硫化水素による自殺問題の波及とインターネット・マスメディアによる情報伝達の問題

3月から5月現在にかけて60人を越える人たちが硫化水素ガスによって自ら生命を絶ちましたが、『硫化水素を利用した自殺手段』がインターネット経由で広まったことが各種メディアによって批判されているようです。生きていくのが辛くて死にたいと思う感情が先か、自殺の具体的手段に関する情報が先かという根本問題を無視して、『目に見えるネガティブな情報』だけを確実に規制・削除すれば問題が沈静化するという単純な構造ではありませんが、『手段(道具・薬物)入手の容易性』が自殺既遂率に相関するというデータはありますので、具体的手段の情報をコツコツと削除することには対症療法的な効果があると思います。

ポジティブなものもネガティブなものも含め目的遂行的な行動の形成では、『目的に対するモチベーション(動機付け)・状況認知』が『目的達成の方法・手段に関する情報(知識)』と結びつくことで目的遂行的な行動が形成されます。自殺行動のように『複数の代替手段』がある行動では情報制限の効果が限定的になるという問題はありますが、硫化水素は合成手段入手の容易性と二次被害の拡大の問題があるので具体的手段に関する情報削除には一定の合理性はあるでしょう(硫化水素の合成方法や有害性の化学的情報の公開そのものは規制されるべきではないですが、悪意ある自殺コンテンツと結び付けられた場合には社会的影響の度合いを勘案しながら対応を変える必要があると思います)。

硫化水素によって自殺を企図した人の年代は10代~50代以上まで幅広い年齢層にまたがっており、一番初めに硫化水素ガスによる手段を知った経路も『インターネット・テレビ・新聞』と多岐に渡っています。現代の情報化社会では無数の情報源が存在するため、どのメディアを経由して硫化水素ガスの発生方法を知ったのかということは自殺問題の本質ではなく、なぜ現代日本において『小さな引き金(ネガティブな断片的情報)』で大切な生命を落としてしまうほどに、ギリギリの精神状態に追い詰められている人がここまで増えているのかを問わなければなりません。インターネットは自分で検索クエリ(キーワード)を打ち込むかリンクをクリックするかしなければ、『目的とする情報』に辿りつけないメディアですので、強制的に見たくないネガティブな情報が押し付けられるという事態は殆ど考えられません。

情報の伝達範囲と伝達速度という点では、不特定多数のマス(大衆)を対象にしたマスメディア(テレビ・新聞)のほうが影響力は強いと思いますが、ウェブとは違ってマスメディア(テレビ)には『個人の欲求・興味』と無関係に画一的な情報を伝達できるという特性があります。ユーザが情報の選択(検索)をするウェブは基本的に『個人の欲求・興味』に対応したコンテンツしか閲覧されないメディアなので、死にたいと思っているユーザが『自殺予防の情報・ポジティブな感情を生み出すコンテンツ』を選択的に見てくれる可能性は相対的に低くなります。ウェブの持つ情報の意図的選択性(選択的注意)や一つのコンテンツ(サイト)を閲覧する人の最大数を考慮すると、『自殺予防の情報』を同時的に広範囲に普及させる効果はテレビのほうがやはり大きいでしょう。テレビが自殺問題への関心がある人にもない人にも『自殺予防の情報』を広めやすいということは、同時に自殺の増加・手段についての情報も広めやすいということなので、自殺報道の内容は『事実と予防・二次被害に対する注意勧告』を中心にして演出を省いた簡潔なニュースが望ましいのではないかと思います。

インターネットにおける情報リテラシーの問題とは、『自分が欲しいと思う情報の影響力・利用法』の問題であり、『自分の基本的欲求・価値志向性』が変わらない限りは『アクセスするコンテンツ・コミュニケーションの内容』は変わらないと考えられます。可能な範囲の予防的対応として自殺の具体的手段の書き込みを制御することには意義がありますが、抜本的対応としては生きていくことに限界を感じて死にたいと思い詰めている人に個別的に対応して『生きたいという欲求・人生における生き甲斐・物事に対する興味』を高めていく他はありません。また、『自殺心理の苦悩に対する共感的な対話・情報』『自殺を煽動する悪質な情報』とは厳密に区別する必要があります。

