鑑真の戒律と授戒制度を無効化した天台宗・最澄の“円戒の思想”:古代日本の怨霊信仰と宗教観

浄土系の鎌倉仏教は、旧仏教の難行苦行の修行と難しい学問による『善行の功徳』を否定することによって、『仏教の大衆化・救済の一般開放』に成功し、農民(被統治階級)への求心力が強かった浄土真宗などは親鸞の死後に急成長を遂げました。浄土真宗の『中興の祖』となった蓮如(1415-1499)の時に、山科本願寺と石山本願寺(石山御坊)が建設され、真宗の最盛期を迎えた顕如(1543-1592)の時代には、天下統一を窺う戦国大名を威圧するほどの巨大な宗教勢力へと成長しました。

無論、比丘や比丘尼の戒律を無効化するという意味での日本特有の仏教解釈は、最澄が開祖した延暦寺の天台宗でも既に行われていました。現代の日本の寺院の住職(僧侶)の多くは、『肉食・セックス・飲酒・妻帯(結婚)・蓄財(ある程度の贅沢)』などを行っており、厳格な禁欲的戒律を守って悟りを開いたり、乞食となって布施のみによって生計を立てるというような修行生活には殆ど関心を示していません。同じ仏教でも宗派・教義によって戒律遵守の強度が異なるので一概には言えませんが、鎌倉仏教の影響を強く受けた大乗仏教の宗派や天台宗の本覚論の影響を受けた僧侶は、煩悩即涅槃(ぼんのうそくねはん)の立場に立っています。その為、『煩悩(欲求)や迷いを断ち切らなくても救済される(解脱できる)』という教義に依拠していて、それほど厳格ではない宗教生活(葬儀祭礼)を送っても問題はないとされています。

比叡山の天台宗の始祖である伝教大師・最澄(767-822)は、厳しい修行と学問によって悟りを目指すことを推奨する一方で、悲壮な覚悟で日本に律宗を伝えた鑑真和上(688-763)の受戒の儀式を骨抜きにする『円戒(えんがい)・円頓戒(えんとんがい)』の新思想を弟子達に伝えました。最澄が起こした比叡山延暦寺(天台宗)は、天皇家(大和朝廷)の帰依や信仰も厚く、高度な知性と強い意志を持つ優秀な学僧が競って入山していました。

天台宗の比叡山延暦寺は、日本仏教界の総本山であり他宗を凌ぐ最高権威として機能していましたが、日本の仏教界から『正式な戒律と授戒制度』を排除する教義上の発端を作ったのもこの延暦寺でした。日本では出家僧の間でも在家信徒の間でも、仏教の戒律(行為規範)の重要性を認識する者は少なく、事の善悪は別として『戒律の規範は守らなくても、仏さまを信仰していさえすれば良い』という内面重視の宗教意識が濃厚にありますが、その元々の原因は天台宗・最澄が考えた『円戒の思想(戒律遵守の義務を緩和する思想)』にあります。

唐の高僧である鑑真は、暴風雨や政治的な妨害によって五回も日本への渡航に失敗し、遂には両目を失明してしまいますが、それでも日本への仏教伝道への理想を捨てきれずに六度目の渡海で日本へやってきました(753年)。幾多の苦難や障害を乗り越えて鑑真は日本に渡ってきたわけですが、その最大の目的は『律宗の正式な戒律と授戒制度』を日本に伝道するためでした。鑑真は東大寺大仏殿において日本初の菩薩戒の授戒を行い、唐招提寺を建立して律宗の教義編纂と布教活動に務めますが、鑑真が広めた厳格な授戒制度は最澄の天台宗によって実質的に無効化されていきます。近代的な法治主義では『罰則(制裁)のない刑法規定』には犯罪抑止効果はないと考えられていますが、仏教界においても『罰則(制裁)のない戒律』では僧侶に戒律を遵守させる力を期待することは出来ないでしょう。

