佐藤賢一『カルチェ・ラタン』の書評:青年ドニ・クルパンの“自立”に向かう友情と性的成熟の物語

パリ有数の資産家クルパン水運の次男であり、純情過ぎるが故に女性が苦手なドニ・クルパンとパリ大学神学部が輩出した女好きの俊英マギステル・ミシェルの友情を中心にして、16世紀パリの『キリスト教改革(神学論争)』『男女の性愛の葛藤』を小説化した作品である。

冒頭の序文では、ドニ・クルパンは類稀な業績を残した偉人の『大ドニ』として言及されているので、読者はまず16世紀パリに生きた優秀で欠点の少ない偉大な人物の伝記を読ませられるのかという先入見を植えつけられる。しかし、実際に本文を読み進めていくと本書『カルチェ・ラタン‐ドニ・クルパン回想録』は、そういった紋切り型の偉人伝などでは全く無くて、繊細な感受性と小心な用心深さを持つ童貞のドニ・クルパンが精神的にも性的にも『一人の男』として自立する過程を活写したエキサイティングでコミカルな物語である。

ドニ・クルパンの父親はパリで有数の大きな水運会社を経営していて、ドニはその家柄と財力を誇りに思うと同時に、その声望に見合わぬ自分の臆病さや優柔不断、女性への苦手意識に密かな劣等感を抱いている。そのドニの親友として登場するのが、パリ大学神学部一の英才であると同時に堕落した不良学生としても知られている長身で美男子のマギステル・ミシェルであり、マギステル・ミシェルは高位聖職者を目指せる神学エリートの位置にありながら、次々と魅力的な彼女を取り替えるような遊び人でもあった。

当時の不良青年の多くは売春宿で童貞を捨てていたが、ドニ・クルパンは『姦淫を戒めるキリスト教の信仰』を建前の理由として、意中の女性に告白しては振られながら性的潔癖を守っていた。小説の初めで、ドニはミシェルの彼女で印刷屋を経営している魅力的な未亡人のマルト・ル・ポンの裸体を偶然目にして赤面する。旦那を亡くした未亡人のマルト・ル・ポンは予想を遥かに越えた美人であり、ドニは半ば一目惚れするのだが、友人ミシェルの彼女ということもあり、ドニは浮気性で無責任なミシェルがマルト・ル・ポンを不幸な境遇にしないように何かと世話を焼き苦言を呈したりする。

学問の自由と若者の放埓(欲望)が溢れる町の『カルチェ・ラタン』で、ミシェルは“マギステル(先生)”と尊称されて、パリ大学で大きな期待を集める卓越した英才であったが、不良学生の中でも一目置かれる名前の知られた人物であった。クルパン一族のコネで夜警隊長の職を得たドニ・クルパンは、マギステル・ミシェルの推理・調査・人脈の助けを借りて、色々な事件を解決していくのだが、そこにキリスト教の神学論争や二人の異性関係が複雑に絡み合って独特の世界観を生み出している。

キリスト教布教の転機ともなる『イエズス会の創設』も物語の途中で自然に書かれている。豪放磊落な性格でキリスト教カトリックの普遍性を復活させようとする軍人出身のイグナティウス・デ・ロヨラが生き生きと描かれ、神学に精通した冷静なエリート学僧として若き日のフランシスコ・ザビエルが登場してくるのだが、ドニは誠実で経験なザビエルとも親交を結んでいく。カトリックのキリスト教会の世俗化による堕落というのも繰り返し語られるのだが、その一方でマルティン・ルターの宗教改革によって生まれたプロテスタンティズムの堕落やカルト化というのがこの物語の一つのクライマックスになっている。

スイスでラディカルなプロテスタントの宗教改革を指導することになるジャン・カルヴァンは、『異端信仰』を持つ人物としてパリから追放されている。後に、極度の禁欲主義と原点回帰を強制するようになるカルヴァンは、暗くて温かみに欠けた性格を持つ硬直的な人物として描かれている。『カルチェ・ラタン』には、免罪符の販売や戒律の軽視に走るカトリック教会を改革しようとする熱意に溢れた優秀な学僧が多く集まっていたが、マギステル・ミシェルは教会の権威・利権を否定して『聖書主義』に立ち返ろうとする『プロテスタンティズム』とは異なる方法で、教会改革や神学の再解釈を成し遂げようとしていた。

