脳が認知できない『見せ掛けの現実』と『物理的な現実』の差異:認知的トリックの世界を生きる人間

大脳新皮質を進化過程で獲得した人間は、低次・高次の脳機能によって『環境(外界)・他者・言語・自己』を認知(知覚)して、適応的な行動(運動)をすることが出来る。しかし、認知科学や脳神経科学の研究成果から分かってきたことは、人間の認知機能にはエラー(誤謬)や錯覚が多いが、人間はそれに気づくことが極めて難しいということである。日常生活の中で人間は知覚・判断・予測のエラーを数多くしているが、通常、『現実世界の認知的な歪曲(捏造)』が実際的な不利益や心理社会的な障害につながることはまずない。人間には個別差があるがほぼ同一の大脳皮質と大脳辺縁系のメカニズムを持っているので、最大多数の人々に『同じような知覚・判断・予測のエラー』が起こる限り、錯誤を錯誤と認識せずに社会環境に適応できるのである。

そもそも、距離・位置・動き・長さ・図形認識などにおける視覚の錯誤(エラー)である錯視は、人類が、環境適応の過程において極めて稀にしか起こらない「レアケース」を排除して、生物学的な資源コストを節約するために生まれてきたものだと考えられている。もしくは、二つ以上の視覚機能の可能性があってどちらか一つしか構造的に選べない場合に、より効果的でより適応的な視覚機能を身に付けた個体が自然選択(natural selection)を生き延びたとも考えられる。認知心理学や知覚心理学では、『錯視(現実をありのままに認識できない視覚の生理学的特性)』の研究が盛んであり、錯視を起こすいろいろな環境条件(光源・図形・動き・位置・色彩)などが検証されてきた。

人間の認知・知覚には情報処理過程のコストを削減する仕組みが色々と備わっているが、その典型的なものとして感覚機能の『順応(じゅんのう)』があり、人間は同じ感覚刺激(光・音・味・匂い・触感)の入力を受け続けるとその刺激に対する感度が鈍くなっていき、遂には刺激があっても無視するようになっていく。繁華街の音楽や喧騒に入ったばかりの時には非常にうるさく感じるが、数十分間そこを歩いていれば順応して、周囲の騒音に対する聴覚が自動的にシャットダウンされた状態になる。人間は自分にとって『重要度の低い情報』を無意識的に切り捨てることによって、脳内の情報処理過程をスムーズに行うことができ、精神的なストレスを大幅に低減させることが出来るのである。

見るもの聞くものの全ての情報を鋭く知覚してそれを意識し続けたら、人間の脳はあっという間に無意味なノイズで充満してしまい、生産的な活動や社会的な行動を取ることが出来なくなってしまう。大脳皮質の情報処理では、神経細胞(ニューロン)の発火パターン(認知パターン)を複雑化させること以上に、発火パターンを単純化させて余計な情報に振り回されないことを重視する設計になっている。

運動している現象や対象に順応が起きると、既に動いている現象(対象)が止まっているのに、まだ動いているかのような錯視が起こることがあり、これを『運動残効』と呼ぶ。運動残効は「同じ方向へ動く対象」を一定時間見つめ続けて、その対象が静止した場合や視点を移動した場合に起こってくるが、運動残効では「今までの動きとは逆方向の運動」を知覚することになる。この運動残効は「一定方向の運動を知覚する神経細胞」が順応(反応が鈍化)したことにより、「逆方向の運動を知覚する神経細胞」が相対的に活性化したことで起こってくる。ゲシュタルト心理学の『仮現運動(ファイ現象)』によっても、「静止している対象」が運動していると錯覚してしまうことが知られているが、人間はある条件下では『位置・運動・方向・速度』を正確に知覚することが極めて難しくなる。

仮現運動(ファイ現象)というのは一列に並べた複数の電球を極短い時間(約50ミリ秒)を開けて点滅させると、光が動いているように見える現象でありフィルム映画やパラパラ漫画と同じ原理である。脳内の側頭葉の活性部位を計測すると、『見せ掛けの運動(仮現運動)』『本当の運動』との間に殆ど違いがないことから、脳にとって両者の本質的な区別はないということになる。これは、人間が『画像(静止画)認識の連続的なつながり』として運動を認知していることを示しているが、運動や運動を生み出すエネルギーを直接的に知覚できない以上、『画像の連続性』という視覚的手がかりを元に運動の存在を推測するしかないとも言える。この為、『静止している物体』を動いているように見せかけるトリックというのがマジック(手品)では多用されるのだが、人間の生理学的な視覚機構は『見せ掛けの運動』と『本物の運動』を見た目だけで区別することがそもそも出来ないのである。

