“ハレのウェブの認知”が引き起こす心理的な解放感と反社会的な危険性:ウェブ社会の暗部の回避

前回の記事の最後でウェブの長短について書きましたが、良くも悪くも、ウェブ世界は現実世界を反転させた鏡像であると考えることができます。それは、現実にもウェブにも『善人・悪人・一般人・強者・弱者・知者・愚者がそれなりの比率』で分布しているという認識であり、『ハレ(非日常)とケ(日常)の雰囲気』が私たちの精神に何らかの影響を与えるという確率論的な予測です。

現在の私は、仕事や調べもの(検索)でウェブを利用する機会が多いということもあり、ウェブは現実とリンクした『ケ(日常)の一部』に過ぎないという意識が強くなっていますが、PCや携帯電話でウェブを使えるようになったばかりの頃を振り返ると、ウェブは確かに『ハレ(非日常)の空間としての魅惑的な雰囲気』を強く持っていました。

ウェブが登場して間もない時期にあった『ウェブの発展性への期待感』や『未知の相手と知り合う興奮』というものを、現在のベテランユーザの多くは忘れかけているかもしれませんが、依然としてウェブには『新規参入者』が次々と参加していると考えられます。中高年や老年者の参加もあれば、10代の子どもたちの参加もあり、今までウェブに関心がなかった20代~30代の参加もあるでしょう。ウェブ人口は既に飽和したとの見方がある一方で、今に至ってもブログやSNS、RSSリーダ、新規ウェブサービスを自在に使いこなしているようなユーザというのは社会全体では少数派であり、今後も暫くはウェブコミュニティやウェブでの娯楽への新規参入者は増えるのではないかと思います。

テレビCMでもNTTのフレッツ光のCMが執拗なほどに繰り返されていて、長い期間ウェブをしている人は『なぜ、今頃光ファイバーやウェブの新規利用を勧めるのだろうか?まだ、これから通信市場の需要が拡大する余地があるのか?』と思うかもしれませんが、50代以上の中高年や70代以上の高齢者では、ウェブにほとんどアクセスしたことがないという人もかなりの数いると推測されます。今まで使ったことのない慣れない技術やサービスを利用するための心理的な障壁(抵抗感)は、一般に年齢が高くなればなるほど強くなりますが、ウェブはいったん生活習慣の一部として取り込まれるとそれを完全に排除することは難しいという特徴があります。その為、通信事業者の営業戦略としては、中高年~高齢者の未経験者を取り込むために、まずいったん自宅でアクセスできる環境を準備することが有効といえるでしょう。

PCやウェブを使ったことのない未経験者が使わない理由の多くは、『今まで機械やコンピュータに触っていなくて何となく難しそう(面倒くさそう)・ウェブやPC、携帯電話は、直接人と会う機会を減らすツールなので非人間的で何となく親しめない(情報化社会やウェブのデメリットに抵抗感や違和感がある)』というものですが、ウェブやPCを使っていると分かるように、これらは特別な知識や技術がなくても比較的短期でその利用環境に適応することが可能です。また、ウェブを使い始めてからウェブを完全に辞めてしまう人がほとんどいないように、ウェブには情報検索の有益性や他者とのコミュニケーションなどの娯楽性と共にある種の依存性(嗜癖性)があります。

そのウェブの依存性が健康な生活リズムを崩し、社会生活に支障を及ぼすという危険性もありますが、『ウェブを使ってみて面白くなかった』という否定的な感想を抱く人はほとんど居らず、ウェブが社会インフラ化する流れは一層加速しています。無論、『ウェブは、確かに面白くて刺激的なスペースだが、有害情報や犯罪の誘発、性・暴力に関する情報、判断能力が未熟な子どもへの悪影響、援助交際の促進、違法コンテンツなど各種の社会問題を抱えていて秩序を混乱させる技術である』といった批判的な意見も少なからずありますし、ウェブの急速な普及やインフラ化には功罪相半ばする部分があるでしょう。