原始仏教は元より上座部仏教(小乗仏教)においても、釈迦が制定した『具足戒(比丘250条・比丘尼348条の戒律)』を遵守することが『悟り(解脱)』に至る必要最低条件と考えられていましたが、最澄の天台宗では具足戒を厳密に遵守する必要がないとする『円戒(円頓戒)』を制定し、『授戒の儀式』もぎりぎりまで簡素化しました。その結果、平安時代中期から鎌倉時代初期にかけて日本仏教の『無戒律化(戒律の実質的な廃止)』が急速に進み、浄土真宗の始祖・親鸞が妻帯肉食を当然のこととしたように、仏教の僧侶や信徒であるからといって(煩悩を消尽するための)戒律を厳しく守る必要はないという流れが決定的となりました。

最澄が定めた円戒によって『外見的な行動規範としての戒律』は廃止され、『内面的な信仰心(心構え)としての戒律』へと質的な変化を見せました。また、戒律を破ることに対する罰則(制裁)も実質的に廃止の方向に進み、重大な戒律を破ったとしても懺悔・回心すればその罪を許されて、再度僧侶として仏道修行に復活できるようになりました。最澄は円戒の思想を基にして、鑑真が伝達した複雑で厳格な授戒制度を改変し、具足戒を授ける『三師七証(さんししちしょう)』は不要であるとしました。正式な授戒制度である三師七証では、有資格者である三人の師匠の僧侶と七人の証人の立会いが必ず必要であるとしており、『出家僧』になるためのハードルはかなり高く設定されていました。しかし、最澄は、三師七証の厳しい授戒制度を大幅に規制緩和して、一人の師匠の僧(伝戒師)さえ立ち会えば正式に授戒したと見做してよいとしました。

伝教大師・最澄は、戒律遵守と授戒制度の革命的な規制緩和を成し遂げて、『仏教界に出家するための儀礼的・心理的ハードル』を大幅に引き下げ、上座部仏教的なサンガ(僧侶共同体)の厳しい規範性を無効化したと言えるでしょう。最澄の円戒の思想は、その後の比叡山延暦寺の高僧達によって『天台本覚論(てんだいほんがくろん)』へと再編成され、仏教徒は煩悩や迷いを抱いたままでも悟りを開くことが出来るという教義が確立しました。

天台本覚論とは『一切衆生悉有仏性』の文句に示されるように、あらゆる衆生(生物)には悟り・解脱の機縁となる『仏性』が備わっているということであり、僧侶の煩悩や欲求を肯定して戒律を無効化する作用を及ぼしました。煩悩や迷いを乗り越えることが出来ない僧侶でも悟ることができるという天台本覚論には『衆生の平等な救済』の要素が含まれています。その為、法然の浄土宗や親鸞の浄土真宗に見られる『衆生救済の念仏信仰(浄土信仰)』は、天台本覚論からも影響を受けており、念仏を唱えれば誰でも救済されるという称名念仏の思想は、煩悩具足の僧侶でも救済が得られるという天台宗の教えが世俗化・一般化したものだと考えられます。

厳格な戒律を廃絶した日本民族は、『具体的な行為規範や義務規定(命令・禁止)』がある宗教への適応性が低いと考えられ、良く言えば現実主義的な考え方をする民族、悪く言えばご都合主義的に宗教を利用する民族と言えます。つまり、『人間(自分)のためになる神仏』であれば信仰することもあるが、人間を永続的に支配して厳しく管理するような『創造主としての唯一神』に帰依することはまずないということになります。日本に一神教のキリスト教やイスラム教が根付かない大きな理由として、『全知全能の神への従属(一方的隷属)』や『六信五行のような具体的な行動の規制』を考えることが出来ます。簡潔に言えば、細々とした命令や指示をするような『人(自分)の上に君臨していることを意識させる神』を信仰することへの抵抗が強いということかもしれませんが、この辺は、日本にカリスマティックな独裁者が生まれにくい背景ともつながっている気がしますね。

