梅田望夫『ウェブ時代をゆく ―いかに働き、いかに学ぶか』の書評1:経済圏と知的情報網としてのウェブ

1990年代後半から続くIT(情報技術)の発達とウェブ環境の普及によって、18世紀イギリスの産業革命に次ぐ情報革命が起きたと言われるが、私たち個々人にWeb2.0(総表現社会)を前提とする情報革命はどのようなインパクトをもたらしたのだろうか。産業構造の概略について考えると、『産業革命』は管理された集権的な工場労働(営利活動)によって全世界に高コスト・高品質な工業製品を大量に頒布することに成功したが、個人と企業(組織)の結びつきは半ば義務的・必然的なものとなり、福利厚生をも担う企業から個人が離れて生きることは非常に困難なものとなった。

日本でも1991年のバブル崩壊までは、政・官・業が相互に支えあって国民個々人の生活を守るという『工業社会モデルの労働政策』によって経済活動が行われていたので、忠誠心を持って企業に所属し続けることが大多数の人にとって最善のキャリアプランだった。今も昔も、安定した規模の大きな企業に所属して働くことが、最もサバイバルの蓋然性が高い選択肢であることに変わりはないが、梅田望夫さんの『ウェブ時代をゆく』がテーマとしているのは主体的かつ能動的に『好きなこと』を起点にして経済的にサバイバルすることである。

私は、梅田望夫さんの『ウェブ進化論』も既読なのだが、本書『ウェブ時代をゆく』と比較すると、『ウェブ進化論』のほうは今ウェブ社会で起こりつつあるWeb2.0の変化の概略とGoogleが経済社会に与えたインパクトを中心にして書かれている。その為、『ウェブ進化論』には、『ウェブ時代をゆく』のような若者の進路選択やビジネスキャリアに直接的に訴えかけるような部分は少ない。更に言えば、『ウェブ進化論』のインターネットの可能性に対するオプティミズム(楽天主義)には、具体的なリアルのビジネスや個人のキャリアとの相関が示されていないので、『ウェブ経済圏の将来の成長性』をどれだけ評価して良いのかが分かりにくかった。ウェブの未来と人類の歴史の進行を徹底的にオプティミズムの視点から射程に収める梅田氏に対する評価はリアルでもウェブでも賛否両論あるが、本書では空想的な成功哲学や無根拠なウェブ礼賛が述べられているわけではない。『ウェブ進化論』に、『飯を食うためのリアリズム』をプラスしたのが『ウェブ時代をゆく』であり、産業革命のメインストリームのキャリアから外れた個人がいかに知的生産活動の道に戻れるかを示唆した本でもある。

産業革命が招来した工業社会では、大学の新卒段階で知的生産に関わる職種(マスコミ・研究者・教育者・エンジニア・出版社など)を選択しなければ、生涯にわたって『物事を考え文章を書くという知的活動』に経済価値を持たせることはまず不可能であったが、ウェブ時代の到来によって状況が若干変わった。無論、大多数の人にとってウェブ内部の活動だけで一般の労働と同水準の所得を得ることは未だに困難ではあるが、少なくとも『自分の作成したコンテンツ(文章・アイデア・作品・思想)を不特定多数に読んでもらえる可能性』は大きく膨らんだ。梅田氏は、ウェブ内部のビジネスや活動だけで生計を立てることを全面的に推奨しているわけではなく、ウェブとリアルをいったりきたりしながら『自分の好きなこと(知的生活・作品の公開など)』を貫けるようになった社会変動こそを肯定しているのである。

ウェブが個をエンカレッジ(力づける)するという時、それは経済的なチャンスをもたらすということのみに重点があるわけではなく、過去の時代であれば日常の労働に埋もれて捨て去らなければならなかった『知的生活への志向性』を部分的に取り戻せるということを意味している。ウェブによる情報革命がもたらした最大の恩恵とは、今のところ、『もうひとつの地球』の中で旧来の現実社会では不可能だった『新しい生き方』を低コストで実験的に模索できるということである。

