自由なネットワーク』と引き換えに『“地域コミュニティ・過去のつながり”とリンクした人的セーフティネット』を失ったとも言えますが……『自由なネットワーク』がリアルとウェブの二つの空間と結びつくことによって、更に拘束感とストレスの小さい『ウェブ・コミュニティ(不特定多数の匿名者で構成される非物理的コミュニティ)』が出現しました。

つまり、お互いが会いたい時にだけ会えて、話したい時だけに話せるというような、コミュニティを構成するすべての人にとって都合の良いバーチャルなコミュニティが出現したということですが、ウェブ・コミュニティの限界は『言語(文字)コミュニケーションに偏っていること・身体性と実名性が乏しいこと・関係をつなぎとめる制約の要素が極端に少ないこと』にあります。ウェブ・コミュニティはある一面では、人類が理想としていたストレスフリーで他者に拘束されない『自由なコミュニティ』なのですが、自分が相手から拘束を受けないように相手も自分から拘束を受けることはないので、極めて『出会いと別れの流動性(出会うのも簡単・別れるのも簡単)』が高くなり、安定した人間関係や自己アイデンティティを構築することは困難になります。

ウェブ・コミュニティはお互いがお互いに制約されず各人の自由意志による参加のみが支えるコミュニティなので、『住居・職業(仕事)・過去のやりとり(贈与-返礼)・経済状況』などによって制約されるリアルのコミュニティよりも気楽で儀礼的(慣習的)な付き合いに参加しなくても良いというメリットがあります。しかし、その分、相互扶助的な助け合いを期待できず、過去の贈与-返礼から段階的に構築される信頼関係が醸成されにくいという明確な限界性をウェブ・コミュニティは原理的に背負っています。

ウェブ・コミュニティでは、人間関係における大半の重圧や儀礼、面倒事から切り離されるのですが、『その相手と付き合い続けなければならない必然性(作為の契機)』に乏しいために、出会ったり話したりする相手は多い一方で孤独感が強まりやすくなります。ウェブからリアルに移行して関係を深めていくという方法はありますが、大半の人はウェブに閉じた気楽な人間関係で終わりますから、そこからは持続的で親密性や相互扶助のある人間関係が立ち上がってきにくいのです。

しかし、厳密には近代社会内部のリアルなコミュニティも相当に衰退しており、現代の都市部で生きる人たちの多くは『直接的な相互扶助(自分が個人的に困窮する他者を助ける心情的扶助)』には消極的で直接支援の係わり合いを煩わしく感じるようになっており、基本的には納税(財の再分配)を通して行政サービスに相互扶助を代替させる『間接的な相互扶助(個人的・情緒的な人間関係とは無縁な制度的扶助)』に依拠せざるを得なくなっています。

これは現代人が心情的に冷たくなったというような心理的要因よりも、『この相手のためには何でもしてあげたい=相手も自分が困った時には同じようにしてくれるだろうから』と自然に感じられるような環境的要因に根ざした暗黙の信頼関係の支えを得にくくなったからです。
端的には、『長期の時間軸』を貫いて存在するコミュニティ機能や『贈与-返礼の関係性』の規定力が既に完全に無くなりつつあるからです。

人に良くしてもらったら、それなりに良いことをして返してあげたいというのはおよそ人間の普遍的な心理ですが、こういった『贈与-返礼の関係性』というのはある程度の重圧や責任を伴いますから、多くの社会保障を国家・制度に委ねている現代人は、個人単位で贈与-返礼を繰り返そうとは余り思わなくなっているということもあると思います。

他人から親切に贈与を受けたら、それに見合う返礼をいつかしなければならないというのは厄介な心理的負担になってきますから、多くの人は相手が贈与を申し出てきても、『いやいや、そんなことまでしてもらわなくても大丈夫です・自分のことは自分でできますからお気遣い無く』と断ることで長期的に継続する人間関係の情的なつながりを敢えて持たないようにしているような面もあるでしょう。

