ギャンブル依存症と家族関係の問題の相関における類型:ジャック・ラカンの欲望の概念と意味への意志

ギャンブル依存症から離脱できないテクニカルな要因として、『勝利の快感・興奮が忘れられないという正の強化』『今までの損失を忘れて“損切り”することができないという合理的判断の欠如』の二つを上げることができる。依存症が重症化すると『ギャンブルをするためにギャンブルをする(勝つか負けるかは二の次で毎日ギャンブルさえ出来ればそれで良い)』という悪循環のループにはまり込んでしまうが、ギャンブル依存症から回復できない根本的要因は『人生の方向感覚の混乱・生き甲斐の実感の喪失』にあると考えられる。

ギャンブルの自己目的化の段階にまで依存症が悪化すると、いくらお金があっても『ギャンブル以外の事柄』には欲求が向かわずお金を使えなくなるが、ギャンブルをする根本的な動機を遡っていくと『金銭そのもの』より『面白くない現実・つらい日常からの逃避(その為の刺激的興奮の追求)』という側面が大きい。ギャンブル依存症の発症リスクとなる心理的動因は『鬱積した精神的ストレスの解消』『退屈な反復される日常からの逃避』であるが、これらはナチスのホロコーストから生還した精神科医V.E.フランクル(1905-1997)が提起した『意味への意志』が阻害された状態である。自己の存在意義の追求へと向かう『意味への意志』は人間の精神活動の源泉であるが、ギャンブル依存症の病態では『自分が何を目標にして生きれば良いのか?・自分の人生における喜びや満足とは何なのか?』が自分でも分からなくなってしまっていることが多い。

V.E.フランクルのロゴ・セラピーでは、決定論的な運命を否定して『自己の存在意義』を探求しようとするが、自由意志による選択・決断によって人生の価値や面白さを実感するためには『自分の人生観・やりたいこと・大切なもの』がある程度明らかになっている必要がある。嗜癖的なギャンブル活動の多くは『刹那的な陶酔・興奮や幻想的な達成感(有能感)』を得るために行うものであるが、そこには『意味への意志・人生の目的意識』の阻害による生の苦しみがあり、金銭の報酬と賭けの刺激によって補償しようとする精神的・対人的な空虚感がある。ギャンブル依存症の人には、何をしていても満たされないという感覚や家庭にいても気分が落ち着かずじっとしていられないという焦燥感が見られることが多く、『何もすることがなく暇だ・退屈な状況に堪えられない』という思いからギャンブルに通い詰める生活習慣が定着してしまうことがある。

ギャンブルでは、コツコツと地道に努力して得られる『仕事・勉強の達成感』とは質的に異なる『偶然の幸運に依拠する達成感』を味わうことができるが、それは過去の努力や実績とは無関係なものである。ギャンブルでは過去の自分の努力や履歴、実績を問われずに『“今・ここ”でしているプレイと賭けの勝ち負け』だけが問われる。これは仕事で十分な承認や満足が得られない人(仕事面で達成できることに限界を感じている人)にとって『一発逆転のチャンス』を意味しているように受け取られることもある。日常的な仕事では『今までの人生のキャリア』によってポストの上昇や給料の昇給に一定の制約があるように感じるが、過去の履歴や成功が一切の意味を持たないように感じられるギャンブルでは『一発逆転のチャンス(仕事や生活の世界とは異なる成功原則)』があるように錯覚してしまう。

自分の現状や家庭生活に満足できないことによって起こる『現実逃避の衝動』は、自分の過去やキャリアを気にせずに純粋に“今の勝負”に成否を賭けられる『一発逆転の要素』との親和性を持っている。現実社会の仕事や人間関係ではなかなか『一回だけの勝負』ですべてが決まるような機会はないし、『過去の実績や努力の蓄積』から自由になってギャンブルのように『今・ここだけの運気』に賭けることもできない。ギャンブルに魅惑される依存性は、そういった『非日常的な一回性の勝負ごと』にも影響されており、現実社会でコツコツと働いているよりも今の状況を大胆に変える可能性が大きくなるような錯覚を体験させてくれるのである。

一発逆転によって過去の債務や失敗のすべてを帳消しにしようという考え方に支配されるようになると、依存症はかなり危険な水域に入ってきたと言えるが、横領事件などでは数千万円以上の横領をしていても『一回でも万馬券が当たればすべてチャラにしてお釣りがくる(だから勝つまで配当の高い馬券に大金を次ぎ込む)』というような非現実的な認知に囚われてしまうことも少なくない。ギャンブル依存症の重大な危険性の一つは、地道な努力(仕事)や少額の金銭を無視してしまう『金銭感覚の麻痺』であり、『ハイリスク・ハイリターンの大きな賭け』に何回か勝てれば後はどうにかなると思い込んでしまうことである。