梅田氏は『終章 ウェブは自ら助くる者を助く』において、お金を懸命に稼いだ自身の前半生の体験談を書きつけながら『サバイバルすることの厳しさ・難しさ』を論じており、本書の何割かは『企業組織から離れて個が生き抜くことの難しさ=けものみちの険しさ』を例証的に示すことに費やされている。梅田氏は人類の歴史やウェブ状況の進展に対してはオプティミズムを貫くビジョナリーだが、『個のサバイバル』については究極的には『自助の精神』に勝るものはなしという自由主義的人間観の厳しさを見せている。本書が照射する『これからの世界』に対する希望と楽観とは、『個の自由な選択と未来の可能性』を押し広げることにあるのであって、『個の安定的なサバイバル』の方向性に対して楽観的に構えることは難しい。『ウェブ時代をゆく』の帯ではシニカルに『では明日からどうしたらいいの?』という問いかけが為されているが、本書の目的はこの問いかけに対する自分独自の解(自己アイデンティティ)を能動的に探させることにあるといっても良い。

自分の『新しい生き方』の結論は誰も決定して上げることは出来ないというウェブ時代の現実を前にして、梅田氏はモチベイティブな知性と人生への意欲を持つ人たちに対して『高速道路の大渋滞の先(ビジネスキャリア・専門家コースの王道)』『けものみち(自分自身で踏み分けていく道)』の二つの針路を照らし出す。私はこの二つの道を歩める人は一定以上の知性と能力、意欲を持った人たちに限定されるのではないかと思うが、少なくとも、現状をより良いものに変えていきたいという覚悟と適性がなければ高速道路もけものみちも上手く前に進めないだろう。本書では、この二つの道以外の『一般道路』については述べられていない。一般道路とは非正規雇用や待遇の良くない中小零細企業を含む現実社会の労働実態そのものだが、未来の自由な選択の可能性をフォーカスする『ウェブ時代をゆく』では一般道路ではなく高速道路とけものみちを歩む為の条件が語られていく。故に、どちらの道を歩いてもそのプロセスは安楽なものではなく、『高く険しい道』と評される高速道路の大渋滞の先から下りたとしても、けものみちで迷ったり危険に遭遇するリスクは相当に高い。

そのため、給料が高くなくても好きなことが全くできなくても、平々凡々とした一般道路を何も考えずに歩いていきたいという判断があってもおかしくはないし、実際には学歴競争段階の高速道路を早期に下りてけものみちにも深入りしないという人のほうが多いと推測される。しかし、一般道路(特別な学習・努力・変化を必要とせずにコツコツ働く雇用労働形態)と自律的な自己アイデンティティ形成の相性は悪いので、『ウェブ時代をゆく』では一回限りの人生における仕事を自分の意志と適性、知的欲求によってコントロールすることに焦点が当てられているのである。なぜ、そこまで厳しく険しい二つの道のどちらかを歩くことにこだわるのかというと、それが産業革命期における自己アイデンティティと情報革命期における自己アイデンティティの差異に直結しているからだろう。

産業革命以降の経済社会では、自分がどの組織(会社)に所属していてどんな地位に就いているのかという『他律的(属性的)な自己アイデンティティ』しか基本的に持つことが出来なかったが、情報革命以降のウェブ社会では、自分が何をやりたいのか(何ができるのか)どんな成果を上げられたのかという『自律的(属人的)な自己アイデンティティ』を持てる可能性が小さいながらも生まれてきた。梅田氏はこの情報革命による自律的・能動的な自己アイデンティティ形成の可能性を指して、ウェブのインフラ基盤によって『個』がエンパワメントされるというような表現をしている。

ウェブの普及とGoogleやAmazonといった巨大なウェブサービスの登場、UGM(User Generated Media)によるコンテンツの爆発は、確かに一定規模の『経済社会の変化』をもたらしたが、『ウェブ時代をゆく』では『実態経済に与えるウェブのインパクトの大きさ』に一定の限界を見出している。ウェブの経済規模の成長力の限界を指し示したのは、世界中のあらゆる情報を収集・整理しているGoogleであり、急速な営業利益の拡大を続けているGoogleに広告・メディア事業以外の有力な収益経路が見つからないことがウェブ経済の限界の論拠となっている。

