精神的ストレスとフラストレーションに対応する自我防衛機制の働き:環境適応の視点から見る人間

前回の記事では、『外部環境への適応』と『内的欲求への適応』のバランスについて書きましたが、適応には、自我が余り関与しない物理的充足(生存・摂食・睡眠)のための適応と自我の関与が強い精神的充足(承認・自尊心・自己愛)のための適応とがあります。近代以降にはパノプティコン(一望監視施設)を説いたM.フーコーや反精神医学を標榜したR.D.レイン、普遍的無意識を重視したC.G.ユングなど、『所与の環境への適応に内在する問題』を指摘する人物が多く現れましたが、依然として精神医学や臨床心理学(一般的なカウンセリング)の主要目的は『環境適応の促進』であり続けています。無論、心身症やうつ病に対する心理臨床活動では、『過剰適応の緩和=休養のすすめ・自己肯定的な意識転換・自己の責任感覚の見直し』ということが重要視されているわけですが、過剰適応にしても適応困難(不適応)にしても『適応している状態のほうが正常(望ましい)』という価値判断から自由なわけではありません。

精神保健福祉的な保護政策によって、一時的にストレス過多な生活状況(職業活動・社会的義務)から離れることはできますが、最終的にはやはり既存の社会環境(経済生活)にできるだけ適応していくということが課題として立ち上がってきます。精神障害によって長期療養をしている人であっても、よほど病態水準が重くて意識障害や自傷他害などが恒常的に見られるようなケースでない限りは、『社会復帰の問題(社会への再適応の問題)』というものが何処かの時点で立ち上がってくるはずです。知的障害や発達障害、統合失調症、重度のうつ病などによって通常の社会適応(自立的生活)が難しいケースは多々ありますが、公的な就労支援(教育研修支援)や授産施設での仕事、職場での特別な配慮、可能な範囲での短時間労働など様々な方法によってその人の健康状態・適性・能力に合わせたより良い適応を模索することになります。

ヒトを含む動物が『適応行動』を取る一番の目的は『生存維持』のためですが、自我意識に支えられた人間の適応行動には『所属と愛の欲求・承認欲求・自己実現の欲求』が深く関わっており、現代社会に生きる人間では多くの場合、生存以外の心理的な理由によって適応的な行動が選択されています。更に、人間の環境適応では、他者との互恵性(個人の権利の相互不可侵)を実現する『社会共同体のルール』によって選択可能な適応行動が制限されているという特徴があり、精神分析では社会的なルール(善悪判断)を守る働きをする精神機能を『超自我(superego)』と呼びました。超自我は両親の躾や学校の教育、対人的な感情体験によって内面化された『社会的な行為規範』であり、規範意識やマナー感覚が低下したと言われる現代においても、善悪を分別する超自我を完全に無視した適応行動を想定することはできません。

人間は、環境不適応に陥るとフラストレーション(欲求不満)や精神的ストレスを感じますが、十分なフラストレーション耐性(ストレス耐性)や対処能力(各種スキル・合理的認知・周囲の援助)があれば、心因性の精神疾患を発症したり強い不安・緊張に苛まれたりすることはありません。しかし、精神疾患の生得的な素因や脳器官の損傷があったり、虐待・暴行・事件・災害など限度を越えた余りに強いストレスを受けた場合には、どんな人であってもメンタルヘルスにストレス反応性の異常をきたす恐れがあります。精神的ストレスは、自分の欲求が充足できないフラストレーション状態や自分の安全(健康)が脅かされる危険・恐怖を感じた時に強まりますが、日常生活の中で感じるストレスの多くはフラストレーションの高まりや自己愛(自尊心)の傷つきと関係しています。

フラストレーション攻撃仮説に示されるように、人間は自分の欲求(何かが欲しい・何かをしたい・認められたい)が充足できない不適応状態が長期的に継続すると、心理的緊張が強まり他者に対する攻撃性や破壊衝動が見られやすくなります。フラストレーション攻撃仮説では、生理的緊張や情動的な怒りのカタルシス(浄化)として攻撃行動・破壊衝動が理解されていますが、『自分が悪いから・自分に能力がないから欲求が充足できない』と認知する自罰(自責)傾向のある人は『攻撃行動』は起こらず『抑うつ感・無気力・無力感』に陥りやすくなります。持続的なフラストレーションに対する攻撃反応が起こるのは、『周囲(社会)による制約・妨害で自分の欲求が充足できない』と認知する他罰(他責)傾向のある人で、『欲求充足・自尊心の回復・他者(社会)への報復』などを目的とした攻撃行動を起こす場合があります。

