コミュニティの流動性と学校環境におけるいじめ問題:集団活動の本来の目的からの逸脱と優越欲求

学校・職場などにおける『いじめの問題』については、過去の記事でも何度か取り上げてきましたが、いじめとは『異質性を排除しようとする集団力学』に基づいて発生する現象です。いじめは、特定の集団内において暴力・嫌がらせ・侮辱・からかいなどを伴う『擬似的な階層序列(上下関係)』を作り出しますが、いじめが激しくなるか弱まるかは頻度依存的(数的優位性を競う)な集団力学によってコントロールされ、この頻度依存性は『場の空気』という概念に置き換えることもできるでしょう。

いじめが起こりやすい場所として一般にイメージされるのは『学校(小中学校)』ですが、学校・軍隊・帰属感の強い職場などでいじめの現象は起こりやすくなります。日本には徴兵制の軍隊がありませんので、現代日本でいじめが起こる場所の大多数は学校であるといっても良いと思いますが、職場のいじめのケースでもアルバイトや短期雇用などではいじめの被害に遭うリスクは低くなります。いじめの発生率は『集団への帰属性(コミット)の強さ』に概ね比例する傾向がありますが、『学校・軍隊・警察』など集団規律への従属の強制度が高い集団組織でいじめは起こりやすくなります。反対に、『サークル(同好会)・趣味の集まり・イベント』など集団規律の強制と無関係な集団では、通常いじめやハラスメントといった問題はほとんど起こりません。

その集団に参加してもしなくても良いという『強制的な帰属の弱さ』があり、集団全体に適用されるルールや目的といった『秩序志向の行動規範の弱さ』が見られる場合には、集団内でのいじめという問題はほとんど起こりません。学校(小中学校)の環境は『帰属感の強さ・行動規範の強さ・流動性の乏しさ』といういじめが起こりやすい条件を備えていますが、これらは『工業社会・会社生活に適応するための規律訓練』という学校教育の主要な目的に合致するというメリットも持っています。学校環境では計画的に流動性の乏しいコミュニティをつくりあげることで、過密なネットワークにおける人間関係の対処を学び、友人関係やコミュニケーションを通して固定的な集団生活に適応するトレーニングをします。

産業革命・工業経済の影響を受けた近代的な学校教育は、勤勉で規律正しい学生(特定の集団に長期にわたって帰属できる人材)をつくりあげることを課題にしていましたが、現代の学校教育でも初等教育の段階では『集産的労働への適応モデル』がある程度踏襲されたかたちになっていると思います。義務教育段階における学校教育の目的は、毎日の授業を通して基礎知識を学ばせるという『勉強』もありますが、多様なパーソナリティを持つ生徒から構成される集団生活を経験させることで『集団規律・社会生活の雛形・人間関係の築き方』を学ばせるという目的もあります。

『世界のはて』の『閉鎖空間かつコミュニケーションの重要性が高い場所で、いじめは発生する』という記事を読ませて頂いて、いじめとコミュニティについて少し考えてみようと思ったのですが、上で書いてきたことは、閉鎖的でコミュニケーションの重要性が高い場所でいじめが起きやすくなるというこの記事の趣旨に行き着きます。この記事では、『いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体』などの著書がある社会学者・内藤朝雄の『いじめを無くすためにはクラス制を解体すればよい』という主張を引いていますが、義務教育に大学のような講義方式の単位制を採用すると、集団生活への適応やコミュニケーションの練習の場をどこに移すかが課題になってくると思います。

今までの学校教育が果たしてきた生徒の集団適応を目的とする『規律訓練』をどう評価すべきかという問題ですが、小中学校は建前としての個性教育を掲げていても『個人の欲求』を『集団の規範』に従わせる抑圧装置としての役割を終えたわけではないので、いじめによる排除や圧力は論外としても、講義方式では『個人の欲求の限界(幼児的全能感の去勢)』を何によって認識させるのかという問題が残ります。講義方式(単位制)は、自発的な学習態度を前提とする知識教授に偏った教育方法なので、児童期の発達課題として必要とされる『最低限度の社会規範の獲得』をどのようにしてフォローしていくのかということですが、クラス制と講義方式を折衷するような義務教育制度を長期的視点で考えてみるというのは面白そうです。

