中学生・高校生のヘアスタイルや制服はなぜ規制されるのか?“外観の自由”と“生徒の自己管理能力”

ヘアスタイルや服装などを画一化する『学校の校則』が何のために存在するのかという理由については、『工場労働者やサラリーマンとしての社会適応(集団協調のための規律訓練)』という観点から、過去に『でたらめな仕組みで動く社会』の正当性や根拠にまつわる考察という記事を書いた。

最近、学校の校則にまつわるニュースとして、鹿児島県の公立中学の『中学生に丸刈りを強制する校則』を廃止すべきか否かというニュースや、高校入試で試験の点数とは別に『髪型や服装に関する非公開の基準』を設けて髪を染めている生徒や服装違反をしている生徒を不合格にしたというニュースを見た。

学生の丸刈り強制は『義務教育』『軍隊教育』の擬制と見なしていた近代教育制度の名残と言ってよいが、構造主義の哲学者ミシェル・フーコーが学校を軍隊と同じ規律訓練システムと見なしているように、近代の学校とは基本的に既存の社会的権威(上下関係のヒエラルキー)に従順な『管理される身体(規範を内面化した身体)』を作り上げる社会装置として位置づけられていた。

『ヒエラルキー(所属組織)の上位者』『集団で共有されるルール』に自発的・道徳的に従う“社会人(組織人)”を育成するのが、近代的な学校教育の主要な役割であることは今も昔も大差ない。一般社会でも少数の例外的な職業を除けば、まっとうな社会人・常識人として評価されるのは、“ヒエラルキー(公的な上下関係)”“ルール(法律・慣習)”を遵守する人たちであるし、そういった人たちが多数派でなければ規則正しい企業生活や安定した社会秩序を維持することは難しくなるかもしれない。

髪型や服装の逸脱を理由にして、高校入試で合格ラインの点数を取っていた生徒を不合格にするというのは、『髪型・服装の合格基準』を事前に呈示して、入学後もその基準を守れない生徒は入学・在学を認めないという通知をしていなければ、『生徒の学習権・入試合格のための努力』を不当に侵害することにつながるとは思う。髪型や服装を『合否判定の基準』に利用することそのものが問題なのではなく、事前にそういった基準や校則が存在することを受験者に通知せず、不合格理由を曖昧にしていたことが問題なのであり、『情報公開に基づく入学試験の公正性』の観点から髪型・服装の基準は事前に公開することが望ましいとは言えるだろう。

茶髪や制服の改造で卒業式に出られず、教師に対する暴行事件を起こした女子中学生についての以下の記事を読んだ。女子生徒の刃物を用いた脅迫・暴行はもちろん許されない犯罪行為であるが、どうして中学や高校では『髪型・髪の色・制服・パーマ』などを細かく規制することが多いのかについて少し考えてみたい。


茶髪の何がいけないのでしょうか/意味のない校内ローカルルールには断固として反対する


大半の中学・高校には、茶髪(染髪)やパーマ、制服の改造を禁止する校則があるものだが、そういった校則が存在する理由は『近代的な労働・企業に適応性の高い学生』を育成するためであり、『勉強・授業に集中しやすい学校環境』を整備するためである。

逆に言えば、『学習意欲の向上・真面目な授業態度・社会規範や礼儀作法の習得』などの学校教育の目的が達成されるのであれば、茶髪金髪にしようがパーマをかけようが、制服をミニスカートやボンタンに改造しようが、校則で厳しく禁止するほどの問題ではないと言える。

しかし、学校教育の過去の歴史的経緯から『服装や髪型による個性の主張』が『生活の乱れや学習意欲の低下』につながりやすいというイメージ(固定観念)が持たれていて、『生徒の自己規律・学習態度』に対する大人の側の信頼性が十分に担保されていないという問題は依然として残っている。

つまり、『服装の乱れが生活の乱れ』という紋切り型の標語が今でも説得力を持っているように、ヘアスタイルや服装、化粧を完全に自由化すると『非行・遊興・過度のおしゃれ・異性関係』に流される生徒が増えて、学校の秩序や学習環境を安定的に維持することが困難になるのではないかという『学校側(大人側)の懸念』が拭えないということである。

