トマス・ロバート・マルサスの『人口論』による人口動態と道徳的反発:食料資源と人口増加の限界

人口が増え続けることの問題は、『食糧・エネルギー資源の不足』『地球環境の破壊・汚染』『資源を奪い合う戦争・紛争のリスク』などにまとめることができる。経済的・文化的な生活水準などを度外視すれば、人口増加の限界は『居住可能な土地面積・食糧と水の資源』によって求められるが、地球の土地も食糧も水も有限なので、地球上で現状レベルで生活可能な人口は100億人前後ではないかと推算されている。

食糧・エネルギーの増産には技術的なブレークスルーがあるかもしれないが、地球上の土地そのものは増やすことはできないので、いずれにせよ『人口の増大』によって『国家の繁栄・経済の成長』を実現するという前提にはどこかで無理がくる。少なくとも現段階の科学技術や生産能力、再分配の制度設計、国家単位の政策では、地球上の70億人近い人間が、先進国の人々の消費生活レベルにまで経済的・物理的な生活水準を向上させるのは不可能と考えられる。資源・エネルギーの総量と地球環境への負荷を考えると、70億人すべての人間が無駄な浪費の多い消費文明社会に生きることは難しそうであるし、物理的な量の制約以前に政治的・宗教的・民族的な対立や混乱といった解決困難な障壁も多く残っている。

人口と食料資源のバランスという観点から、人口増加を懸念した19世紀初頭の古典的理論にトマス・ロバート・マルサス(Thomas Robert Malthus, 1766-1834)『人口論』がある。マルサスは『人口』は幾何級数的(等比数列的)に急速に増加するが、『食糧生産』は算術級数的(等差数列的)に徐々に増加するので、人口と食糧生産(生活必需品)との間に必然的に不均衡が発生して、人口は食糧生産(社会の生産力)に合わせて何らかの方法で自動的に調整されると述べた。

T.マルサスが1798年に発表した『人口論(将来の社会改善に対する影響)』は、18世紀の牧歌的な進歩主義や予定調和による永続的繁栄を否定するという意味で『陰鬱な科学』と呼ばれた。マルサスの人口論は、人間の自然な生殖本能に従った結果としての『人口増加』を食糧不足と貧困問題を招く災厄として解釈したが、意図的・政策的な人口抑制は当時のキリスト教道徳にも反していたため、『悪魔の理論』と非難されたりもした。

マルサスは人口が過剰になって食料資源(生活必需品)が欠乏すると、破滅的で偶発的な『積極的妨げ(貧困・飢饉・戦争・疫病)』か計画的で欲求抑制的な『予防的妨げ(晩婚化・非婚化・避妊・堕胎など出生の抑制)』によって、自動的に人口が社会の生産力に見あった数にまで調整されると想定した。マルサスの主張は人間の大量死をもたらす偶発的・人為的な事象を肯定する危険思想の一種と見なされることも多かった。

社会階級の流動性が低かった当時のイギリスで、マルサスは救貧法・労働者向けの安価な住宅建設は『貧困の再生産』をもたらすだけで、福祉政策に彼らを豊かな生活にまで引き上げる力はないと語ったので、更に社会全体から厳しい道徳的非難を受けることになった。マルサスは極度の貧困や階級的な不平等を、人口過剰の状態を調整する必要悪のように捉えていたので、弱者救済・慈善事業・社会改良のヒューマニスティックな観点からも多く批判を受けた。

産業が未発達な当時の労働者や小作人が置かれていた生活状況はかなり悲惨で貧しい状態であり、マルサスには労働者・小作人の『早婚・多産』が次世代の貧困を再生産しているように見えたが、子どもと夫婦生活を生き甲斐とする労働者や労働者を必要とする産業資本家から見れば、マルサスの説は余計なお世話以外の何ものでもなかったからである。

いずれにしても、貧困と人口、低賃金労働の問題に踏み込んで人口増加の抑制を説くマルサスの理論は、当時のどの階級の人間にも危険視されると同時に道徳的・宗教的な軽蔑の対象となったが、これは現代でも多くの国々では人権上・宗教上のタブーに属する主張と言える。先進国・新興国では『家族計画(未来予測・避妊技術・経済力に基づく家族数の意識的調整)』というキーワードが普及したこともあり、人口増加と経済成長のアンバランスを恐れた中国などでは一時期『一人っ子政策』が強く唱導・実践されたこともあった。

マルサスの食糧資源(社会の生産力)の限界量に基づくシンプルな人口調整仮説は、産業革命以前の前近代社会(農業経済社会)の『積極的妨げ(飢餓・貧困・戦争)』に対しては当てはまる部分も多く一定の説得力がある。しかし、近代~現代社会では少なくとも、食糧資源の枯渇を理由として『予防的妨げ(意図的な出生の抑制)』が起きているわけではなく、『最低レベルの生活水準と教育水準の向上・高学歴化や職業の専門化による育児コストの増大・ライフスタイル(娯楽活動)や価値観の多様化』によって予防的妨げが起きていると推測される。

次の記事では、マルサスの人口論と現代の先進国の少子高齢化現象の『経済的・心理的要因』について考えてみようと思います。






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■書籍紹介

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