ウェブをハレ(非日常)の場と考える立場に立つと、ウェブの普及は『繁華街やお祭りのユビキタス化(遍在化)』と考えると分かりやすいように思えます。出会い系サイトの普及や若年層のモバゲータウンの利用などを考えると、時間や場所を問わないバーチャルな繁華街や遊び(語り合い)の場が何処にでも出現するようになったと解釈でき、その意味では、ウェブは正に『現実社会のノイズやコストを排除した仮想現実』を生み出すツールとなっています。もちろん、ウェブにはそういった歓楽街やお祭りの場所だけではなく、図書館や博物館のような場所もあり、社会的な問題を真摯に議論するようなコミュニティもあり、真面目に恋愛や性を語り合う人たちもいるわけで……『ウェブとは何か?』という問いに単一的な正答はなく、利用目的やアクセスするサイトによってウェブはさまざまな表情や反応を見せる相対的で流動的なものです。

ウェブを利用し始めたばかりの初心者にとって、ウェブ世界は未知の可能性と非日常的な興奮に満ちた『ハレ(非日常)のウェブ』として姿を現してきます。しかし、長期間にわたってウェブを利用し続け、ある程度のリテラシーを身に付けたユーザにとっては、ウェブ世界は現実世界との連続性を感じさせる『ケ(日常)のウェブ』に過ぎなくなってくるものだと思います。

『ハレのウェブ』というのは、気分が浮き立つような祝祭的な雰囲気、非日常的な興奮や楽しみへの期待を感じることのできる『主観的なウェブ認知』のことです。具体的に『ハレのウェブ認知』を言語化してみると、日常の私とは違う私になれて、普段話している相手とは違う相手とコミュニケーションができ、自分の興味関心を共有できる相手や自分の欲求を満たしてくれる相手がどこかにいるというような感じになるでしょう。『ハレのウェブ』というのは、ウェブ世界の理想的なイマジネーションであり、ある種の自己愛の肥大や幻想的な万能感を伴う期待感のことですが、現実社会のハレの場である『お祭り・花火大会・リゾート地・結婚式・海外旅行・飲み会・オリンピックやワールドカップ』などを考えても分かるように、ハレの場では現実検討能力や常識感覚が麻痺しやすくなります。

お祭りに特攻服を着た暴走族の少年が繰り出してどんちゃん騒ぎをし、ワールドカップに会場をめちゃくちゃに破壊して乱暴を振るうフーリガンが出没し、社員旅行の飲み会で突然衣服を脱いで踊りだすような上司がいるように、非日常的なお祭りの雰囲気には、人間の理性的思考や道徳的判断を低下させる不合理な力があります。祝祭的なハレの空間に潜む『ある種の魅惑・誘惑・陶酔』というのは、一般社会で守られている常識観念や道徳規範を破壊しようとするアナーキーな衝動へと転換されることがあり、大勢の人が集まって気持ちが浮き足立つお祭りやリゾート地、深夜の歓楽街では『いつもとは違う自分(理想自我に幼児的かつ暴力的に近づこうとする自分)』になってしまう人がいます。マクロな次元では、緊張したハレの空間が大衆の抑圧された不満や怒りにピンポイントで作用すれば、歴史を大きく転換させるような革命や紛争が勃発することもあり、人々の心を魅惑して狂奔させる『ハレの空間』には人間集団をある方向に操作する集団力学の働きもあるのです。

先ほど、バーチャルで匿名的なウェブには、リアルで知り合えないような魅力的な相手とコミュニケーションできる長所もあるが、リアルで知り合う可能性の低い『他人に危害・損失を与える反社会的な意図を持った人(自殺願望が高まっている人も含む)』を結び付けてしまう短所もあるという話をしました。すぐに露見するような短絡的な犯行をウェブ経由で計画したり、安易に他人の名誉や信頼を傷つける誹謗中傷をしたりする人は、ウェブを非日常的で特別な『ハレの空間(法の支配の及びにくい空間)』と認識(誤認)していることが多いのではないかと思います。

