世界宗教と性愛の禁忌,少年愛(同性愛)の歴史と共同体の秩序:『破戒と男色の仏教史』のプロローグ

世界宗教の聖職者は『異性との性愛』は禁忌とされていることが多く、男性原理に根ざしたキリスト教やイスラム教では『快楽・女性の性的魅力』を罪悪視する傾向が強い。キリスト教やイスラム教は男性中心主義の宗教であり、特に女性の自由な性愛に対する規制が強く、ローマ・カトリックのローマ教皇は今でも『生殖につながらない性・避妊の実施・婚前交渉』に批判的である。

イスラーム圏の一部の国では『姦淫の罪』に対する差別的な刑罰が残されていたり、男性の性欲を喚起する『女性の身体性』を悪魔の誘惑と解釈して、公的空間で肌を見せてはならないという服装の慣習的規範が根づいていたりする。宗教の多くは『セクシャリティ(性的事象)』を無視することができず、『性』に対する振る舞い方を教義や戒律、宗教法で規制してきたが、それは霊長類の進化の延長戦上にあるヒトの社会秩序や精神的苦悩の根底に『性的欲求の亢進・充足・解消』が関係しているからである。

一神教の世界観では、ヒトは霊長類(動物)とは別個に『全能の神』によって創造されたということになるが、インマヌエル・カントの『定言命法』のように本能的欲望を理性によって統御できる『道徳的な自由』にこそ、動物とは異なる人間の尊厳や敬虔な信仰が宿ると考えたのである。前近代社会の人間の性愛は、他の動物とは違って『生殖本能・弱肉強食』のみで性選択が行われるわけでは無く、異性と性的関係を持つ場合の大枠のルールは『婚姻の規範・宗教の規範・身分の階層秩序・社会道徳(村落社会)の慣習』によって与えられてきた。

しかし、社会の近代化・自由化が進むと、合理的根拠を持たない性道徳・慣習の規範は衰退して『双方の合意・恋愛感情』のみで性関係が結ばれるようになり、社会の慣習や宗教の戒律によって自己の異性への欲求(恋愛感情)を抑圧する必要性は乏しくなった。本書は、現代から過去の仏教史を概観して、僧侶の『持戒と破戒の葛藤』を歴史資料を元に明らかにしているのだが、特に『僧侶の男色=少年愛(不邪淫戒の破戒)』に注目してページを割いている。

日本では江戸時代以前の安土桃山時代までは『男性の同性愛=衆道・男色』は珍しいものではなく、戦国時代には織田信長や武田信玄、上杉謙信をはじめとして名だたる武将が男性(家臣・小姓・少年)を愛したとされる。武将の多くは男性だけではなく女性も同時に愛する『バイ・セクシャル』であったが、戦乱が多く共同体防衛のために男性の団結(友愛に基づく信義)が必要であった時代には、洋の東西を問わず同性愛の風潮(同性愛の慣習的な制度化)が広まる傾向が見られた。

古代ギリシアでは市民や哲学者から『少年愛(パイデラスティア)』は異性愛以上に高潔で倫理的なものとして愛好されていたが、これは性的嗜好に基づく少年愛ではなく、青年教育の通過儀礼(イニシエーション)を目的とする『市民の義務』としての少年愛だった。古代ギリシアのポリスでは市民全員が戦士として『防衛・軍事の義務』を持っており、戦士社会で年長者の戦士が、青少年の戦士を軍団の一員として迎え入れて教育する(徳のアレテーを身体を媒介して授与する)という意味での『少年愛』が慣習的・文化的に制度化されていた。

古代ギリシアの慣習的に制度化された『義務としての少年愛』は、現代的な『性的嗜好性を満たすのみの少年愛』と同列に論ずることはできない。中世の西欧社会では、性的禁欲を道徳規範とするカトリックのキリスト教会や終身独身を誓う修道院でも『少年愛・同性愛』が暗黙の了解として看過されていた。10世紀前後の中世期には、キリスト教の教会でも日本仏教の寺院でも、『建前としての禁忌』と『本音としての性欲』の分離が水面下にあり、性的な破戒行為は多く行われていた。女性を排除した男性だけの宗教共同体では、『同性愛・少年愛(稚児愛)』は幾ら罪悪視して禁じていても発生する可能性が絶えずあるが、現代でも時に、性的な戒律が厳しいはずの聖職者が子どもに対する性的虐待の廉で告発されることがある。

国力増強・人口増加を効率的に進めたい初期の近代国家では、妊娠出産(兵力の強化)につながる『異性愛(ヘテロ・セクシャル)』だけを正常として、生産性の乏しい『同性愛(ホモ・セクシャル)』を異常とする道徳規範が普及している。そのため、近代社会で生きる人々の多くは潜在的なホモ・フォビア(生理的嫌悪・心理的軽蔑を伴うホモ恐怖症)に近い状態になっているが、人類の歴史を振り返れば同性愛が格別に異常視されたり侮蔑された時代というのは短かったと言える。

本書では、鑑真(688-763)によって753年に日本にもたらされた『律宗』の厳格な戒律(四分律)が護持されていた古代仏教(鎮護仏教)から、戒律が形骸化して『男色・女犯・飲酒・武装(僧兵)』の破戒が当たり前になった中世仏教までの歴史を読み解き、忍性(にんしょう)と叡尊(えいそん)による戒律復興運動についても詳しく説明している。性的な禁欲を説く閉鎖的な宗教集団では、女性との性的な交わりを断ち切る代わりに、男性・少年に対する性的な交わりが暗黙の了解で容認される事態が度々起こるが、近代以前の男尊女卑的な価値規範では、女性を『不浄・血の穢れ・不正な誘惑』と結びつける偏った考え方があったことも『男色の免罪』と関係している。

そもそも大多数の男性の僧侶は、戒律を受けていても生理的な去勢を受けているわけではないので、自慰と性交の双方を断ち切って修行・学問に徹することは不可能であり、『不邪淫戒の破戒』について女性でなければ良い、稚児(少年)は清浄なので交わっても心が汚されないというご都合主義なロジックを作り上げていった。宗教的に厳格な性の禁圧がある時には、往々にして『規制対象とならない例外的な性行為』という抜け穴が作られるものだが、処女崇拝(純潔思想)に基づいて婚前交渉・不貞行為を処罰するイスラーム圏の地域でも、性器性交でない口腔・肛門の性行為ならば違反にはならないという解釈が成り立ったりするシニカルなところがある。

次の記事では、『破戒と男色の仏教史』の書評を書いていきます。






■関連URI
親鸞の『悪人正機』で悪人はなぜ救済されるのか?:他力本願の“浄土門”と自力救済の“聖道門”

衆生救済の鎌倉仏教の成立に至る仏教史の流れと“戒律・修行の価値”を相対化した天台本覚思想の影響

近代産業社会の労働道徳と『脱俗の聖域・無欲の聖性』を生み出した前近代的な宗教(仏教)の禁欲道徳

■書籍紹介

仏教と性―エロスへの畏怖と差別
三一書房
源 淳子

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 6

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い 面白い 面白い

この記事へのトラックバック