“ウェブの大衆化・リアル化”でハイカルチャーな理想社会・知的生産性のベクトルから逸れたウェブ

中川淳一郎さんの『ウェブはバカと暇人のもの』という著作を巡る幾つかの記事を読みましたが、小飼弾さんの『梅田望夫と中川淳一郎の共通点 - 書評 - ウェブはバカと暇人のもの』という記事を読むと、ウェブの凄さを『ウェブが誰のものでもないこと』に求めています。


この二人がわかっていなこと。それは「だれのものでもないもの」。

パブリック、と言い換えてもいい。

ウェブは The best and the brightest のものでも、バカで暇人のものでもない。ましてやあなたのものでもないし、私のものでもない。

だからこそ、 The best and the brightest も、バカな暇人も、あなたも私も使うことができるのだ。


ウェブにバカと暇人が多いのか否かの定量的研究があるかは知りませんが、ウェブの特徴として『中央集権的な管理機構』『選別的な排除性』を持たないということがあり、原理的にはすべての人間(国民)がアクセス環境と通信費用があればウェブに参加して利用することができます。

日本国内で数千万人以上の国民が利用するウェブは、ユーザーの能力・知性・アイデア・教養などのレベルでは統計学的に『正規分布曲線』に近づくはずですが、すべての人がウェブで真面目な公共的意義のあるコンテンツを読み書きするわけではないという限界があります。そのため、『娯楽・息抜き・コミュニケーション・日記・出会い』など適当なスタンスでウェブに接する人は、潜在的な能力や特技があってもそれをウェブ上で発揮することはないですし、そもそもウェブ上で表現できる能力・特技には偏りと限界があります。

ウェブ上で表現できる『能力の偏り』というのは言語的知性やウェブ技術に偏っていること、『特技の限界』というのは身体能力や社会的成功・地位をウェブ上では確認できないことですが、逆説的にこれがウェブの自生的秩序を形成する根拠にもなっているように感じます。

ウェブには『身体性』が無く『匿名性』が強いために、民主的な近代社会が理想とした『物理的暴力の完全排除』を強制力を用いずに実現することができ、『言論の自由(表現の自由)』『社会的・職業的な制約(言いたいことを言えない立場的な弱み)』との間に一定の距離を置くことができるからです。このメリットは、統制的な独裁国家(軍事政権)で人権や言論の自由が抑圧されているような国民ほど大きくなりますが、こういった自由の拡大による政権批判を恐れて中国やミャンマーではネットの監視・規制が進められています。

しかし、『物理的暴力・社会的権威の完全排除』によって起こる副作用として、実名で参加する著名人(有力者)の失言や自己顕示に対するバッシングが起こりやすいということがあり、そういったバッシングや乱暴な言葉遣いの批判を恐れて、現実社会で活躍する第一線の著名人(権威者)がウェブ上で発言しにくいということがあります。

梅田望夫さんが『日本のウェブは残念』といった由縁もこの辺にあるのかもしれませんが、ウェブには『上の人』が積極的に参加するインセンティブが乏しく、また大半のウェブユーザーが『上の人(権威ある知識人・科学者・有力者・経営者)』の登場に、人気のある芸能人を除いてはそれほど期待していないということもあるでしょう。アメリカでも大企業のトップ100に入るCEOの9割は、ウェブ上のブログやSNSをほとんど利用していないというようなニュース記事を見かけた記憶があるので、IT関連の業界以外では日本もアメリカも似たような事情を抱えているようですが。

日本では『専門家集団のコミュニティ・政治的討論が交わされる公共圏・ウェブの巨大ビジネスへの応用性・現実社会へのウェブの影響力』が目立ちにくく、大衆娯楽的なコンテンツや話題が取り上げられやすいということはあるかもしれませんが、各業界の一流の権威や最先端の成果であるかはともかく、各業界の関係者でそれなりのインテリジェンスと有用性を感じられるコミュニティ・議論というのも探せばあることはあります。

『ウェブ社会』『現実社会』に近接すればするほど、必然的にウェブ上のコンテンツやトピックは『大衆化・ゴシップ化・猥雑化の影響』を受けることになりますが、それはウェブだけがバカと暇人のものであるということを意味するものではなく、社会全体の平均的な興味関心や欲求のベクトルが大衆娯楽的なものに向かいやすいという『傾向としての事実』を示しているに過ぎないのではないでしょうか。

『ウェブはバカと暇人のもの』という本を書いた中川淳一郎さんは、以下の日経ビジネス Associeの記事を読むと、バカと暇人という言葉を必ずしも誹謗的な悪い意味合いで使っているわけではないようです。


明るいだけのネットの未来を説くのはもうやめよう 「ネット敗北宣言」の本当の意味【2】

ただし、「ネット敗北宣言」はこう捉えられるのも仕方ない「釣りタイトル」だ。私はネットは全然敗北していないと思うし、これからもネットを盛り上げていきたいと考えている。本では別に「ネットはテレビより影響力が低い。だから負けたのだ」という単純なことを言いたかったわけでもないし、旧来メディアとの比較をしたかったわけでもない。『ウェブはバカと暇人のもの』の192ページでも「そろそろネットを4媒体の延長と考えるのはやめるべきでは?」と提言している。マスとネットを完璧に切り分けて考え、両者をいかに効果的に使い分けるかを提案したのだ。

良いタイミングで「一抜け」した梅田氏 「ネット敗北宣言」の本当の意味【3】


ウェブの全体としての趨勢が、『エリート文化的なもの(現実社会を主導する原動力)』に向かっているのではなく、『大衆文化的なもの(マスメディア的娯楽や社会批判のガス抜き)』に向かっているということを刺激的なフレーズで表現しているわけですが、現実のビジネスや政治、学問を劇的に進化させるという側面においては確かに現状のウェブは物足りないと感じます。

しかし、ウェブの可能性を『権威主義的価値認識(序列関係)の解体』『精神的自由(発信能力)の向上』『ワークスタイルの多様化』に見るならば、その真価が発揮されるのはまだこれから先のことのようにも思えます。ウェブの特殊性というのは、現実社会の秩序や他者の態度を強制的に規定してしまう『権力‐財力・所属組織内のポジション』を相対化してしまうことであり、『自分個人の意見・主張・判断』を直接的に表現しやすいということです。

実名の著名人・知識人であれば自己の率直な主張・見解に対するバッシングや誹謗中傷の苦痛は大きくなる恐れがありますが、それでも発言の自由そのものが奪われるわけではなく、『道徳的・感情的な価値判断』と関わらない専門分野で有意義な研究成果の発表などをすることはできると思います。逆に言えば、道徳や感情が絡む『単一の正しい答え』がない主観的な話題では、権威あるプロフェッショナルがしても匿名のアマチュアがしても大差がないわけですから、専門家や著名人は自分にしかできない専門的な話題や客観的なファクトについて語れば、理不尽な非難・攻撃を受ける恐れは無いのではないでしょうか。

一方で、長期的には生産効率の上昇や労働形態・消費スタイルの変化と合わせて、『階層序列(権威性)・政治統治(強制力)・労働観念・他者(異質な相手)への暴力性・学習方法』にまつわる人間の意識改革をもたらすという可能性がウェブには内在しているように感じます。『ウェブは誰のものでもない』という原則が守られていればという前提の元での話になりますが、ウェブのツールは大衆文化の娯楽性と多種多様な言論空間の生成を通して、人間のライフスタイル(時間消費の配分)や政治的・職業的意識の変化(権威・役割への心的な従属性)に良くも悪くも大きな影響を与えることになるでしょう。






■関連URI
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■書籍紹介

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)
光文社
中川淳一郎

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