Amazonや楽天といった物販をするECサイトも頑張っているが、商品を販売するEC(電子商取引)というのはウェブ登場以前の通信販売が高速化・利便化した形態に過ぎず、他の同業者に与える影響はともかく実体経済のシステムに与える変化は殆どない。『第1章 グーグルと「もうひとつの地球」』にあるように、Googleの『数字で見る経済的な影響力』の最大値は、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌などのメディアをすべて合わせた世界市場の広告費・50兆円を大きく超え出ることはないと考えられるのである。Googleは今後も成長を続けて、高収益体質の世界有数の巨大企業になっていくだろうが、世界経済のシステム全体から見ると『世界最大の広告代理店』以上の存在になれるかどうかは微妙である。

しかし、ここで見誤ってはならないのは、Googleにとって金銭(営業利益)は目的達成のための手段であって、最終的な目的は金銭とは別のところにあるということだろう。ウェブの普及と発展による情報革命は、既存の経済構造そのものを産業革命のようにひっくり返すことは今後も恐らく出来ないし、『ウェブ内部の活動だけで生計を立てられる人の数』が劇的に増えることも考え難い。では、情報革命やウェブ進化が人類にもたらしたインパクトとは何だったのだろうか。第一章では、Googleの存在理由は『企業規模(経済的影響力)の無限の拡大』ではなく『世界中の情報すべてを整理し尽くすこと』にあるとして、仮にGoogleの成長の限界がネット広告の10~20兆円の売上規模にあるとしても、それだけで『世界中の情報の整理と新規サービスの開発提供』を支えるには十分であるとしている。Googleの存在感が否応なしに高まっていた数年前には、Googleが世界経済の大部分を傘下に収めてしまうのではないか、既存のビジネスすべてに破壊的なダメージを与えるのではないかという不安が囁かれたりもしたが、今では、一部のビジネス(マスメディア・コンテンツ事業者)にとっては脅威であっても世界経済全体を動揺させるような(悪い意味での)影響力は今後も持たないように思える。

そうなると、ウェブ進化だとか情報革命だとか壮大な概念を用いてみても、それらが人類の歴史に与える影響は比較的小さいようにも思えてしまうが、ウェブの真価もGoogleの存在理由と同様に『お金とは別の部分』にあると考えてみるとまた違った風景が見えてくる。GoogleやUGM(ユーザ生成型メディア)、SNS(ソーシャルネットワーキング・サービス)が牽引するウェブ進化は、『外部的な経済(お金を稼ぐ直接的手段)』よりも『内面的な精神(個の価値観)』により大きな影響を与え、『もうひとつの地球』における新たな人間活動の適応を生み出すことになった。

Googleが『世界中のあらゆる情報のインデックス化と検索可能化』を存在理由としているように、ウェブの本領は上位審級(権力・権威システム)に管理されないあらゆる情報への随時的なアクセス可能性にあり、不特定多数の他者とコミュニケーション可能な『もうひとつの地球』を創造・維持することにあるのである。ウェブの無限の情報をインデックスして整理する検索エンジンのGoogleやYahoo!が登場したことでウェブ経済の限界が見えてしまったのだが、その代わりにウェブは再び『言論の自由が保障されたあらゆる情報・知識・人間へのアクセス可能性』という情報ネットワークの原点に戻ることが出来たのだ。

ウェブの黎明期には、研究者相互が情報交換するようなアカデミックな用途で用いられることが多かったインターネットは、Yahoo!やGoogle、Amazon、盛時のライブドアの登場によっていったんはビジネスの極へと大きく揺れ動いたが、誰もが気軽に情報発信できるUGM(CGM)のコモディティ化によって、再び情報・知識の検索や他者とのコミュニケーションの促進といった便利な情報媒体(コミュニケーションツール)としての役割が見直されつつあるように感じる。ブログやSNSが現在以上に急速にユーザ数や利用頻度を拡大させる可能性は殆どないと思うが、逆に言えばコモディティ化したブログ・SNSは生活の一部を占める情報インフラとなっており、今後も情報発信やコミュニケーションツールとしてUGMはコンスタントに利用され続けるだろう。


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■書籍紹介
ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)

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