認知療法による非合理的思考や悲観的な思い込みの改善:ネガティブな自己アイデンティティの問題

認知療法や論理情動行動療法は、『不快な気分・苦痛な感情・意欲の喪失』を生み出す非合理的思考(irrational belief)に着目して、自分で自分を苦しめて絶望させる『認知の歪み(cognitive distortion)』を修正するところに特徴があります。私たちが精神的ダメージを受けたり他者に抑えがたい怒り(不満)を感じる原因は、常識的には『客観的な現実・事象』にあると考えられていますが、『非合理的思考』をセルフモニタリング(自己観察)すると、『客観的な現実(出来事)の受け止め方』には複数の選択肢があることに気づくことができます。

他者から非難(拒絶)されたり、嫌な出来事に遭遇したりすれば、誰でも精神的ダメージを受けて落ち込んだり激昂したりする恐れはあるわけですが、『ストレス状況で受ける精神的ダメージの大きさ』には非常に大きな個人差があります。人から悪口を言われたり重要な試験(面接)に失敗したりして、自殺を考えてしまうほどに深く落ち込む人もいれば、少し落ち込んだとしてもすぐに元気を取り戻せる人もいるわけですが、一般的にはこの個人差は『性格傾向(感受性の繊細さ・ストレス耐性・積極性や社交性)』に原因が求められています。

自己主張が強くて積極的な性格や他者の侮辱を許さない厳格で攻撃的な性格、明るくて社交性がある楽観的な性格などによって、『他者の攻撃・悪意(侮辱)』を受けにくかったりすることはあるし、『精神的ダメージからの回復のスピード』が早かったりもします。人の基本的な性格特性は変えられないと言われますが、性格形成には『生得的素因』『経験的要因』が相互に関係しており、生まれながらに遺伝的に規定される『体質・気質』は変えられなくても、経験的に獲得してきた『信念・思い込み』は変えることができます。

認知療法や論理情動行動療法が変えようとするのは、自己破滅や不幸の実感、無気力(抑うつ)を導く『信念・思い込み』であり、この不適応な信念や認知(考え方)のことを非合理的思考(irrational belief)と呼んでいます。性格の認知的要因を変容させるというのは言葉にすると簡単なようにも思えますが、非合理的思考(非論理的思考)は『自動思考』とも呼ばれるように、本人が思考内容を検証する前に反射的かつ自動的に『自分で自分を苦しめる考え方』が頭の中に浮かんできます。

長年の不快な経験やネガティブな世界観によって染み付いてしまった『物事の見方・人間に対する構え』が自動思考の反射的な生成に関わっており、特別に意識して非合理的思考を変えようと思わなければ、自分を苦しめて不幸にする考え方であっても“この考え方は間違っているのではないか”という違和感を感じることはないのです。そして、社会生活や人間関係に支障を来たさないレベルの『非合理的思考』というのは多かれ少なかれ誰にでも起こり得るものであり、人間は本質的に『つらくて苦痛な状況・悲しくて孤独な状況』に置かれると、その心理状態からすぐには離れようとしない傾向があります。

苦しくて悲しくなるだけなのに、そんなことを考えても仕方がないのに、と薄々頭の中で気づいていても『ネガティブな悪い方向への非合理的思考』を進めてしまい、過度に自分の存在を否定するか、一方的に周囲の社会環境(他者)を憎悪するかしてしまいやすくなります。なぜ、人は非合理的思考を用いて『苦痛で悲惨な気分・悲しみや怒りの感情』に留まり続けようとすることがあるのかの理由は様々ですが、自分で自分の不遇(不幸)を慰撫する『自己憐憫』や自分以外のモノに失敗(苛立ち)の責任を求める『責任転嫁』には、新たな問題解決に直面しなくても良いという“現状維持の心理的メリット”があります。

自分の悪い部分や欠点ばかりに焦点を合わせる悲観的な『自己否定(自己嫌悪)の認知』は自分の性格や能力を厳しく否定しつつも、『どうせ何をやっても無駄である・挑戦して失敗するなら何もしないほうがマシ』という非現実的思考によって“新たな挫折・失望(本気でチャレンジして失敗する傷つき)”から自分を防衛している側面があるわけです。『可能性・選択肢の自己放棄』によりネガティブな自己アイデンティティを固定すれば、少なくとも今以上のマイナスの心理状態を経験しなくても良いのですが、これは逃避的な減点法の自己アイデンティティであり『未来の幸福や喜びを得る機会』まで奪ってしまうという問題があります。

どうせ前向きに何をやったって無駄だという『ネガティブな自己アイデンティティ』を確立してそれを防衛することは、一般的に不快で屈辱的なものですが、人は時に『可能性・選択肢がない決定論的な状況』のほうが何となく居心地が良いと感じることがあります。しかし、それは非合理的思考によって導かれた『自己欺瞞(自分の欲求や希望の抑圧)』を孕む(はらむ)相対的な居心地の良さに過ぎないので、ネガティブな自己アイデンティティを不本意に“自己証明”するような生き方をしていると、ストレス反応の心身症状や自己否定的な抑うつ感・無気力(うつ病の精神症状)などが起こりやすくなってしまいます。