その為、現代社会では個人の社会保障(セーフティネット)が『個人・親族-友人知人-地域社会』というような人間関係を経由することは殆どなくなり、『個人-納税・保険料-国家・自治体(社会保障制度)』というような相手への心理的負担を感じなくても良い合理的で無機質なセーフティネットを選好するようになったと言えます。今は社会保障制度の継続性などが懸念されてきてはいますが、こういった制度が上手く回る限りにおいて、大半の人は『感情的な負債を感じる生身の人間・コミュニティ』に頼るよりも『権利請求型の社会保障制度・国家の保護』に頼るほうがかなり気分が楽になり『申し訳なさ・気まずさ』を感じなくても済むという心理的メリットがあります。

今では、血のつながった肉親の介護でも公共・民間の介護サービスを活用した『間接的な相互扶助』に頼るしかないというケースも増えており、人員的(家族の規模的)にも現実的(家族以外の人間関係の乏しさ)にも『実際の知り合いだけのコミュニティ』が十分に機能する場面は相当に小さくなってしまいました。

これから何の制約も無くリアルやネットで新たな関係を作ろうとする場合には、『この人でも良いがあの人でも良い』という選択の自由がありますが、それは同時に『絶対にこの人でなければならない』という確信を弱める作用をもたらすわけです。『絶対にこの人でなければならない』という代替不可能性は、通常、『過去のコミュニケーションの積み重ね』『お互いの記憶・体験の共有』などによって段階的に形成されてくるものです。ですから、新たな相手と出会ってすぐに短期間で代替不可能性の確信を得ることは、『主観的・直感的な思い込み』『よほどの相性の良さ』が無い限りは難しくなります。

過去の体験や記憶を共有している“昔からの知り合い”や知人の紹介で知り合った“人的接点のある相手”であれば、『相手との関係性』に一定の必然性が生まれるわけですが、知り合おうと思えば幾らでも誰かと知り合える『出会いの流動性』が高い情報化社会では、こういった必然性(人的接点)を『しがらみ・不自由さ』として敬遠する人たちも出てきます。

『しがらみ・不自由さ』を逃れてゼロベースで新しい人間関係を構築していこうとするのは良いのですが、そこにもまた『出会いの流動性の問題』が関わってきます。知り合ってから暫くは相手と性格・価値観が一致して楽しく付き合えていても、『相手の意外で不快な一面=自分と合わない部分』を知った時に、関係が破綻しやすくなるということです。『この人じゃなくてもいいや・無理してまで付き合おうとは思わない』という関係性に陥る心理には、探そうと思えば他にも色々な相手と知り合えるという『出会いの流動性の高さ』が影響していますが、こういった『他者の代替可能性』の認知(人間観)が強まることで継続的な人間関係を作りにくくなってきます。

他者としっかりつながっていないという『不安感』や自分は誰とも深く理解し合えないという『孤独感』を乗り越えるためには、付き合おうとする相手を『代替可能な属性・記号』ではなく『代替不可能な固有名の人格』として受け止めていく必要があります。『代替不可能な固有名の人格』として他者と付き合うためには、『この人でもあの人でもどちらでも良いという流動性の高さ』を否定して、『この人でなければならないという決断・自己定義』が必要になってきます。

代替不可能性の認識に自然に至るには、『過去の記憶・感情・体験の共有』『関係性の持続に対する信頼感』が求められるのですが、つながれない不安感や孤独感を回復する『深くて親密な関係』には、必然的に情緒的なしがらみや責任感の重み(不自由さ)がつきまといます。相手の“ある時点”における長所や魅力にばかり注意を向けて付き合おうとすれば、その長所やメリットが無くなった時に関係が解消されることになり、『代替可能な属性・記号』に堕落して孤独感や不安感が強まってしまいます。

自分にとって『その相手でなければならない』と感じ、相手にとって『自分でなければならない』と思って貰える時に、人は『深くて親密な人間関係』によって他者とつながれない孤独や不安を克服することができます。しかし、『温かく親密な人間関係』を実現するためには、『しがらみ・不自由さ・相手の短所』を受け容れた上で、『過去の関係性やコミュニケーションの経緯=二人の物語的な記憶』を積み重ねていかなければなりません。

相手の魅力や長所といった『可変的な属性』を好きになるというレベルでは流動性の高さ(他にも魅力的な人がいるという潜在的可能性)によって関係は終わりやすくなりますが、相手との関係性やコミュニケーションの履歴にある種の愛着を抱くことで『不変的な固有名(人格存在)』としてお互いを持続的(物語的)に承認できる可能性が生まれてくると思います。






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