ネガティブな感情や絶望的な思考の表現活動(コミュニケーション行為)を一律的に規制することは、精神的に追い詰められて孤立している人のストレス緩和や情緒的連帯の場を奪うという意味で逆効果になる恐れもあります。死にたい(消えてしまいたい)という願望や人生・社会に対する悲観というのは、そこから完全に目を逸らして『無難なポジティブな話題・前向きな励まし』を繰り返していれば自然に解決するというものではなく、『本人に固有の苦しみ・絶望の内容』を丁寧に聴いて共感的に理解した上で、生きる意欲を強めるポジティブな方向性(心理的な支援法・具体的な解決策)に話題を持っていかなければなりません。

その為、『何が何でも自殺はダメ・自分は自殺の不安とはまったく無関係だ・自殺者は非難されるべき社会的脱落者だ』というような道徳的・審判的(差別的)な態度で向き合う方法では、自殺志願者の持つ深い苦悩や無力感を和らげることは出来ないと言えます。深刻な希死念慮を抱えている人に向き合う場合に必要な最低限の態度は、『その人の立場に立ってその人の抱えている苦悩や絶望に配慮する・自分本位(社会中心)の道徳的な批判や説教をしない・中途半端に関わって途中で連絡を打ち切らない』ということであり、なぜ、その人がそこまで追い詰められて苦しんでいるのかの気持ち(状況・価値観)に寄り添って受容的に粘り強く支持することが大切です。基本的に、自分(他者)や社会・家族中心の立場から『あなたが死ぬことは他人の迷惑(社会の損失)になる・無責任に自己中心的な行動をしてはいけない』というような他人の利害得失の絡んだ批判的立場をとっても、そういった『社会的・道徳的に正しい言説』によって死にたいと思っている人の根本的な価値観や悲観的な心情が劇的に転回する可能性は極めて低いと考えられます。

何故なら、『社会・家族・他人の迷惑(被害損失)』になるから自殺してはいけないという意見は、『本人の苦痛や問題』とは無関係な部分(本人の外部的事情)に焦点が合わせられており、暗黙裡に、みんな(社会)の迷惑にならなければあなたの生命や人生の苦悩(個別の問題)には大して関心がないということを示唆しているからです。死にたいと思うほどに思い詰めている人が聴いて欲しいのは、『自分固有の悩み(苦しみ・絶望)』であり『自分と家族・他者(社会)の利害関係』ではないということをまずは理解しないと、効果的な予防対策の取り組みは難しいと思います。自殺企図の主観的絶望への理解(寄り添い)を前提にすると、『社会的な迷惑(損害)になるから死んではいけないという道徳的規範性』ではなく、『相手の人生や人間関係に対する悲痛な思い・自分の相手に対する生きていて欲しいという情趣的な希望』を中心にして話し合いを進めていくことが望ましいと言えます。

一般的な『生命の大切さ・人生を生き抜く尊厳』のみを強調しても『本人の主観的な苦悩・実際的な問題』が何らかの方法・手段・決意によって改善していかなければ、当たり障りのないアドホック(その場限り)な励ましに終わってしまいますし、最終的に悲観的認知を修正して自立的な人生を歩み直すためには、ある程度持続的な物心両面の支援体制が求められてきます。連休を楽しむゴールデンウィーク(GW)の平穏な空気の裏で、同時進行する硫化水素自殺の増発を一人一人がどのように受け止めていけるのか……自分の身近な他者(知人)への関心や配慮を中心にしながらも、国民の多くが希望を持てる社会をどうすれば作り上げていけるのかが政治・企業・個人のそれぞれの役割の中で問われてくると思います。






■関連URI
ウェブで語られる“プライベートな問題”と“メンタルヘルスの悩み”:共感的なコミュニティの可能性と影響

学校環境でのいじめや対人関係で追い詰められた子どものクライシスコール:遺書を作成する行為と心理

臨床コミュニティ心理学が目指す“共生的な地域社会”とリエゾン精神医学の“協働的な専門家システム”

“抑うつ的な希死念慮”を構成する心理的要素が“強迫的な焦燥感・責任感”と結びつく危険性

■書籍紹介
人はどうして死にたがるのか 「自殺したい」が「生きよう」に変わる瞬間

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのトラックバック