現代社会における自己アイデンティティの複層性・断片化が生む自由と孤独:G.ジンメルの社会形成の思想

前回の記事の続きですが、社会行動や他者との関係性が一切無い個人を仮定するならば、“私(自我)”は『観察(認識)する精神の視点・延長としての世界をただ認識し続けるもの』に過ぎないということになります。こういった生活実態やコミュニケーション、社会活動のない抽象的個人(精神)の仮定では、どう考えても現実に存在する個人の人生や人間関係の実情を説明することは不可能であるように思います。

知の根本原理(明晰かつ確実な知の根拠)に強くこだわったデカルトが『精神(自我)』『神の擬制』として捉えている節もあるわけですが、『人間の精神(自我)』は世界理解のための明晰な知識を得るためだけに存在しているわけではないというのが一般的な自己認識でしょう。すべての人間が哲学者や科学者のように『普遍的な知・一般的な法則』のストイックな探求に人生の大半を費やすという仮定は非現実的なものであり、大半の人間は『社会・他者との相互作用による自己実現(幸福追求)』に知の探求以上の価値を見出します。

現実社会の中で、他者との相互行為(コミュニケーション・仕事・恋愛・結婚)を経験して、『自己アイデンティティ』を確立しながらより充実した人生を目指すためには、『他者による自我の評価・役割期待』が必ず必要となってきます。『自己による自己の言動の評価』という内省や再帰性も、自己の行動選択にとって大きな役割を果たしているのですが、こういった自分で自分のことを意識できる『自己意識』も他者との相互行為の経験の中で形成されてくるものです。

S.フロイトの精神分析理論では自己の言動の善悪を判断する『超自我(スーパーエゴ)』は、エディプス・コンプレックスの経験によって段階的に発達していきますが、超自我の発達は『社会性の獲得・親(社会)の規範意識の内面化』と深い関係があります。自分で自分の言動を内省的に評価(査定)できる『自己意識』も過去の人間関係やコミュニケーションの経験によって培われるものであり、自己意識の形成プロセスでは『一般化された他者(社会)の態度や常識』が内面化されています。

一般化された他者の態度(規範・価値・常識)が内面化されると、『実際に行動する自己』『メタレベルで観察する自己(自己意識)』との分離が起こってくるのですが……社会学者のG.H.ミード(1863-1921)は行動する自己を“I(現時点の行動する私)”、観察する自己を“me(過去の経験を蓄積して自己規制する私)”という風に区別して、自己認識の二重構造(いつも自分で自分を観察している自己意識があるという構造)を整理しています。

精神(自我)と延長によって世界の構造を自己完結的に説明するデカルトのモデルでは、精神(自我)は『他者の実在』を懐疑することによって自己アイデンティティを持てないという限界がありますが、現実的な社会生活においては『会社員・職業人としての私,父・母としての私,子としての私,友人としての私,恋人としての私,学生としての私,思索者としての私』など他者との相互行為によって半ば必然的に自己規定が行われ自己アイデンティティが立ち上がってきます。

社会学者のG.ジンメル(1858-1918)は人間が他者とコミュニケーションして相互行為をすることによって、『個人化(個人形成)』『社会化(社会形成)』が同時進行するというアイデアを持っていましたが、個人は社会環境の中で他者とコミュニケーションすることによって『関係性・属性・役割・評価』などを獲得することができ、『ある人にとっての何ものか(=部分的アイデンティティを持つ者)』になっていきます。

すべての社会活動やコミュニケーションから切断されている個人は、『他者から固有名で認識される経験』『社会的な属性(職業・役割・立場・性格)』を持つことができないので、他者に対して『自分が何ものであるのか』という自己アイデンティティを確立しにくくなります。ゲオルグ・ジンメルの言う『個人化(個人形成)』と『社会化(社会形成)』のプロセスは、閉鎖的な共同体では相互補完的に機能しますが、現代社会のような人間関係・役割期待が固定されない流動性の高い社会では『個人のアイデンティティが形成されるプロセス』と『社会集団が形成されるプロセス』とが対立的になる場面が増えてきます。

現代社会に生きる私たちの自己アイデンティティは『単一的・固定的な特徴』を持たず『複層的・多面的な特徴』を持っているので、『所属している集団・果たしている役割・自己と相手との関係性・行動の自由度』などによって私たちの自己アイデンティティはある程度の可変性と流動性を持っています。社会や組織の一員として自分の欲求・意志を抑制して働くことを『社会の歯車になる』という風に表現することがありますが、現代人の大半は『社会の歯車としてのアイデンティティ』を全人生・全生活時間を通して単一のアイデンティティにしたいとまでは思っておらず、どんな人でも『働いている時のアイデンティティ(公的領域における自己)』『働いていない時のアイデンティティ(私的領域における自己)』との間に一定以上の分離が見られます。

流動性が高く変化の速い社会で生きている人間は、『複数の集団への所属・複数の人間関係における立場・状況適応的な自己呈示の使い分け』を前提として社会環境の中で相互行為を繰り返しているわけですが、この事が『多重役割(multiple role)による自由度とストレス』を生み出しています。近代以前の農村共同体では『単一の集団と職業への帰属・固定的な人間関係・定型的な自己呈示』によって、単一的な自己アイデンティティの確立を行うことができましたが、社会経済システムと人間関係が複雑化した近代社会では『自分が何ものであるのか?』という自己アイデンティティが、その時々の場面や状況・役割によって大きく変化することになります。

なぜなら、近代以降の社会では『生活する場所・働く場所・遊ぶ場所・相互行為する他者』がそれぞれ分離しており、『各種の状況における自分の断片的アイデンティティのすべてを知る他者』が殆どいないからです。家族関係の中にあっても『働いている時の自己アイデンティティ』は家族に十分理解されていないことは多くあるでしょうし、夫婦間に不倫問題などを抱えていればますます『断片的な自己アイデンティティの拡散(相手の知らない私の一面の増加)』が起こって相手に対する全体的な相互理解が難しくなります。

どんなに親しい家族や恋人、親友であっても『その相手が直接確認できない断片的アイデンティティ』を持っているということが、複雑化・細分化する現代社会の自己アイデンティティの特徴の一つですが、『相互の秘密を織り込んだ信頼関係(相手を裏切るような秘密を持たないと確信できる人格上・経験上の信頼)』を構築できるかどうかということが円滑な人間関係を保つために重要になってきます。断片化した自己アイデンティティの使い分けが増えれば増えるほど、特定の帰属集団や人間関係に束縛されない『行動・生活の自由度』は高まりますが、安定したアイデンティティを持続できないという意味で『心理的な孤独感・他者からの疎外感』が強まりやすいというデメリットもあります。






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■書籍紹介

ジンメル・つながりの哲学 (NHKブックス)
NHK出版
菅野 仁

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