太田雄三『英語と日本人』の書評2:“教養・知識としての英語”と“実用・道具としての英語”

『英語と日本人』の中で一番読み応えがあるのが第四章『これからの英語と日本人』であり、この本は1981年に刊行されたものにも関わらず、『英語の勉強法・日本人の語学力』について現代にも通用する本質を見事突いている。『なぜ、日本人は英語が苦手なのか?』という質問をする人は、日本人は学校の英語の勉強が得意な人でも英語の語学力が低いと思っているが、これは半分正しくて半分間違っている。日本の受験レベルの英語をマスターして英語の一般書籍を読みこなせるという人はかなりの数いるはずだが、これらの人は『英会話』がまるで出来ないからといっても英語が苦手というわけではない。英語のヒアリングやスピーチの能力を高めて会話が出来るようになるためには、『英語を話す環境・英語で会話する相手』がなければならないが、日本ではそういった環境(相手)は意識的に求めない限り殆どない。

『英語の読み書き能力』『英語の会話能力(運用能力)』はその習得方法が異なるものであり、前者は実際に英語が話せる相手がいなくても『書物(本・辞典・文法書)』を読むだけでマスターすることができるが、後者は『英語が話せる人(状況)』がないと独学だけでは限界があるのである。そのため、日本人のアカデミズムの研究者には、難解な専門分野の論文を英語で書けても、英語によるコミュニケーションは余り得意でないという人が数多くいるが、『書き言葉』と『話し言葉』の能力がいつも比例するわけでないことは、日本語を母語とする日本人の言語能力の差を見ても明らかである。日本人でも語彙が少ない人は『知らない日本語の単語(漢字)・熟語・故事成語』が多くあるように、アメリカ人やイギリス人も知っている語彙の個人差には大きな開きがあり、難解な専門的な論文を読みこなせるような英米人の比率は高くないはずである。英語のペーパーブックには、本国人も利用するVocabulary Building(豊かな語彙の構築)の本が数多く出版されているが、英語を母語としている人たちでも意識的に勉強しなければ知らないような単語・言い回しが数多くある。

また、言語学的には『話し言葉』を習得するよりも『書き言葉』を習得するほうが難しいのだが、日本の英語学習環境のように『英語を使って意思疎通する環境・必要性』が極端に少ない場所では、『書き言葉(英語の本)』にしか殆ど接しないので『話し言葉(対人コミュニケーション)』の習得が非常に困難になるというだけである。英語の本を何百冊と読んで完全に理解しても、実際の外国人と向き合って話す機会を多く持たない限りは、英語の話し言葉が上手くなるわけはない。日常の生活圏に英語を話す外国人の数が少なく、大半の仕事では英語を話す必要性がない日本では、流暢な英会話が出来ないのは自明の理なのである。日本人でも『漢字が多い長文の文章は頭が痛くなる』という人がいるように、英米人にも『難解な単語が繰り返し出てくる文章はその意味を上手く理解できない』という人がいる。その意味では、英語の読み書き能力に限定すれば、日本の高等教育しか受けていない日本人の中にも、かなり高度な英語力(語彙・文法・読解の能力)を有する人は少なくないのではないかと思う。

しかし、日本人には英語の書物を読む能力がいくら高くても、アメリカの子どもとさえまともに会話するコミュニケーション能力がないことが多いので、会話能力の面で日本人の英語コンプレックスが強まりやすいという側面がある。このコンプレックスについて、著者の太田雄三は『母語としての言語』と『外国語としての言語』は全く異なるものであり、書物中心で学んだ日本の英語教師に外国の子どもと会話するコミュニケーション力がないとしても全く劣等コンプレックスを抱く必要はないとしている。それは、外国人を話し相手に持たない『書物による英語学習』という方法を選択している限り、口語(話し言葉)の英語に直接触れる機会が何十年も無かったのだから、英語教師であっても英語を話せないのは当たり前だからである。日本には数多くの英語マニア・語学マニアがいて日々熱心に外国語の勉強をしているが、なかなか流暢に外国語を使いこなせるまでのレベルに到達する人は少ない。これは何ヶ国語もの言語を短期間で習得できるような一部の語学の天才を除いて、母語とは違う言語を体系的に習得する作業というのは元々非常に困難なことだからである。また、『外国語への憧れ(非日常性)』を感じている限りはその言葉は飽くまで母語とは違う外国語に過ぎないのであり、その点が、特定の言語に深く傾倒する語学マニアの語学力が一定水準で頭打ちになりやすい理由かもしれない。

