“貴族守護(国家鎮護)の古代仏教”から“衆生救済の鎌倉仏教”への転換:無条件の救いを説く浄土信仰

老荘思想(道教)と儒教の原理的な考え方について書いた過去の記事で、『老荘の無為自然』『仏教の悟り(解脱)』の類似性を指摘しました。仏教には、出家した僧侶が厳しい修行の中で悟りを目指す『上座部仏教(小乗仏教)』と在家の仏教信者である衆生(一般大衆)を仏法によって救済しようとする『大乗仏教』とがあります。日本仏教では、末法思想と政情不安定によって旧仏教(奈良・平安の仏教)が衰退した平安末期から鎌倉初期にかけて、大乗的な衆生救済の仏教が優勢となりました。

日本の仏教は、鎌倉時代の相次ぐ新宗教の成立によって様相を大きく変えますが、その変化の中核にあったのは、死後に阿弥陀如来が鎮座する西方極楽浄土に往生するという『浄土信仰』でした。そして、阿弥陀如来の『衆生救済の本願(慈悲)』にすがろうとする浄土信仰の大衆化に貢献したのは、学問や修行の経験などないあらゆる階層の人々を救済可能にする『念仏・題目という易行』の登場でした。釈迦の死後2,000年が経過すると釈迦の正法の教えの効力が失われていくという『末法思想』が、浄土信仰の普及を後押ししましたが、平安時代末期(11~12世紀)には末法の到来を信じさせるような政情不安や社会混乱、天災による飢饉が多く起こっていました。

末法思想が広まった背景には、公家社会(貴族時代)から武家社会(封建時代)への転換に伴う源平の戦乱の恐怖があり、政権基盤の不安定化や相次ぐ天変地異(旱魃・洪水・地震)による民衆の耐えがたい飢餓と貧窮がありました。1,052年に関白・藤原頼通によって阿弥陀如来を本尊とする平等院鳳凰堂が建立されたように、摂関家(藤原家)のような上流貴族の間にも末法思想と浄土信仰が流行していましたが、『民衆の災厄や苦悩』を救済する力(意欲)を古代仏教(天台・真言の平安仏教,南都・北嶺の奈良仏教)は失っていました。天災による飢えと戦乱による被害に苦しむ一般大衆は、政権を担う朝廷(貴族)に訴えても、次期政権を窺う武家(源平の武装勢力)に請願しても、困窮する生活と不安は改善しませんでした。

公家も武家も大きな時代の変革の中で、自己の権力を保持し拡張することに必死であり、貧しい民衆を利用することはあれ積極的に助け出すような姿勢を持っていませんでした。政治の担い手である公家も武家も全く頼りにならないのであれば、比叡山の天台宗や金剛峰寺の真言宗、興福寺を代表とする南都六宗の奈良仏教に救済を求めることになりますが、釈迦が衆生救済を説いた仏教も貴族の既得権益の場と化していて、貧しい民衆の暮らしを顧みることはありませんでした。奈良時代や平安時代の寺院建立が公共事業であり、高僧のほとんどが朝廷の皇族や上流貴族であったことからも明らかなように、平安時代までの古代仏教は『貴族仏教・官製仏教』としての色彩が非常に濃厚でした。

その為、南都・北嶺(興福寺や延暦寺の旧仏教)における仏教経典の研究や密教の加持祈祷の実施などは、大乗仏教的な衆生救済(菩薩行)につながるようなものではなく、飽くまで貴族階級・僧侶階級の繁栄や保護を祈願するという目的のもとに行われていたのです。また、平安時代になると不殺生戒を持っているはずの僧侶が武装して、寺社の所領(荘園)を武力で防衛したり他人の田畑を略奪したりするようになり、大寺社は宗教信仰の場というよりは、軍事的・経済的な一大勢力の様相を呈し、その世俗化(強訴・権力欲・肉食・色欲・高利貸し・金銭欲)は留まるところを知りませんでした。一般大衆は、堕落・腐敗した古代仏教に失望し、寺社相互の権力争いや領土紛争に明け暮れる古代仏教による救済を諦めつつありました。世俗化して衆生救済の責務を放棄した古代仏教は『平安貴族の権力』に守られていましたが、朝廷の貴族勢力が源頼朝(武家の鎌倉幕府)に政権を委託したことで、古代仏教にとって代わる新仏教成立の余地が生まれました。