先日、愛知県名古屋市で携帯電話のサイト経由で知り合った男三人が、面識のない磯谷理恵さんを襲撃して拉致殺害するという卑劣極まりない事件が起きました。この金銭を目的とした短絡的な事件の本質的な原因は、三人の容疑者(加害者)の人格構造や価値判断の異常性にありますが、『性格傾向の異常性や露悪的な反社会性をランダムに結びつけるというウェブの短所』が作用した事件でもありました。

ウェブの大きな特性の一つとして『不特定多数の人間を、感情・目的・嗜好によって結びつける』という作用があり、この作用は良い方向にも悪い方向にも働きますが、この事件の発端となった『闇の職業安定所』のようなサイトには、IPアドレスの完全管理や(隠語を含む)禁止キーワードの設定など厳重な監視体制を敷くこともやむを得ないでしょうね。サイト運営者が犯罪の斡旋や違法行為の共謀を意図的に手助けしているわけではないと思いますが、“闇”というネーミングがどうしても闇社会や裏社会、表だって出来ない仕事というイメージを漂わせるので印象が良くありませんし、その種の人の本能や欲望を刺激する恐れがあります。

『闇の職業安定所』のようなイレギュラーな仕事の求人サイトすべてを削除すべきだとは思いませんが、求人の書き込みをする為にはある程度の個人情報を登録しなければならないとか、書き込み内容に犯罪のリスクがないかサイト管理者が確認してから掲載するとかいった対処を講じるべきだと考えます。また、サイト特有の隠語(略語)についても、怪しげな隠語で本来の求人の意図を隠しているものは掲載しないか即削除するといった規約を作成すべきでしょうし、『リスクのある仕事です』といったリスクの具体的内容を明示しない求人情報は掲載しないようにしたほうが良いですね。

この短絡的な犯罪を実行した加害者には、他者の苦痛・恐怖を思いやる『共感性(良心)の欠如』や、目的達成のための適切な行動を選択できない『現実検討能力の低迷』が強く感じられるので、ウェブの有無に関わらず、他者を傷つけて奪うという形態の犯罪に手を染めていた可能性はかなりあると思います。金銭を得るという目的達成のために卑劣な犯罪を犯すとしても、なぜ、被害女性の生命を奪わなければならなかったのか、なぜ、車内に拉致して連れまわす必要性があるのかなど、合理的な現実検討能力の著しい低下を感じさせる部分が多くあります。

犯罪行為をすること自体が許されないことですが、『金銭を得るという目的』と『女性を殺害したという結果』には非常に重大な取り返しのつかない落差(錯誤)があり、本来の目的と無関係に不必要な殺人を犯したことに強い憤りと疑念を感じます。こんな悲惨極まりない事件を犯しながら容疑者たちが手に入れたお金はわずか数万円に過ぎないのであり、中高生の不良少年のひったくり程度の成果でありながら、実際に犯した罪は殺人罪というもっとも重い取り返しのつかない犯罪になっています。単純に、犯罪の結果(利益)と刑罰の重さを比較しても、こんな短絡的な犯行計画を立てること自体が愚劣かつ無謀と言わざるを得ず、全く無関係な他人である女性を何の躊躇もなく殺害できるという心性には、共感性や倫理観などヒューマニスティックな感受性の欠如といった異常性を感じざるを得ません。

