桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』の書評1:戦後から現代に至る社会の世相を反映した“三世代の女性”の物語

桜庭一樹という作家の小説は今まで読んだことがなかったが、『赤朽葉家(あかくちばけ)の伝説』は日本社会の規範と世相(流行)の変化を『三代の女の歴史』を通して描いた小説で結構楽しく読むことができた。戦後間もない時代を生きた女性から、現代を生きる女性へと移り変わる歴史は、『戦後の貧しさとイエ制度の名残・高度経済成長と女性の専業主婦化・政治(全共闘)の季節の終わり・記号的な消費文明と性道徳の緩和・男女同権と価値基準の多様化』によって目まぐるしい価値観の変化を体験させられた歴史であった。今でも昔ながらの結婚や家族、労働の規範は確かにある程度生き残っているが、万人が同意し大半の人が歩むであろう日本人のスタンダードな人生の道は時代の流れと共にかき消されてしまったかのようである。

急速な時代と価値観の変化の中を生き抜いた赤朽葉家の『三代の女性』とは、赤朽葉万葉(まんよう)・赤朽葉毛毬(けまり)・赤朽葉瞳子(とうこ)という不思議な名前を持つ女性たちであり、物語は文明化を嫌う“辺境の民(サンカ)”の捨て子と推測された万葉の子ども時代から始まる。物語の場所は、大国主命(おおくにぬしのみこと)やヤマタノオロチに代表される日本神話の神秘的な余韻を微かに残していた1950年代の山陰地方の紅緑村(べにみどりむら)。1953年に紅緑村の井戸端に捨てられていた万葉は、貧しく心優しい工員の夫婦に拾われて大切に育てられるが、万葉には識字能力が無かったが未来を予見するという特殊能力が備わっていた。鳥取県紅緑村には“上の赤(赤朽葉家)”“下の黒(黒菱家)”という大きな家があり、旧家で製鉄業を営む赤朽葉家と成金で造船業を営む黒菱家はお互いをライバル視する関係にあった。

製鉄業・造船業といった第二次産業(重工業・製造業)は戦前から高度経済成長期まで続く日本の基幹産業であり、油と汗にまみれて懸命に働く工場労働は当時の花形の職業でもあった。赤朽葉製鉄や黒菱造船で働く労働者の給与は、平均的な農業者や労働者よりも随分高く、中世的なたたら場(昔ながらの製鉄場)をつぶして作られた近代的なドイツ製の溶鉱炉は、紅緑村の若手の雇用を力強く支えていた。製鉄業の全盛期に天空に向けてそびえ立ち、勢い良く煙突から煙を立ち上らせる溶鉱炉は紅緑村の希望の象徴であると同時に、工業生産力は日本経済を牽引する強力な内燃機関であった。

終戦後間もない日本では、肉体労働で汗を流して真面目に働く夫、家庭で家事・育児をする女性という夫婦モデルが安定した家族の象徴となり、大多数の国民はそういった男女関係のあり方や人生の生き方に疑問を抱くこともなかった。戦後すぐの時代は間違いなく『男の時代』であり、男の価値とは『身体が頑丈で働き者であり、家族を養えるもの』という部分に一元的に偏っていた。平均的に貧しかった時代には、容姿やファッション、文化的(知性的)洗練などが異性の価値として殆ど認められない『生活力・経済力優先の価値規範』が厳然としたものとしてあり、家族を守る働き者の夫と夫を家庭で支える従順な妻という組み合わせが『あるべき夫婦像』として受容されていた。

国民全体に上昇志向はあったが、それは下層の生活から中流階層を目指そうとする上昇志向であり、『観念的・政治制度的な階層秩序』に対してはおしなべて従順であった。赤朽葉家・黒菱家のような富裕な名家(資産家)や政治家・官僚のような権力者と自分たち庶民(一般労働者)は身分が違うのだという階層意識によって、戦前からの社会秩序(封建的な秩序感覚)が持ち越されているという雰囲気が濃厚だったのである。現代的に言えば“分相応な生き方”という自虐的な言い方になるが、当時においてはそういった秩序感覚は所与のものであったため、それぞれが自分の生まれ落ちた環境に規定されながら必死に生きるという他はなかった。あの人と私たちとは『別世界の人間』という表現は現代にも残っているが、当時においては戦時中のお上意識の影響もあり身分規定的な意味合いも僅かに残っていた。旧家(資産家)や政治家・官僚といった人たちは、一般の国民からすると『特別な立場の人たち(利権を持っていて当たり前の人たち)』であり、自分と対等な目線からの批判や競争の相手としては初めからイメージされていなかったといえる。

