セス・ゴーディン『ダメなら、さっさとやめなさい!』の書評:仕事や勉強で価値を生み出す努力の方向性

『勝間和代のインディペンデントな生き方』の書評で、経済活動としての仕事(職業)では『努力の方向性』が重要になるという話をしました。セス・ゴーディン『ダメなら、さっさとやめなさい!』は、何に時間や労力のリソースを振り向けるべきなのかという問題意識に絞って書かれたコンパクトな本です。冒頭の『古くからの格言は間違っている』という前書きの中に、『この目標は、本当に骨を折るだけの価値があるのか?』という言葉がありますが、私たち一人一人に与えられた人生の時間と能力は有限ですから、限られた時間を何に重点的に注いでいくのかが仕事や勉強では大切になってきます。

古くからの格言である『石の上にも三年』『転石苔を生ぜず(これは色々な活動に興味を持つことを肯定的に解釈することもありますが)』も正しいことがありますから、『ダメなら、さっさとやめる』という行動戦略が必ずしも正しいわけではありません。一つの仕事(ビジネス)や勉強を忍耐強く続ける場合に、現時点で満足のいく報酬が得られなくても、将来に何らかの発展の余地や明るい希望があればまだ暫く頑張って続けてみる価値があります。また、生活のための『確実な収入』を気にしなくても良い趣味・道楽・副業などであれば、『好きなことをマイペースで続ける』ことに何の問題もありません。

しかし、株主に説明責任を果たし従業員に給与を支払わなければならない企業の経営者や自分自身の生活のための収入を得なくてはならないスモールビジネスのオーナー(自営業者)が、費用対効果や将来の利益(成長)を無視して、何の成果(利益)も出ない『一つの事柄(事業)』を地道に頑張り続けることは無意味であるだけでなく大きな損失を生みます。経済活動は『努力の方向性』を間違えると、どんなに優れた商品・サービスのアイデアがあってもどれだけ苦労して頑張っても成果が生まれず、くたびれ損の骨折り儲けということになりかねないわけですが、本書はそういった努力の無効化を回避するための『やめる技術』について言及した本です。

もちろん、何から何まで苦しくて辛かったらやめれば良い、結果が出なさそうだったらやっても無駄という話をしているわけではなく、『自分の目標』に適合した努力の方法を考えることの大切さ、努力して苦労した時間が無意味にならないようにするために『人生のビジョン・ビジネスの方向性・今やっていることの意義』を絶えず検討していくことの重要性を言っているわけです。水を得るために井戸を掘っていて地質調査をした結果、その場所を幾ら深く掘っても水が出ないと分かった時に、その土地にこだわって延々と掘削を続けることは時間と労力の無駄になりますから、水を得るという目的に合わせて掘削するための『新たな場所』を探さなければなりません。

あるゲーム企業が、絶対の自信を持って最新のゲーム機を市場に投入した場合でも、その最新ゲーム機が何ヶ月にもわたって思ったような売上を上げられなければ、いずれは生産量を減らさなければならなくなります。一定期間は、テレビCM(各種媒体での宣伝広告)やマーケティングを行いながら、最新ゲーム機をより多く売るための努力をしますが、ある程度の努力を継続しても全く売上が上向かなければ、幾ら企業の経営陣が『こんな素晴らしい商品がどうして売れないのか』と思っていても生産を継続することは出来ないでしょう。

あらゆる商品やサービスには市場経済の需給原則が働きますから、消費者の需要を生み出して売ることができなければ、そう遠くない時期に幾ら努力したくてもその商品やサービスを売るための努力が出来なくなります。個人の勉強でも、年齢制限のある資格試験や入社試験(公務員採用試験)などであれば、幾ら徹底的に粘り続けて努力したくてもいずれは努力できなくなってきます。『やめる技術』とは、自分の目的や適性、能力などを考慮しながら、自分にとってより価値のある行動、努力と報酬(経済的・心理的報酬)のバランスの取れた行動へと自分のリソース(時間・労力)を振り分けていく技術のことです。

この仕事や勉強を幾らやり続けても将来の希望が持てないと判断できた時には潔く方向転換を図って、今とは異なる目的に自分のリソースを振り向けようというのがセス・ゴーディンの主張です。反対に、『この仕事や勉強をやり続ければ大きな成果(報酬)を得られる可能性がある』と確信できる場合には、徹底的に諦めずに一つの事柄を頑張ることが正しく、中途半端なレベルでやめてしまうことが大きなリスクにつながります。将来の大きな成果を期待できる一つの仕事や勉強を必死に頑張り続けることの価値について、本書では『「世界で最高になろう」!』の章で触れています。簡単に言えば、『特定の分野』でトップレベルの技術・知識を身につけたり最高のブランド価値(知名度・人気)を手に入れることは、『複数の分野』である程度の成果を出すよりも有利であるという事実を指摘しているわけですが、これは『やめる』とは反対の『極める』ことの重要性を示唆しています。