初め、容疑者の男三人は金銭を誰かから奪うという漠然とした犯行の意図を持って集まったと思うのですが、無計画に適当な相手を見つけて拉致したことで本来の目的(金銭)から大幅に逸脱してしまった部分もあるでしょう。しかし、首謀者である神田司容疑者(36)は、刃物やハンマー、睡眠剤などを準備していたとの報道があり、初めから被害者を脅すだけではなく殺傷する意図があった可能性も高いようです。加害者グループの一人である川岸健治容疑者(40)が、女性を殺した罪悪感と死刑への恐怖を感じて自首したことから今回の事件が発覚しましたが、この人物にしても『犯罪内容の具体的な計画』を確認せずに犯行に加担したということで無思慮ゆえの罪は重いですし、犯罪を目的に結集した時点で処罰は免れませんが。神田容疑者と堀慶末容疑者(32)は、更に強盗を実施する予定だったとも伝えられていますが、無差別な強盗や殺人の被害が拡大しなかった点に限っては本当によかったと思います。

被害者の身体の自由を拘束して拉致した時点では、(神田容疑者には殺害の計画性も指摘されますが)恐らく金銭を奪った後のことをあまり真剣に考えていなかったのでしょう。相手の身柄を自分たちの元に留めたことで『過剰な自己防衛の集団心理』が働き、『殺害へのエスカレート』と『被害者から通報されるリスク』の冷静な利害判断が出来なくなったと考えられます。犯罪自体を初めからしないことが最善(常識的判断)であることは言うまでもありませんが、『小さな犯罪を犯す意図』を持って『大きな犯罪の結果』を導かないためには、『犯行が引き起こす状況や結果に対する想像力』を働かせなければなりません。

被害者の磯谷理恵さんの感じた恐怖や絶望を思うと何ともやり場のない憤慨を感じますが、犯人にはその大きな罪悪に見合うだけの正当な法の裁きが下されることを願います。残された磯谷さんの母親の手記を読むとその無念さと怒りの激しさが痛いほどに伝わってくるのですが、こういった何の理由も因果もない殺人事件を抑止していく有効な対策を立てていかなければなりませんね。磯谷さんのご冥福を祈りながら、凶悪犯罪を実施する人間の情動反応(行動選択)の異常性や道徳観念の崩壊の危険について改めて考えさせられる事件でした。

ウェブを、何でも許される現実世界と異なる『ハレ(非日常)の空間』として誤認し過ぎることには、犯罪に誘惑される落とし穴(陥穽)がありますし、ウェブ内部での偽悪的な発言(自分の悪事や度胸を大袈裟に自己顕示する態度)によって『非現実的な自我肥大(何でも出来るという自意識の拡大)』を起こさないような注意が必要です。ウェブで幼児的な退行や非常識な発言をしやすい人は、特に『自己の行動や発言の最低限の妥当性・倫理性』に自覚的になる必要があります。

また、『ウェブの反社会的(非常識)な言動』が『現実の自分の生活行動(遵法精神)』に影響してくるような危険を感じた時、悪い意味で『いつもとは違う自分』になってしまいそうな予感を感じた時には、ウェブのやり取りや反社会的なコミュニティから暫く遠ざかって、現実的な認知や倫理的な感受性を取り戻すという対処も必要でしょう。ウェブにおいても、最低限の社会的な善悪と倫理的な振る舞いを結びつける『現実感覚の維持』『認知-行動レベルの統合』が重要であり、現実の法規範や道徳観念から大幅に逸脱して他人を傷つける言動に対しては慎重であるべきです。

『現実の自己の善悪観』『ウェブの自己の善悪観』の落差(ズレ)を縮めることが、結果として、自分自身の信頼や安全を守ることにもつながるのではないかと思います。相手を傷つけたり自分を破滅させない範囲で、『ハレのウェブ』をお祭り気分で楽しむのは良いことだと思いますが、『ハレのウェブ』の雰囲気に自分の良心や理性を呑み込まれすぎないような注意とリテラシーは大切ですね。『ハレの場面』の楽しみ方のマナーは、リアルもウェブも基本的に同じであり、『一定の節度・配慮・常識』を守ってハレの場面を楽しまなければ、ハレの機会そのものが規制されたり自分自身が社会的に破滅することになると考えられます。



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