金銭感覚の麻痺が『自分のお金』から『家族のお金』に進み、更に『他人・会社のお金』にまで及んでしまうと、『金銭感覚の麻痺』が『道徳観念の麻痺』と結合して善悪の区別を見失ってしまうことがある。『すぐに次の給料で埋め合わせるから、別に問題ないだろう』と家庭の定期預金を崩して勝手に使い込んだり、『少しの間借りるだけだから、そんなに悪いことではない』と会社や官庁のお金を使い込んでしまうこともあるが、総じて千円、一万円といった金銭に対する感覚が一般からかけ離れてくる。金銭感覚と道徳観念が同時に麻痺してしまうと、借金を重ねて二進も三進も行かなくなった時に犯罪行為へと逸脱してしまうリスクが高くなるし、多重債務の適切な処理や自己破産の手続きができないようなときには、将来を悲観して自殺願望が強まってしまうこともある。

深刻な依存症圏にあるギャンブラーは、心のどこかで『今日の10万円の勝ちが仮に一週間続いたらどうなる、一ヶ月続いたらどうなる……実際にパチプロで稼いで生活している奴だっているんだから俺にだってできる』という理想的状況の想像を広げていくことで多重債務の不安を和らげる。あるいは、『本来の調子と運が戻ってさえくれれば数百万円の借金なんかすぐに返せるし、一般のサラリーマンが稼げないくらいの収入をギャンブルで労せずして稼げるようになる』という誇大妄想的な自己信頼感の強化を行う。数百万以上の借金があっても不安や絶望に押しつぶされずにパチンコ・パチスロ・競馬などを続けられる心理には、『本来の調子と運さえ戻ってくれれば、こんな借金なんて短期間で返し終えることができる』という無根拠な楽観的認知がある。それと並行して、1ヶ月に1回でも数万円以上の単位で勝つことがあれば『ほら、この調子でいけば大丈夫』という感じで一時的な儲けの過大評価をし、『ギャンブルで安定して稼げる可能性がある』という自己の偏った信念を強化してしまうのである。

ギャンブル依存症に対する認知療法的なアプローチでは、『ギャンブル活動の収支』を数量化して分かりやすくするために、客観的な利益-損失の記録をグラフ化するように求めることもあるが、大半のギャンブラーは『自分は収支を通算すれば勝っている・今は一時的にちょっと負けが込んでいるけれど』といいながら簡単な形式でも収支記録を取ることを嫌う傾向が見られる。本人もきちんと利益-損失を計算すれば損失のほうが大きくなっていることは薄々分かっているのだが、それを認めるとギャンブルの意義や自己の博打の才能の正当化ができなくなるので『否認』や『合理化』の防衛をしてしまう。

ギャンブル依存症の背景には『家族関係の病理』『自己アイデンティティの拡散(自分の生き甲斐や目的意識を見失って自己同一性が混乱した状態)』が見られることがあるが、家族関係の病理や問題については大きく以下の2つの類型を指摘することができる。

家族関係への依存性(共依存)……周囲の家族が本人の過度のギャンブル行動を暗黙裡に容認しており、ギャンブル依存による『借金・法的問題』を本人の代わりに解決するなどして、家族に対する甘えや依存性が強化されている状況。ギャンブルに依存して借金をしながらストレス解消をすることが悪いことだと思えなくなり、いざとなれば家族・親などが自分の苦境を助けてくれるという甘えが出てくる。そういった『相手の依存性』に自己の存在意義を認識する妻(夫)がいることで共依存の問題が形成されることもある。

家族関係からの孤立性……周囲の家族との感情的なコミュニケーションやイベントなどがなく、本人が『家庭に居場所がなくて面白くない・妻(夫)や子どもとの折り合いが悪くてくつろげない・自分が家に居ても居なくても一緒』という風に家庭に対してネガティブな認知を持つようになっている状況。家庭における自己の存在感や必要性の乏しさを実感することで、空虚感や不満感を募らせ『つまらない現実からの逃避』としてギャンブルの刹那的興奮・刺激を求めるようになってしまう。

『家族関係の問題』における二つの類型は相互に連関し合っているが、ここに『職場や家庭での強い精神的ストレス・余暇に何をして良いか分からない無趣味性・自己の存在意義を喪失するような自己アイデンティティの拡散・漠然とした金銭や享楽への欲求』が結びつくとギャンブル依存症を発症するリスクが格段に高くなる。家族関係の病理や問題があったとしても、『適切なストレス・コーピング』ができており『自分のやりたいことや目的意識(価値基準)』がしっかりと定まっていればギャンブル行動への依存性が形成されるリスクは低くなるが、自己アイデンティティが拡散して何かをやりたいのに何をすれば良いのか分からないというような焦りと混乱がある時に、欲望は『金銭・ギャンブル』へと向かいやすくなる。