すべてにおいて『平均的な能力』よりも特定分野において『突出した能力』のほうが大きな市場価値を生み出しやすいのですが、それはマクドナルドに美味しい牛丼を期待しないことや、優秀な医師に法廷での弁護を期待しないことにも似ています。マクドナルドは生産設備や販売システムを改変すれば一定レベルの牛丼を売ることも可能だと思いますが、そんなことをしても今以上の営業利益を上げられるわけではないので敢えて売らないでしょう。頭の良い医師の中には、勉強すれば法科大学院を卒業して司法試験に合格できる人材もいるでしょうが、医学以外の専門分野に深くコミットしても得られる成果は小さいですから、大半の医師は医学・医療分野の中で専門性を高めていく事になります。

仕事や職業(企業活動)においては、『すべての分野でまずまずの能力を持っている』というオールラウンドプレイヤーは余り期待されておらず、幾ら資本力に余裕が出来ても、SONYがファミレス事業を展開したり、スターバックスが携帯電話の端末を作ったりすることを殆どの人は期待していません。企業のブランドイメージから大きく外れる事業をしたり、専門分野と全く異なる仕事での才能を示してもそれが直接的な成果を生み出す可能性はまずありません。個人でも企業でも欲張って『全ての分野で抜群の能力と適性を見せたい』と思っても、結局は特定の分野に『選択と集中』をしなければならず、幾ら他に好きで得意な分野があっても本業と同様の成果をそこから上げることは難しいでしょう。

結論としては、あれこれ目移りして中途半端にいくつかの道を極めるよりも、一つの事業分野や専門分野を徹底的に極めてその分野におけるトップ企業や最高レベルの専門家・技術者になるというのが事業・仕事・学問の王道だということになります。世界を代表する企業や日本の上場企業を見ても、総合商社などを除いてすべての分野でそこそこに成功しているという多角経営型の企業は見当たらず、金融証券・外食産業などを含む多角経営をしているとしても、コアとなる主力事業とブランドイメージが確立されています。個人でも管理職のゼネラリストとしての需要は確かにありますが、大まかにどういった事業分野のゼネラリストなのかという専門分野・職務経歴があるでしょうし、現実問題として、(数字上の経営改善を別として)広範な分野で中心的な役割を果たせる実務経験やノウハウ、技術・実績を持っている個人というのはいないのではないかと思います。

本書の『ダメなら、さっさとやめる技術』というのは、自分が幾ら努力してもその分野では『満足のいく成果・努力に見合った結果』が得られないと予測できる時に見切りをつけてやめる技術のことであり、自分に最も適した分野(行動)に『選択と集中』を行うということです。『先の見えない仕事』を本書では努力の道の『行き止まり』と表現し、何か大きな価値があるように見せかけて無為な努力を積み重ねさせるトラップを『絶壁』と表現しています。この『行き止まり』や『絶壁』を回避して『選択と集中』を行うことによって、仕事の上での成果(報酬)や上達がついてきます。しかし、自分に適した分野で『選択と集中』を行ったからといって誰もが思い通りの成果を手に入れられるわけではなく、問題は努力の先に待ち構える『運命の谷』を乗り切れるかどうかということにあります。

努力の方向性を定めて一つの仕事や勉強に懸命に取り組んでいると、人は必ず『運命の谷』と本書が呼ぶ試練や困難に出会うことになります。ある分野の勉強をしていると、はじめの基礎的な部分は簡単に理解できたのに、難易度が上がってくるとなかなか理解できない部分が増えてくるという経験をした人は多いと思いますが、大多数の人はその分野の専門家になる前に待ち受ける『運命の谷』を乗り越えられずに挫折します。何かの資格試験でも、テキストを購入した直後にはやる気に満ち溢れているのに、勉強を続ける中でその膨大な分量に圧倒されたり分からない部分が増えてきてやめたくなってしまう人は少なくないと思います。

この努力をやめたくなる瞬間が『運命の谷』であると言えますが、かなりの割合の人が運命の谷を前にして途中で諦めてしまうからこそ、運命の谷をブレークスルーした人が得られる成果(報酬)が格段に大きくなってくるのです。しかし、すべての分野や努力の先に待ち受ける『運命の谷』の深さにはそれぞれ違いがあり、誰もまだ目をつけていないようなニッチな谷は乗り越えやすく、大企業が独占しているような谷は誰も乗り越えられないほどに深くなります。大きな報酬や成果のための運命の谷は往々にして深いものですが、個人の生活や幸福を成り立たせるための運命の谷であれば、努力の方向性と自分の行動の目標を正しく定められれば、多くの人が乗り越えることが出来るのではないかと思います。

本書の内容は、経営者向けといった雰囲気が強く『勝ち組(成功)・負け組(失敗)』といった二元論的な記述が目立ちますが、個人が勉強や仕事で一直線に努力する方向性を定める場合にもふと考えさせられるような記述が散りばめられています。非常に薄い本なので短時間で読み終えられるのですが、『努力を続ける・やめる』『運命の谷を見極める』というシンプルな問題構成に焦点を合わせていて、自分自身の目的設定や行動原理を簡単に振り返るのに役立つ本ではないかと思います。『ダメなら、さっさとやめなさい』の本の分量と小売価格を比較するとやや割高な印象がありますが、人間の経済的な行動原則や個人の時間・労力の使い方(配分)を顧みるという点では面白いコンセプトの本だと感じました。







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