現代に比較すると『経済生活の貧しさ』はあっても『自我アイデンティティの苦悩』は少なかった時代であり、青年のモラトリアム(社会的選択の猶予)も庶民には無かったので『決められた人生の枠組み』を生きるのが当たり前と認識されていた。現代的な自己アイデンティティの苦悩の多くは『何者にもなれないのではないかという不安』にあるが、1950年代という時代には大半の家庭において人生に対する選択の余地がそもそも少なかったし、所与の条件を受け容れることへの抵抗というのも小さかった(ある意味で、生まれた場所・家族によって自分が何者になれるかの大枠が決まってしまっていたとも言える)。万葉の結婚相手も、赤朽葉タツという赤朽葉家の家長的立場にあった女性の“鶴の一声”で決定されることになり、捨て子だった万葉は紅緑村一の旧家で製鉄所を経営する赤朽葉家に嫁ぐことになる。

現代では相手の家に“嫁ぐ(とつぐ)”ということの概念的意味は薄れつつあるが、万葉は文字通り夫の赤朽葉曜司(ようじ)“個人”に嫁いだというよりも、由緒正しい歴史を持つ赤朽葉家という“家(家系)”に嫁いだのであった。万葉と万葉の娘の毛毬(けまり)は、“赤朽葉家”という家を守るために結婚して子供を作ったのであって、そこに現代的な恋愛感情のような『男女間の情緒』が存在したわけではなかった。万葉は赤朽葉タツの決断によって自分の意志とは無関係に夫・曜司と結婚した。1980年代のヤンキー文化(暴走族文化)全盛の時代に、中国地方で暴れまわった娘・毛毬は、若い頃にはヤンキーらしい自由恋愛を楽しんだ。しかし、ヤンキーを引退して人気の少女漫画家に転身してからは、赤朽葉家の後継者を確保するために祖母のタツが選んだ(顔も合わせたことがない)赤朽葉製鉄所のエリート社員・美夫(よしお)と結婚した。万葉も毛毬も自分の意志や選択とは無関係に結婚して、赤朽葉の家のために子供を残したのである。

結婚の自由化(相対化)とつながる自由恋愛を初めて経験するのは、万葉の孫の赤朽葉瞳子(とうこ)の世代になってからであり、製鉄業を廃業した赤朽葉家には、かつてのような家名を存続させるという重圧感(権威性)は無くなりつつあった。瞳子の時代には、母の毛毬は漫画家の仕事の過労で早死にしており、赤朽葉の家を象徴的に支えているのは千里眼奥様と異名を取る赤朽葉万葉になっていた。本来、赤朽葉家とは縁もゆかりもない万葉が家の歴史的権威の象徴として鎮座しているのだが、そこには赤朽葉製鉄が全盛だった頃の荘厳な威圧感や権威性は殆ど無くなっていて、次代を担う瞳子は結婚相手を一方的に決められることも結婚を急がせられることも無くなっている。

22歳で無職の瞳子は、高校時代に野球部で活躍していた多田ユタカに惚れて付き合い続けていたが、ユタカは卒業後にごくごく平凡なサラリーマンになり、仕事をなかなか続けられない自分の弱さに苦悩していた。『できることをやるだけだよ』と語りながらも日々の仕事の重圧に打ち負かされそうになるユタカからは、高校の野球部時代にあった輝きは薄れており、祖母・万葉の時代にあった『製鉄の仕事に己の生命とプライドをかける荒々しい男たち』の相貌はもう無かった。万葉の親友であった赤朽葉製鉄所で働く職工の穂積豊久は、『ドイツ製の溶鉱炉と心中したって構わない』という気概を持った頑固な職人であり、実際にその信念をそのまま貫く苛烈な労働者としての人生を送った。