英会話ができない夏目漱石が現地のイギリス夫人を『こんな簡単な単語も知らない・読書量では私のほうが圧倒的に上である』と悔し紛れに軽蔑したように、日本人で英語の語彙が多い人は、一般のイギリス人やアメリカ人が知っている以上に単語を知っている可能性はある……しかし、英語の単語や表現を多く覚えるための英語学習は本書でいう『道楽(教養)としての英語』であり、外国人とコミュニケーションすることに目的を絞った『道具(実用)としての英語』とは異なるのである。日本人がコミュニケーションのための英語ができない理由は、英米人が日常のコミュニケーションで用いる英語とは全く異なる『教養・勉強のための英語』をしているからであり、日本人が高校までに習う英文法のレベルを完全にマスターしていれば、英文法の問題に関しては本国人よりも高い点数が取れる可能性がある。

日本人が日常会話で間違った文法や省略した言い回しを幾らでも使うように、英米人も日常会話では文法上の間違いを多くしたりしているが、日本人はどちらかというと『きっちりした口語的でない英語・文法的に正しい英語』のほうが理解しやすい。なぜなら、日本人の多くは教科書・問題集でしか英語を勉強しないので、現地の人が日常会話で頻繁に使っているような口語の言い回しや慣習的・流行的な表現に接する機会が無いからである。日本人同士であっても世代の違いやコミュニティの違いによって『相手の口語的表現(若者言葉・略語)』を理解できないことがあるのだから、外国人が仲間内で使っているような口語的表現が理解できなくても当然といえば当然である。

日本人は外国語でのコミュニケーションに劣等コンプレックスを持っている人が多いが、それは受験英語をはじめとして日本の英語学習プロセスのほとんどが『教養・知識・道楽としての英語』を習得するためのものだったからである。しかし、『教養・知識としての英語』『実用・道具としての英語』のどちらが優れているとは単純に言い切れない面があり、その人が『何を目的として英語を習得しようとしているのか?』によってどちらの英語を重視すべきかが変わってくる。簡潔に言ってしまえば、『外国の人間』との意思疎通を目的としているのであれば『実用としての英語』を習得するために外国人と会話する機会を多く持つべきであり、『外国の書籍』を自由に読みこなしたいのであれば日本的な『教養としての英語』でも十分に対応することが可能なのである。英会話の能力が低いと嘆いている人の中には、『外国人との対人コミュニケーション』をそれほど望んでいなくて、『英語の書籍・雑誌・文献・ウェブサイト』を読みたいだけというような人も少なくない。そういった人は初めから聴いたり話したりする英語への関心と学習意欲が乏しく、外国人と積極的に交流しようと思っていないのだから英会話がなかなか上達しないということには合理的な理由がある。

『自分がなぜ、英語を勉強したいと思うのか?』の目的意識がしっかりしていないと、外国人とコミュニケーションするための英語を学びたいのに、教養(英文読解)のための英語を身につける努力を延々としているという非効率に陥ることにもなるが、高度な英語コミュニケーションでは『教養・知識としての英語』が全くの無駄になるわけではなく、ボキャブラリーが多いことや英語文化の知識があることは知的な議論の場では不可欠の要素となる。本書の最後では、日本人が母語に近い『英語らしい英語』を学ぶ必要性はそれほど高くないと語り、『読む・書く・聴く・話す』のすべての言語領域で外国語に十分に精通することは並大抵の努力では不可能だとしている。

サピア=ウォーフの仮説ではないが『言語構造・言語習慣によって思考(世界観=言語で指示できる対象の総体)が規定される』ということを考えると、思考内容や感情表現のすべてを英語で行うということは、文化的・歴史的な自己アイデンティティが大きく英語圏の方向へシフトすることを意味する。日本人としての自己アイデンティティを維持しながら外国語を習得したいというのであれば、『外国語としての英語』以上のネイティブな英語に接近するような英語教育は好ましくないと言えるし、日本語に包摂される日本文化を保存していくという目的を捨てないのであれば、『国語(日本語)』の十分な教育を行った後に『外国語』を学ぶという公的な外国語教育(英語教育)の基本原則から大きく外れる改革を行うことは出来ないといえるだろう。本書では、英語を流暢に話す英米の旧植民地の国の人が、たどたどしい英語しか話せない日本人を羨ましく思うといったエピソードも出てくるが、日本の英語力が平均的に低いことの背景には、日本語ですべての地域の人と会話が通じる言語的・民族的均質性の高い国家であるということ、戦後アメリカに占領された期間があっても言語的文化(日本語文化)を全く傷つけられなかったということがあるのではないかと思う。


■関連URI
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対人コミュニケーションのストレスとアサーティブな人間関係:1

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■書籍紹介
日本人に一番合った英語学習法―明治の人は、なぜあれほどできたのか (祥伝社黄金文庫)

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