この懸念は『生徒が何のために髪を染めたり個性的な服装をしたいのか?』という心理的要因に基づくものである。生徒が『学業とおしゃれの両立』の意志を持って、最低限のルールやマナーを守れるのであれば問題はないが、『学業放棄の結果としてのおしゃれ・反社会的な荒れた価値観や非行の反映』であっては学校教育の目的の根本が揺らぐことになる。

学校が生徒のヘアスタイルや服装を監視して禁止する大きな理由の一つは、『学業に興味がなく反社会的な非行行為を行う不良(ヤンキー)』『茶髪・金髪・違反の制服』のイメージが余りに強く結びついていて、真面目に授業を受けて教師の適切な指導を受け容れる生徒と茶髪や制服の改造のイメージが殆ど結びついてこないからだと言える。髪型や服装を完全に自由化すると、生徒が勉強しなくなったり非行に走ったりするリスクが高くなると推測しているため、学校はそれらを画一的に校則で規制しようとするのである。

茶髪にするために髪を染めたり、制服を自分の好きな形に改造したりする行為自体には『良い・悪い』の価値判断はないが、少なくとも茶髪にしたり服装を改造することが『学校教育の目的・生徒の生活指導(授業態度の管理)』に役立つとまでは言えないだろう。仮に、髪を染めたりミニスカートにすることが、生徒の学習意欲や学力を向上させて生徒指導を容易にするのであれば、学校は全面的にそれらを認可するはずである(服装髪型の検査など非生産的で非本質的な管理コストも省ける)が、現段階では偏見や先入観も含め『学習意欲の低下・教師の生活指導への反発』を招くマイナス要因として『服装・髪型の自由化』が見なされているためにそうなっていない。

茶髪の女子生徒がはさみで暴行事件を起こしてしまったという事例などは、『髪型・服装の校則違反をする生徒は、学校教育の目的や教師の生活指導を阻害しやすい』という傍証になる恐れもあるが、校則で染髪や服装違反が禁止されている理由の何割かは『過去のヤンキー文化(暴走族文化)・校内暴力・性非行(援助交際)』などによって補強されているとも考えられる。

過去には学校教育に適応できず教師の指導も受け容れない生徒が、反社会性や暴力性を示威的にアピールしたり授業・生徒指導を妨害するために、髪を染めたり服装を改造していたりしたことがあるので、『若者の服装の乱れは生活(心)の乱れ』という標語が社会全般においてかなりの説得力を持ってしまっている。『人間を外見だけで判断してはいけない』というのは普遍性の高い命題ではあるが、それと同時に大人の社会でもTPOに合わせた『ドレスコード』というものがあり、『外見や服装から中身・地位・職業が推測される経験』というのはそれほど珍しいことでもない。

丸坊主に制服は中学生では『健全な青少年のドレスコード』として機能しやすいが、丸坊主(スキンヘッド)にダークスーツを着て威圧的な雰囲気の大人は『反社会的集団の構成員のドレスコード』として機能することもあり、一定以上の年齢では『外見から中身を推測されること』を前提にして髪形や服装をセレクトしているのである。『自分が相手にどのように見られたいか』という意図を抜きにして、ファッションやヘアスタイルの選択は通常ありえないように、『他者(社会)が自分をどのように見ているか』という社会一般のファッションに対する通念(パターナリスティックな観念)も個人のファッション選択に大きな影響を与えているのである。

公教育における髪型・服装の自由化のためには『個性的で派手な外見』が反社会性や学業の放棄(学力の低下)とつながっていないことが確認されなければならないが、現在では『非行行為・ヤンキー文化』とは無関係に『純粋なおしゃれ・ファッション』を目的にして茶髪や制服の改造をしたいという生徒が多くなっていることも考慮する必要はあるだろう。髪を何色に染めようがどんな服装をしていようが、真面目に授業を受けて学力向上に努め、粗暴ではない礼儀正しいコミュニケーション(良好な友人関係の維持)ができ、学校の基本的秩序(他の生徒が授業を受ける権利)を脅かさないのであれば、それは『個人の自由』だとは思う。