つまり、その宗教を信じることによって、日常生活に何らかの支障や制約がでてきたり特別な義務や規範を守らせられたりする場合に、日本人の大多数はその宗教を拒絶することが多かったのでしょう。煩瑣な規範義務の遵守や唯一神による支配(命令)を面倒くさくて息苦しいものだと感じるのは人間の本性のような気もしますが、敬虔な一神教(ユダヤ教・イスラーム教)の信者の場合には、『唯一神の支配・命令』を遵守することで来世の救済や現世の幸福が約束されるという『権利・義務の均衡』のような考え方をする人が多いようです。つまり、『絶対者である神との契約』を守ることによって初めて来世での救済(天国行き)や現世での加護を期待できるという考え方であり、お手軽な現世利益を求めて神社にお賽銭を投げるような宗教感覚からは遠いと思われます。

戒律や義務を守らずとも救済(悟り)を得られるという意味で、天台宗~浄土真宗以降の日本仏教は極めて特異な発展を遂げたということができます。唯一神や戒律が不在の日本仏教は、キリスト教やイスラーム教のように『全知全能の神に従属(礼拝)する宗教』ではなく、『人間の幸福・願望の実現に役立てるための宗教』としての側面を色濃く持っています。

また、平安時代までの古代社会では、『伝説的な神仏』よりも『怨霊(無念と憎悪を残して死んだ人間の霊魂)』に強い畏敬と恐怖が持たれていて、神が下す神罰(仏罰)よりも『人間の悪意・怨恨の情念』が死後に残り続ける事のほうにリアリティを感じていました。『創造主である神のために人間がある』という一神教的な発想は日本人には馴染みがなく、絶対的な存在者(神)に支配・管理されているような世界観を受容することにも抵抗感がありましたが、その背景には死んだ人間が悪霊になるというアニミズム的な怨霊信仰(御霊信仰)があったようにも思えます。

『創造主である天上の神』よりも『怨恨(憎悪)を抱いたまま死んだ人間』のほうに恐ろしさを感じる宗教的感受性が日本人にはあり、一神教的な世界の支配者である神に意識がなかなか向かわなかったということも考えられるわけです。この『死んだ人間の情念(恨みつらみ・心残り)』が何らかの形で残るという共感的な怨霊信仰は、現代の日本人にもわずかながら継承されている部分があります。その為、時に霊感商法やカルト宗教などで、『死霊・怨霊・前世の悪業を恐れる想像的な感受性(罪悪感)』が悪用されてしまうこともあります。他人に不運な死に方や恨みを残すような死に方をさせてしまった人の『耐えがたい罪悪感や復讐の想像力』が、怨霊信仰の母胎になっている部分もあります。

古代の日本人が持っていたもっとも強固な宗教的感性は、『自分が謀殺(討伐)した相手が怨霊となって、祟りや呪いの災厄をもたらすのではないか』という怨霊信仰であり、天照大神(あまてらすおおみかみ)が国づくりに活躍する日本神話の時代にも、強引に『国譲り』をさせた大国主命(おおくにぬしのみこと)を祭祀する荘厳な出雲大社を建立しています。古代日本の宗教信仰では、諸外国のように政治的・軍事的な勝者が敗者の情念を完全に無視して記憶(歴史)から忘却するという心理が成り立ち難く、『怨霊化した敗者が祟りや呪術で復讐しに戻ってくるのではないか』という罪悪感に根ざした恐怖心が強く持たれていました。

つまり、古代日本では弱肉強食の二元論的な価値観は『俗世』だけでしか成り立たず、肉体を失った弱者・敗者の怨霊がさまざまな形(天災・疫病・政変・突然死)で強者に復讐をしにくると考えられていたのです。古代日本では、ライバルを暗殺したり失脚させた俗世の権力者の不安(罪悪感)を和らげ、天変地異や疫病流行、政治的混乱など怨霊の祟りを鎮めるために『歴史的・政治的な敗者のための鎮魂(慰霊)』が宗教の重要な役割となっていました。

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■書籍紹介
神と仏―日本人の宗教観 (講談社現代新書 (698))

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