『どうせ自分は何をやっても無駄(ダメ)だからこのままでいいんだ』という非合理的思考を表面的に信じ込んでも、本心からその思考を信じきることは困難だということですが、ネガティブな自己アイデンティティを変容させるためには『過度の一般化』『完全主義思考(べき思考)』『過大評価・過小評価』などの認知の歪みを修正していく必要があります。

『過度の一般化(over generalization)』とは、過去の何回かの失敗(挫折)を一般化・法則化してしまうもので、過去に試してみてダメだったことは今やってもダメだと決め付けたり、恋愛や結婚に失敗したりして『男(女)というものは~に決まっている』というように『属性に基づく偏見(思い込み)』を固定化してしまうことです。過度の一般化とは『限定的な部分』から『無限の全体』を非現実的に推測して決め付ける認知であり、『目の前にある現実の問題や多様な人間』に真剣に向き合おうとせずに、自分の過去の限定的な経験から『否定的な結論』を前もって出してしまうので、『目的達成への新たなチャレンジ・試行錯誤』をするとっかかりを失いやすくなります。

『完全主義思考(べき思考)』の認知の歪みでは、白か黒かというような極端な二分法の思考にはまり込みやすくなり、『一切のミスがない完全な成功(完全な満足をもたらす結果)』が得られないのであれば努力しても意味がない、というような非合理的思考に行き着くわけですが、『完全な理想の結果が得られなくても、少しでも前進や変化があれば何もしないよりは良い』という現実的な要求水準を設定することで状況が改善されやすくなります。また、『絶対に~すべきという思考(~できなかったら自分には価値がないという考え)』を『私は~したい,~できたら良いのにという思考』に置き換えていくことで、過剰な心理的プレッシャーが和らぎ、焦燥感を伴う自己批判的な思考も修正されてきます。

何かを達成しようと前向きに努力して『新たな失敗・挫折』をするのが怖くて何もできないという心理には、『一回の失敗や挫折によって、自分の価値がなくなる(完璧に成功しなければ、人生全体がダメになる)』という失敗の効果の課題評価が関係しています。『長期にわたって何もしないことのリスク』と『何かをして失敗することのダメージ(傷つき)』の現実的な比較を行うことが必要になってきますが、それ以前の根本的な認識(前提)として、自分以外の誰も『自分の存在価値を全否定すること・自分の思考や行動の自由を奪い取ること』はできないということがあります。

自分の存在価値が全く無いという風に考えたり、自分は何をしてもダメだと思い込んだりするのは『自分の認知傾向(思考内容)』の領域の問題であり、自分で自分の可能性や選択肢を放棄しない限りは、新たな挑戦や工夫、改善の可能性を何とかして見つけ出してくることができるのです。他人から自分の言動を批判されたり、失敗して恥ずかしい思いをすると想像して『行動の抑制・勇気の消滅』が起こることもあります。

しかし、仮に他人から自分の言動を不当に非難されて笑われたとしても、それで『自分の価値・努力の意味づけ』が全否定されるわけではありませんし、それが人生の破滅や人格の傷つきに直結するわけでもありません。相手が自分に反対したり批判したりする自由までは奪うことが出来ませんが、『相手の自分に対する価値判断』が絶対的に正しいものであるという根拠もないのですから、相手が自分を一方的に批判(否定)したとしても、それをそのまま受け容れて自分が傷つく必要性は乏しいと解釈することが出来ます。

物理的な暴力や脅迫などの問題が無いと前提すれば、自分が他人の思考(認知)を自由にコントロールできないように、他人も自分の思考(認知)を自由にコントロールすることなどはできないと考えるのが合理的思考になってきます。自分に明らかな間違いや問題があって、それを他人から適切な口調で指摘されたのであれば、謙虚に改める必要性がありますが、悪意ある無根拠な誹謗中傷や攻撃をそのまま受け止めて『自分の存在価値を否定する・将来の可能性を悲観する・自分の失敗を過度に評価して落ち込む』というのは、認知の歪みに基づく非合理的思考へとつながっていきます。

『認知の歪み』にはさまざまなタイプがあるので、個別のケースを見ずに一般論としてこういう風にすれば改善するというセオリーは立てにくいのですが、論理情動行動療法(認知療法)の基本原則は『自分の思考(物事の捉え方)が、自分の感情(気分)や行動を形成する』ということにありますから、まずはその基本原則を理論的に受け容れてからカウンセリング(セルフ・ヘルプ)に取り組むと効果を実感しやすいと思います。

『認知の歪み』に自覚的になるということは、自己肯定的な可能性を広げて意欲的になるための『現実的な思考内容(内的な文章記述)』を想定することができるようになるということですが、『自分と他人の心的過程の区別』や『現実と願望の区別(外界と他者は自分の願望をそのまま反映するものではないという現実認識)』が明確にできるようになるということでもあります。






■関連URI
人生の幸福や物事の喜びを奪う『不合理な信念と不適応な仮定』について

認知療法の『認知の歪み(思考の誤り)』とアーロン・ベックの『認知的三角形』

『認知・気分・行動・環境・生理』の相互作用を前提とする認知療法

■書籍紹介

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