『茶髪にして制服を改造しても、学習意欲・生活態度・性格傾向に悪い変化が起こらない』ということを生徒側が何らかの形で立証できれば、それらに関連する校則を廃止する実証的根拠が生まれる。反対に、ヘアスタイルや服装を自由化することで、学校の秩序を維持できなくなり非行事実が増加して、学習意欲や規範意識の低下が起こるのであれば、髪型や服装を規制する校則の必要性が再認されることになる。

どうすれば学校・大人が『髪型・服装の自由化』に納得してくれるかというのは実際には難しい課題だが、『入学時点での学力による生徒の選別+卒業時の学力・進学率の維持』か『在学中の生徒の学力・態度・規律などの定期的評価』などの方法を採用して、『外観の自由化』が学習態度や学業成績、礼節・秩序に悪影響を与えないことが証明されれば校則は緩和される可能性があると思う。生徒が自分で自分の学習行動や生活態度、礼儀作法を自己管理できるという信頼があれば、学校・大人は必要以上にファッションや外見の規制をする必要性がなく、実際に偏差値が高い進学校の一部では『生徒の学習・生活行動の自律性』に対する信頼から服装・髪型の自由化に踏み切っている学校も存在している。

中学生・高校生の精神発達や人格成熟の水準を考えると茶髪や服装の改造が『教育目的の遂行の阻害要因(学習意欲の低下や非行の誘発要因)』となる可能性は否定できないが、最終的には『生徒の自己管理能力の実証性(おしゃれと学生の本業の両立)』が問題になってくると思う。

中学・高校を卒業すれば、派手な金髪はともかくとしておしゃれ目的の茶髪は、企業のオフィスでも認められているところのほうが多いので、さまざまな不利益や圧力を受けてまで学生時代に無理して茶髪にしなくてもと思ってしまったりもするが……学校で禁止されているからこそ『個性の演出』のために余計に髪を染めたくなるというのもあるかもしれず、禁止事項のない大学生・社会人になって暫くすると大半が無難な髪型(それほど目立たない髪色とヘアスタイル)にまとまるのだろう。

学校教育(特に義務教育)は『組織・仕事・上下関係』に適応するための基礎訓練を提供する場としての役割も持っているので、好むと好まざるとに関わらず『個人の欲求・個性の発揮』よりも『組織の論理・集団のルール』によって運営されることが多くなる。そして現実的にも、大多数の学校卒業者は“フリーランス(組織に属さない個人)”として個人の技量・魅力・営業で仕事をすることは少なく、“サラリーマン(組織の一員)”として給料を得る職業生活を送ることになるので、学校教育の目的が殊更に的外れというわけでもないことは認識しておく必要はあるだろう。

社会人の場合でも、個性的な目立つ外見と中身・能力のギャップが逆説的に『良いイメージ・高い評価・人物の魅力』につながる可能性は確かにあるが、その為には『外見から推測されているイメージ』を良い意味で裏切るだけの能力や実績の裏づけ、あるいは、職業アイデンティティと外見のイメージの一致が必要になってくる。

同時に、『学校教育の目的・校則の遵守』『社会適応(職業活動)の能力』は必ずしも一致しているわけではなく、学校教育の機能不全(規律訓練システムの形骸化)という問題も大きくなってきている。『生徒の自己管理能力』というものを長期的スパンで見ると、髪型や服装の規定といった些細な問題を超えて『自分なりの社会適応・経済能力を獲得できるか否か(自分の個性を社会的自立や人格的魅力と統合できるか)』という問題へとつながることになる。

そして、外観や振る舞いも含めて自らが信じる『個性』を、社会的な有能性や他者からの人格評価、経済的な所得、適度な自尊心へと結び付けていくプロセスこそが、学校を卒業した社会人の仕事や人生、人間関係が上手く発展していくかどうかの鍵を握っているとも言える。






■関連URI
“社会適応”と“個性教育”を目的とする学校教育の問題点1:個性的であることへの欲求と逸脱行動

“社会適応”と“個性教育”を目的とする学校教育の問題点2:自己アイデンティティと思春期挫折症候群

『不登校』の小中学生児童の増加と義務教育段階で習得しておくべき最低限の能力・知識

■書籍紹介

いまこの国で大人になるということ
紀伊國屋書店
苅谷 剛彦

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