フラストレーション攻撃仮説に関連する仮説として、フラストレーション退行仮説や攻撃・手がかり説(手がかり・喚起説)がありますが、フラストレーション状況は人間を幼児的で不適応な行動様式へと退行させることがあります。端的に言えば、思い通りにならなければ暴れる、物を壊す、脅しつけるなどといった不適応行動が幼児的な退行であり、自我の衝動制御能力が著しく低下した状態になります。過去にはこういった退行的行動を『運動暴発』と呼ぶこともありました。フラストレーションは単純な欲求の阻止だけではなくて、自己の二つ以上の欲求が内面でぶつかり合う『葛藤(コンフリクト, conflict)』によって生まれますが、K.レヴィン(1890-1947)『接近‐接近型・回避‐回避型・接近‐回避型・二重接近‐回避型』のコンフリクトを想定しました。接近とは『~したい・~が欲しい・~に近づきたい』という欲求であり、回避とは『~したくない・~は要らない・~から遠ざかりたい』という欲求のことであり、二つ以上の欲しい対象がある時に『接近‐接近型の葛藤』が起こり、ある対象を手に入れた時に何らかの不利益を受ける時に『接近‐回避型の葛藤』が起こります。

ストレスやフラストレーションを感じる不適応状態では、葛藤による自分の苦痛・不快を和らげるために、人間は以下のような様々な自我防衛機制を用います。主要な防衛機制の種類については『精神分析(psychoanalysis)』の項目を、メラニー・クラインの原始的防衛機制については『メラニー・クライン』の項目を参考にしてみてください。自我防衛機制とは、自我を苦痛や不安から守るために『見たいものだけを見て、見たくないものを見ないようにする(不快・苦痛・嫉妬を生み出す心理的要素を意識から排除する)』という心の防衛的な働きであり、適度に用いられれば精神的安定と現実適応を維持するのに役立ちますが、防衛機制によって自分の欲求・感情を否認し続けるとメンタルヘルスの調子を崩すことになります。

抑圧(repression)……不快な感情を伴うトラウマ体験や自分の自尊心を傷つける考え、社会的に容認されない欲求を無意識領域に抑圧して思い出せないようにすること。

退行(regression)……幼児期の発達段階(固着点)へと精神的な退行をすることで、他者の支援や保護を手に入れ年齢相応の責任や応答を免除されようとすること。

投影(projection)……自分の持っている内面的な欲求(感情)や願望を相手の内面に投影して、自分の主観的な世界観の中で相手の属性を決定すること。投影の防衛機制の過剰により、相手に対する妄想観念(被害妄想)や恋愛感情における勘違い(相手の感情の勝手な推測)などが形成される。

合理化(rationalization)……自分の行動や欲求を正当化するために合理的なもっともらしい理由を考えて、認知的不協和による不快感を感じないようにすること。自分の本当の欲求や感情が充足されないというフラストレーションを『合理化』によって短期的に低下させることができる。しかし、本当に欲しい対象の『価値の引き下げ(他者・環境への原因帰属)』を行う合理化は現状維持的なものであり、より良い状況を作り上げたり自分を成長させたりするモチベーションに乏しいという欠点がある。本心では価値があると思っている対象を、合理的な説明によって『無価値』と認知する防衛機制であるが、合理化は自尊心や自己愛の防衛形式であり『反動形成』の前駆的防衛でもある。

反動形成(reaction formation)……本当の欲求や感情を抑圧して、それとは正反対の態度や行動を示す防衛機制で、自尊心を守る『合理化』による表層的適応が限界に達した時に反動形成を生じることがある。異性間の愛憎関係のトラブルでも反動形成が関与していることがあり、反動形成の根底にあるのは『手に入らない欲求対象に対する自己欺瞞的な反応』である。

昇華(sublimation)……社会や他者に受け容れられない欲求を、適応的な『高次の欲求』に置き換えて充足するという防衛機制であり、自己や他者にとって最も生産的な防衛の方法である。以下に示す『本来の欲求の社会的昇華』に当たり、本来の欲求を社会的に評価される事柄で代理的に充足することができるが、恋愛感情や親和欲求のような対人欲求の場合には『昇華』だけでは十分な満足が得られないこともある。


フラストレーションや葛藤(コンフリクト)を健康的に解消する方法としては、『本来の欲求の直接的満足・本来の欲求の代替的満足・本来の欲求の社会的昇華・本来の欲求の想像的満足(創作的表現による満足)』の4つを考えることができ、無意識的に保持している欲求は何らかの形で発散(充足)することにより心の健康と精神のバランスを保つことができるのです。結局のところ、自己欺瞞的な生き方や自己抑圧的な人間関係を長期的に続ければ人間は精神のバランスを崩すわけであり、現実適応を続けながら心身の健康を増進するためには『ストレス耐性の強化』や『肯定的な認知の変容(ストレスへの生産的意味づけ)』だけでなく、『本来の欲求の代理的満足や社会的昇華』を模索していく必要があると言えるでしょう。他者の欲求や社会の要請との葛藤、経済的な制約がある限り、ストレスフリーな人生を生きることは原理的に不可能ですが、適切なストレスコーピング(ストレス対処)をしながら自分の体力や精神力(耐性)の限界を見極めること、緊張(活動)と弛緩(休養)のバランスの取れた生活をすることが大切になってきます。


■関連URI
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認知療法の『認知の歪み(思考の誤り)』とアーロン・ベックの『認知的三角形』

■書籍紹介
ストレスに負けない生活―心・身体・脳のセルフケア (ちくま新書 674)

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