『なぜ、人間はリスクの高いギャンブル(賭け事)をするのか?』という疑問は人類にとって普遍的な問いであり、ギャンブル的な行為がない国・集団・時代は存在しないといって良いほどに、ギャンブルは人間社会の活動・歴史に寄り添ってきたものである。ギャンブルとは、結果の確定していない『不確実な未来・確率論的な行為』に報酬を求めて金銭を賭けることであるが、家族に迷惑を掛けてまでギャンブルをする人に対して『真面目に働いて稼げ』という紋切り型の批判があるように、ギャンブルによる報酬というのは『非労働的な臨時収入(遊びによる利益)』という側面を強く持っている。ギャンブルが古代の昔から存在する理由のひとつには、『苦役としての労働からの解放』という幻想的価値観がギャンブルに結び付けられてきたことがあるが、それ以上に人生における方向感覚や価値基準を見失ったときに人間の欲望が『金銭・ギャンブル』に向かいやすいということが関係しているように思う。

ジャック・ラカンの精神分析理論では、『欲望は常に、他者の欲望への欲望である』とされるが、ギャンブルにおける勝利の報酬として得られる『金銭』は不特定多数の他者の欲望の対象であり、『自己の欲望』『他者の欲望』を媒介する道具でもある。自己アイデンティティが拡散して自分の存在意義に自信が持てなくなり、自分が何を求めているか分からなくなった時に、人はとりあえずの代償物として『金銭・性愛(外見的選好による異性)』を求めることがあるが、それは金銭・美しい異性が『大多数の他者の欲望』を受ける対象だからである。

ジャック・ラカンは、食物・睡眠・環境の快適さを感覚的に求める心理を指して『欲求(need)』と呼び、他者からは決して与えられないものを求める心理を『要求(demand)』と呼んだ。人間は発達早期において母親から感覚的な『欲求』を全的に満たしてもらうが、不可能性の象徴である『要求』を満たしてもらうことはできず、『要求の拒絶』によって『欲望(desire)』が形成されるのである。欲望とは『他者の欲望を欲望すること』であり、人間が何かを求める心理的衝動は決してこの枠組みの外部へと抜け出すことができない構造になっていて、人間の人生とは手が届きそうで届かない『可能性としての欲望』を蜃気楼のように追いかけ続けるプロセスとも言える。主体(私)と対象(他者)は原理的に同一化することができないので、主体(私)は『他者の欲望を欲望するという構造(他者に自己存在を認められたいという承認欲求のフレーム)』から抜け出せず、欲望が完全な形式で充足されるというのは『死』以外には有り得ないのである。

『欲望(desire)』を抱くようになった主体(個人)は、家族内部や母子関係においては満たされない『要求(demand)』の挫折を経験することによって、当面の精神的自立を達成してその欲望を『家族外部の他者』に向けるようになる。しかし、他者が主体(私)に与えることができない不可能性を象徴する『要求』の挫折を十分に経験していないと、『自己の欲望』の内容を把握することができずに、欲望が無意識領域に抑圧された代償として精神病理としての『享楽(jouissance)』が生まれることになる。ギャンブル依存症も『自己の欲望』『他者の欲望・家族の欲望』が分からないことによって発生する『享楽』としての側面を持っており、他者が欲望する“金銭・刺激的興奮”を自分も欲望することによって、『私の可能性(他者に求められる可能性=存在意義の実感)』を高めようとしているように思えることもある。

最近の若年層は、パチンコ・パチスロ・競馬などのギャンブルにはまり込む人の比率が減ったとの報道もあるが、いずれにしても、家族成員の一人でも『飲む・打つ・買う』に病的に耽溺し始めると日常生活が荒廃したり家族関係に亀裂が入ったりする。その一方で、ギャンブル依存症は家族成員の理解と協力がなければ克服が難しい精神疾患であり、本人が『ギャンブル依存症の病識』を持って『金銭に対する責任感・常識的な金銭感覚』を取り戻せるように、家族が間接的な自立支援と心理ケアをしていくことが大切である。

ギャンブル依存症の心理ケアでは、家族間・夫婦間の会話や相談の時間をできるだけ多く取るようにして、『お互いの苦悩や不満・空虚な気持ち』を理解し支えあえるような関係を改めて作り上げていく。自分の性格や人生の問題点と主体的に向き合う姿勢と責任感を持ち、ストレス解消の手段として『ギャンブル以外の趣味や楽しみ方』を考えていくようにする。ギャンブル依存症の苦しみや困難を経験した者同士が集まって、忌憚なく率直な意見や感情を語り合うGA(ギャンブラーズ・アノニマス)と呼ばれる自助グループの活動にも、自己理解の深化や相互理解による精神的支持の効果がある。

相談できる家族がいない人や同じような境遇にあった人に自分の気持ちを聞いてもらいたい人は、積極的にGAなどの自助グループ(集団療法的なグループワーク)を利用してみると良いだろう。ギャンブル依存症は人生の指針や目的意識を見失う『中年期の危機』として出現することも多いが、本人が『自分の人生の生き甲斐・自己の存在意義』を感じられるような活動を見出せるかどうか、そして、人生の折り返し地点で自己アイデンティティと家族関係を再構築することができるか否かが依存症克服の課題になってくると思われる。






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