影(明るさ)や形態、視野の範囲を操作することで『見せ掛けの運動』を作り出すことは簡単に出来るが、物体の位置を特定できないような真っ暗な場所に光源を置くと、その光源(明かり)がゆっくりと動いているような『自動運動現象』を引き起こすことが出来る。自動運動現象は、「物体の位置」を確定する自動補正機能が抑制されることによって起こる現象であり、真っ暗な密室のように周囲の物体との「相対的な位置関係」が分からない場所では自動運動現象が起こる。

幻想的な雰囲気や宗教的な神秘性、不思議な場の力を感じさせようとするトリックとして、真っ暗な部屋に少数の光源を準備することがあるが、「光が緩やかに動く自動運動現象」を超常現象(神秘体験)のように錯覚してしまう人もいるだろう。しかし、これは眼球の生理的運動を脳が補正できないために起きる見せ掛けの動きに過ぎない。最近のデジタルカメラ(デジタルビデオ)にはカメラを揺らして撮影しても被写体がぶれない「手ぶれ防止機能」がついているが、脳にも、一定の明るさと他の物体がある場所では眼球運動と頭の動きによる「視覚情報のぶれ・揺れ」を自動的に補正する機能が備わっている。眼球運動(固視微動)による視覚のぶれ(揺れ)は、サッケードと呼ばれる「ごく短時間の視覚信号の断絶」によって自動補正され、頭の動きによる視界のぶれ(揺れ)は、内耳器官を介した前庭動眼反射によって自動補正されている。

テレビなどで放送されるマジックショーには、「撮影トリック」といってカメラマンがぐるになって仕込むマジックもあるが、一般的なマジックでタネを暴くことが難しい技術には様々な認知的トリックが仕掛けられていて、人間の視聴覚機構のメカニズムを巧みに活用したものが多い。どんなに注意深く観察してタネを暴こうとしても、『生理学的なメカニズム』を活用して「見せ掛けの知覚内容」を作り出している場合、人間は『現実(本当の現象)』『虚構(見せ掛けの現象)』の区別をつけることが難しい。その場合には、相手がタネを教えてくれない限りはまず見破ることが出来ないといえる。人間の知覚機能によって見破れないマジックが教えてくれることは、『物理的世界における現実』が、そのまま『脳内世界が認知する現実』ではないということなのである。

運動残効や仮現運動(ファイ現象)以外にも、よく知られた錯視として「両眼に入る視覚刺激の輝度の違い」によるプルフリッヒ効果がある。「明るい刺激」と「暗い刺激」では明るい刺激のほうが情報処理のスピードが速いので、片方の目だけサングラスをかけたような状態で「物体の直線等速運動」を観察すると、左右の目から入力される視覚刺激の情報処理スピードに差異が生まれる。その結果、「実際の直線等速運動」が「見せ掛けの楕円運動」に見えるようなプルフリッヒ効果が生じるのである。人間の錯視や錯覚の多くが、「情報処理スピードの微妙なズレ」に由来しているが、人間の視覚に限って言えば電気信号が大脳に到達するのに約1/10秒かかるといわれている。プルフリッヒ効果の作動原理は、「(両眼が認識する)物体の位置のズレ」を「物体の距離の違い(奥行き)」と誤認することであり、人間の視覚は基本的に「物体の運動」「物体の距離(奥行き)」を切り離して知覚することが出来ないということである。

人間は特殊な検査機器や科学技術の力を借りない限り、『自分の脳機構・感覚器官』を介在した世界しか見ることが出来ないので、知覚特性を考えると、厳密に何が現実で何が虚構かを区別し尽くすことは難しいのではないかと思う。日常世界において『目に見える物だけが全てではない』というのは科学的に正しい言明であり、ファイ現象を例にとって言えば『目に見えない物を、脳が自動的に補ってしまう』のである。先ほど脳内の活性部位を見る限り現実と虚構(想像)の区別が曖昧であるという話をしたが、統合失調症の患者が体験する陽性症状(幻覚・妄想)であっても、幻視・幻聴の脳内の活性部位を見る限り正常者との違いは殆ど無い。そのため、環境との相互作用や社会的な適応基準、周囲の人の判断を無視して『精神病の認知障害』を脳科学の観点のみから十分に理解することは出来ないと言えるのではないかと思う。精神障害の症状では、多くの場合、認知に関わる脳の機能障害と社会的な適応障害とは不可分なことが多いと言えるだろう。


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■書籍紹介
考えることの科学―推論の認知心理学への招待 (中公新書)

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