即ち、『支配者階級の救済を主眼とした伝統仏教』は政治体制(貴族政治)の転換によって急速に衰退し、『一切衆生の救済を説く鎌倉仏教』が台頭してくることになるのです。それは、『学問・教養・経済力・身分・地位・性別』などによって『救済される対象』を選別する古代仏教とは違い、無条件にあらゆる人々を平等に救済するという革新的な仏教、支配階層にとって脅威となる仏教でした。旧仏教(奈良仏教・平安仏教)は貴族仏教であると同時に、『学問仏教・伽藍仏教・祈祷仏教』と呼ばれるような『条件付きの救済』を約束するエリート(選良)のための仏教でした。

これは言い換えれば、難解な仏教経典を解読できるような知性(識字教育)が無い民衆は救われないということ(学問仏教)であり、巨大で豪華な寺社建築を寄贈できるような豊かな経済力が無い貧乏な民衆は救われないということ(伽藍仏教)でした。天台宗や真言宗の祈祷仏教も、高僧による病気平癒や大願成就の加持祈祷を受けられる人は、基本的に貴族階級の上位に属するものが殆どでした。旧仏教は国家仏教あるいは貴族仏教と言われるように、『何らかの身分や条件によって選抜された人間』を主要な救済対象とする宗教であり、貧しくて無知な衆生の生活や悲惨を救い出すような気概・意図をもともと余り持っていなかったのです。

末法の世を救う浄土信仰は、教学的には『仏説無量寿経・仏説観無量寿経・仏説阿弥陀経』という浄土三部経に支えられているわけですが、浄土宗の始祖・法然や浄土真宗の親鸞は、最終的にはこういった経典を研究することは全く不必要であるという結論に達します。専修念仏(せんじゅねんぶつ)の悟りに達する以前の法然は、主に『観無量寿経』に依拠して自己の学識を深め、親鸞のほうは主に『無量寿経』に依拠して自己の念仏称名の阿弥陀信仰を固めていったのですが、法然や親鸞は弟子や民衆に対して教説の学問は不要であり、それらの知識修得にこだわることは救済の妨げになると説きました。

念仏信仰の浄土宗や浄土真宗は『一般大衆(農民・平民)の仏教』であり、あらゆる階層に属する人々を解脱させ救済することを目的としますから、できるだけ救済に至る敷居(必要条件)を低くする必要がありました。その為には、『学識教養・階級身分・経済的富裕・禁欲的戒律』など救済のためのさまざまな条件をつける旧仏教を全否定する必要があり、浄土系の鎌倉仏教では『選択(阿弥陀仏の選択)・専修(一つの行のみに集中)・易行(誰でも可能な簡単な修行)』によって一切衆生を平等に救いだす『専修念仏』という仕掛けを作り出しました。

つまり、『南無阿弥陀仏』(浄土宗・浄土真宗・時宗)という念仏、あるいは、『南無妙法蓮華経』(日蓮宗)という題目を唱えるだけで、輪廻からの解脱と極楽浄土への確実な往生が約束されるという教義を確立したわけです。また時間があれば、下記のウェブページの補足のような形で、親鸞の浄土真宗の思想や歴史、日本における封建主義と市民意識の萌芽などについて書くかもしれません。


■ウェブサイトの仏教関連のページ
法然と浄土宗

親鸞と浄土真宗

■関連URL
瀬戸内寂聴『釈迦』の書評

三島由紀夫『暁の寺』『天人五衰』の書評の補足:仏教解説に込められた『存在・生命』への思い


■書籍紹介
無宗教からの『歎異抄』読解 (ちくま新書)

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