義務教育の段階では、いじめ対策として『コミュニケーションの重要性』を下げるという選択は難しいと思いますが、固定的なメンバーと過ごす比率を減らすという観点で『コミュニティの流動性』を上げるといった方向性で教育改革を模索することには何らかの効果があるかもしれません。例えば、いじめが休憩時間に行われることが多いのであれば、部分的な講義方式を取り入れて時間割に柔軟性を持たせ、いじめているグループといじめられている個人が同じ時間に休憩に入らないようにして、どちらか一方が授業で拘束されているようにするとか、個別的な時間割を教師がコーディネイトして下校時間を微妙にずらすとかいったシステマティックな対応も考えられますが、そうなると生徒ひとりひとりの人間関係(他生徒との力関係)や性格傾向などの綿密な観察が必要になるのでコスト的にどうなのかという問題はあるでしょうが。

この引用した記事に関連するトラックバック記事として、『ソーシャル・キャピタル論からみた「いじめ問題」』がありますが、密なネットワークにおいてどうしていじめが起こりやすいのかをソーシャル・キャピタル論の見地から論理的に分かりやすくまとめていて参考になります。

生徒の大半が企業で働くサラリーマン(被雇用者)になるという前提で義務教育のプログラムは組まれますので、協調性・社会性に代表される『集団適応力の獲得』という課題は『いじめの根絶』という課題よりもどうしても優先されると思いますが、一定以上の集団生活を体験させながらコミュニティの流動性を高めるといった方策は検討される余地があるように思えます。大人の社会でもいじめやモラルハラスメントといった集団力学の問題がありますが、メンバーが固定された閉鎖的コミュニティでは『信頼関係・協力行動・帰属感(安心感)』が生まれやすいメリットがある一方で、帰属集団から受ける抑圧・ストレスが強すぎる場合には『下位者に対する優越の顕示』として抑圧移譲的ないじめが起こりやすくなるのだと考えられます。

みんなが気持ちよく働ける(勉強できる)環境が整っていなかったり、集団成員の目的意識やパーソナリティのばらつきが大き過ぎたり、無理やりに帰属させられているような集団成員(いやいや働いて不満を溜め込んでいる成員)の比率が大きかったりする場合には、いじめの発生リスクは高くなると思います。その大きな理由の一つとしては、『集団本来の目的(仕事・勉強)』に強いモチベーションが持てなくなっている個人・グループが、集団本来の目的とは無関係な『対人コミュニケーションを通した階層的な上下関係(自分たちの優位性)』を確認する示威行動に走るからではないかということが推測されます。

進学校や優良企業においていじめが少ないというのが事実であると仮定すれば、集団内の自分の役割・評価を抵抗なく受け容れていること(現状の自己アイデンティティに不満が少ないこと)と自分がやるべき『本来の目的(本務)』である勉学や仕事に専念しているからではないかと考えることができます。勉強・仕事など本業における優劣関係を競い合ったり目的達成のために協力し合うというのが集団活動の一側面ですが、本来の目的にモチベーションを持てない集団成員が増えてくると、『攻撃的・排除的コミュニケーションによる優越感(端的には嫌がらせ・過度の干渉)』のほうに重点が置かれるようになり、その逸脱の度合いが大きくなるといじめやパワーハラスメントなどの問題に発展してくることになります。

コミュニケーションそのものは協力や信頼、安心を生み出す良い面もあれば、敵対や攻撃、侮辱を生み出す悪い面もありますが、『他者との階層的な優劣関係(自己の他者に対する優越性・支配性)』を意図的に浮き立たせようとするコミュニケーションが度を越えるといじめなどの問題になる恐れがあるのではないでしょうか。あるコミュニケーションや人間関係がいじめであるか否かの境界線を引くのは難しいですが、発話者の立場からすると『相手を自分と対等の存在として語りかけているか・相手を自分よりも格下の存在として軽んじていないか(揶揄的にいじることによる優越感を感じていないか)』という一点に注意するだけで、いじめるつもりがなかったのに結果としていじめになってしまったという失敗を防ぐことができるかもしれません(意図的にいじめているという人のケースでは無論、自己抑制の意味を成しませんが)。






■関連URI
子ども社会のいじめの心理と大人社会のモラル・ハラスメント:集団内での示威と防衛の葛藤

頻度依存行動として発生するいじめ現象:『望ましい行動』を取るコスト・リスクによる葛藤

学校教育システムの機能不全の露呈と生徒が所属する集団(グループ)の発達変遷過程

ユング心理学の“影(シャドウ)”の元型から見る“いじめる人間”のコンプレックス:いじめと笑い

■書籍紹介

〈いじめ学〉の時代
柏書房
内藤 朝雄

ユーザレビュー:
実効性の部分は少し気 ...
即刻財政的可能性の吟 ...
東郷高校内藤さんが通 ...
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ

この記事へのトラックバック