本書のメインストーリーは、ドニ・クルパンの友情と恋愛(性愛)であるが、そこに神学論争や宗教改革の歴史のエッセンスが組み込まれることで、青春小説(恋愛小説)の妙味と歴史小説の重みが程よく融合されている。童貞のドニ・クルパンは、初め17歳で処女のベアトリス・ファヴィエに純粋な恋愛感情を寄せるのだが、この恋愛感情はカルト化した新興宗教の罠によって無惨に打ち砕かれ、余りにも悲惨な失恋をすることになる。

ドニ・クルパンが信じていた異性関係におけるカトリック的な価値は『純潔・貞節・無垢』といった処女性(童貞性)であり、ドニはベアトリスとの恋愛の進展を急がずに、ゆっくりと身体の関係を持ちたいと考えていたのだが、女性の扱いに慣れたミシェルはとにかく急いでベアトリスを抱けとアドバイスする。そこに不純な欲情を感じたドニは即座に『ベアトリスはそんな女性ではない。僕は彼女と結婚を考えているのだ』と反論するのだが、ミシェルは『早めに抱かないと、手遅れになりかねない』という不吉な言葉を残す。

ミシェルの下品な助言に激昂したドニは絶交宣言をするのだが、あんなに愛し合っていたはずのベアトリスは突然失踪して姿を晦ましてしまう。ベアトリスを失い悲嘆に暮れるドニをよそに、次にサン・テスプリ学寮でベアトリスと再会した時には、かつての貞淑で控えめな彼女の姿は微塵もそこに残っていなかった。ドニが早く男女の関係に踏み出さなかったことで、ベアトリスはミシェルが予告したように手遅れになる異常な信仰の道へとはまり込んでいた。正気を失って複数の男女と絡み合うベアトリスの姿を見て、ドニは絶望して泣き叫び『もう立ち直ることができない』とミシェルに語るのだが……パリの信仰を次第に侵食する新興宗教にはミシェルが尊敬する学術上の師であり俗物主義を嫌悪するハインリヒ・ゾンネバルトが深く関与している。

ドニとミシェルは、自らを神格化して無知な人々を『邪教の暗黒』へと追い込むハインリヒ・ゾンネバルトの新興宗教に立ち向かっていき、ドニは恋に恋した夢想的なベアトリスとの関係を乗り越えて、本当に心から敬意を持って愛することのできる女性と結ばれることになる。ミシェルが不実で奔放な異性関係を持つようになった『原点(原罪)』の解明というのも一つの読みどころであるが、ドニは『身体的な処女性・性的な貞潔性への潔癖過ぎるこだわり』から解放されることによって、今まで見えなかった異性関係の真の価値、自分が求めていたものが見えるようになる。

それは『男の浅ましき欲求』を受け容れてくれる女性の聖母性への気づきであり、それとは対極的に『女性の過去』さえ許せずにこだわる自分(男性)の矮小さ・自己中心性への自省であった。愛する人の『過去』にこだわって自分に正直になれない愚かさや卑小さをドニは思い知り、処女でも初婚でも相応の金持ち令嬢でもなく、クルパン家の家柄に相応しくもない女性を最後に選んだ。

カトリック教会が『消えない罪』と定義した過去の品行や生来の原罪を、ドニ・クルパンは自身の剣(自由意志)によって粉々に破壊し、『今・ここからの関係性』にすべてを賭ける人生を受け容れる覚悟を固めた。男と女との関係性において本当に大切なものは何なのかを、『性愛の葛藤・過去への固執』を通して考えさせてくれる小説であり、過去と他者に対する『赦し・受容』の重要性が示唆される。

そこには『泣き虫ドニ』と揶揄された臆病で優柔不断な童貞の青年の姿は既に無かった。『偉大なるドニ・クルパン』としての自立を始めた男の周りからは、未熟な彼を温かく支えてくれた親友のミシェルもイグナティウス・デ・ロヨラもフランシスコ・ザビエルもその姿を消した。それぞれがそれぞれの信じる苦難の道に向かって、サン・ジャック門から力強く旅立ちの一歩を踏み出したからである。






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■書籍紹介

カルチェ・ラタン (集英社文庫)
集英社
佐藤 賢一

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