穂積豊久は近代的製鉄業(大量生産の規格鉄鋼製品)の流れについてこれなかった職人の父親を馬鹿にしていたが、職工の仕事に生命をかけるほどのプライドを持っていた豊久自身も製鉄業の不振や更なる機械化(工場のコンピュータ制御とオートメーション)という時代の波に呑み込まれた。そして、職人気質なプライドを持って仕事に臨むような労働者が激減する時代が到来し、現代の瞳子とユタカの時代になると『何のためにマニュアル化された仕事をすれば良いのか分からない』というニート問題にも波及する職業アイデンティティの迷走に差し掛かることになる。この小説には、若者の結婚と労働を巡る『価値規範の拡散』をテーマにしている部分もあり、戦後には自明の義務であった結婚や労働が次第に自由な選択対象となるにつれて、若者に『結婚する意味・労働する価値』が伝わりにくくなるプロセスがリアルな物語として再現されている。

高度経済成長期にさしかかる頃までは、“結婚”は相手個人のことが好きか嫌いかという恋愛感情が必要不可欠のものではなく、一定の年齢になれば自立した生活のためにすべきものであり、家柄・血統にこだわりがある家系では家名(子孫)を残すためにしなければならないものであった。結婚しないという選択自体が大多数の男女にはなく、結婚しないことの実際的メリットも少ない時代だった。万葉を育ててくれた義理の母親は、万葉に以下のように結婚の心構えについて語って聞かせたが、未来の予見能力がある万葉は強い風を受けて『義母が語った人間の生き方が、自明の理ではなくなる時代が到来する』という(彼女にとって)不吉な予感を抱く。『赤朽葉家の伝説』は、結果が分かっている現代から過去をさかのぼって記述するというスタイルなので、この予見は未婚化・少子化・養子衰退の現代からすると当然当たっているのだが、1950年代の女性たちが現代の男女観や価値規範の多様化を予想することは殆ど不可能だっただろう。



(筆者注:捨て子の万葉を拾った理由について聞かれた)妻は考え考え、答えた。

『わしが子供のころは戦争も始まって、食べるものもなくて、もっと貧しかったしね。ここの暮らしは天国よ。あのことは男はどんどん兵隊さんに取られとって、産めよ、増やせよ。とにかく子供は宝じゃと言われとったのよ。あのころと比べたらここにきてからは豊かだったし、それに、子供やっぱり宝でしょう』

『誰かが育てな、と思ったのよぅ。わしらがいちばん若かったし。男はよぅく働くのがいちばんじゃし、女はよぅく産んで育てるもんでしょう。わしはそう信じて生きちょったし、そしたら、人が産んだ子でも、関係あるまいね!』

『万葉ちゃんも、たくさん子供を産んで、選んでくれたぼんを大事にしてね。赤朽葉の人たちへのご恩返しに、女ができることは、とにかく産んで育てることよ』

桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』p45-p46より引用



現代的価値観からすると、この妻の発言に同意できる人はあまりいないと思うが、男尊女卑や封建主義的規範ということを意識化することがないほどに、おそらく当時においては自明な人間の生き方であった。現在の70~80代以上の女性に自分の恋愛・結婚・出産を『個人の選択の対象』とするような発想があったとは考えにくいが、それによって現代の女性よりも昔の女性のほうが苦悩が多かったとすることはできないのでないかとも思う。自由な選択肢の拡大は『自己責任の重さ』と表裏一体であり、みんながほぼ同じような人生のキャリア(妻・母としての履歴)を歩む過去の時代よりも、千差万別の自分の人生を選び取っていかなければいけない現代の時代のほうが心理的な不安感が大きいという可能性もある。

過去に生きた男性・女性も、現代に生きる男性・女性も、それぞれの時代に特有の苦悩やストレスを抱えているわけだが、過去には『物質的欠乏・社会的規範』が個人の人生の大まかな流れを半ば必然のものとして規定していた。しかし、現代では『観念的な自己アイデンティティの苦悩・価値規範の相対化・マニュアル化(オートメーション化)された労働』が個人の人生・仕事における生き甲斐の獲得を困難にしている部分があり、自分自身がどのような道を選択するのか(何をしたいのか)が絶えず問われるようになったのだった。






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■書籍紹介
赤朽葉家の伝説

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