ウェブとリアルの人間関係・コミュニティを区別したいユーザの需要と匿名性が支える日記的コンテンツの問題

ひろゆき氏の『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』の書評において、『現実社会(リアル)と仮想世界(ウェブ)の距離感の縮小』について触れ、ウェブの匿名性実名性の問題について考えました。

原則として発信者が誰か特定できない『匿名制のウェブ』と、絶えず情報を発信するたびに実名が表示される『実名制のウェブ』のどちらが好ましいかを多数決で決定すれば、恐らくリアルとウェブを使い分けられる匿名制のウェブのほうが支持されると思われます。その理由としては、『ウェブのユーザの大半は誹謗中傷, 名誉毀損, 違法行為などの加害者にも被害者にもならないと予測していること・初めから匿名ユーザであれば個人情報流出のリスクが低いこと・ウェブを利用する目的や魅力の多くが匿名性に支えられていること・強硬な対立言説が呈示される討論に興味を持つ人が少ないこと・継続的な被監視感と得られる利益を比較してデメリットが大きいと判断する人が多いだろうこと』を考えることが出来ます。

匿名性の高いウェブ(WWW)を実名を用いる現実社会に近づけようとする人もいれば、ウェブは匿名性が守られてこそその独自の存在価値があるとする人もいますが、仮にウェブで実名以外の自己アイデンティティを持てないとすると、既存のブログやSNSなどウェブサービスの大半がその魅力や価値を落としてしまうのではないかと思います。匿名性は単純に『言論の自由』を保障しているというよりも『ランダムなコミュニティ(人間関係・異性関係)への参加・離脱の自由』を実現している側面があり、それが雑談的コミュニケーションを加速する各種ウェブサービスの隆盛と深く関わっているからです。

これは、上記した『ウェブを利用する目的や魅力の多くが匿名性に支えられていること』に関係していますが、換言すれば、匿名性のウェブは『(他者の権利と無関係な)自己言及性を伴うコンテンツをリスクなく公表できること』を強く保障しています。現在ブログを書いている人の大半は『現実の自分に自己言及する日記的・備忘録的コンテンツ』を作成しており、ブログやSNSで匿名コミュニケーションを楽しんでいる人の多くは『現実の生活に影響しない仮想的コミュニティ』に帰属しています。

匿名性によって、リアルとバーチャルの人間関係を目的的(機能的)に区別することが可能となっており、日記的なコンテンツでは『現実の実名と結び付けられないという安心感』を背景にしてウェブ内部のみで通用する人間関係が形成されていたりします。匿名ユーザの大半が、誹謗中傷, 名誉毀損, 違法行為などと無縁であるように、日記的コンテンツやバーチャルの人間関係を楽しむ『ウェブ上のマジョリティ(多数派)』は他者を攻撃したり言い争うコミュニケーションに初めから関心がありません。

他人の権利や心情を傷つける言動と無関係であるならば、実名制でも良いのではないかという意見もあり得るのですが、『ブログやSNSで仮想コミュニティへの帰属を楽しむユーザ』は現実世界の人間関係が割り込んでこない純粋にバーチャルな人間関係を楽しみたいわけですから、リアルとバーチャルの自己アイデンティティを区分できない実名制ではウェブのやり取りを楽しめないということになります。『現実社会とは異なる自己アイデンティティ』を持てることには、確かに誹謗中傷や名誉毀損、攻撃的コメントの集中(ネットイナゴ)などの弊害もありますが、同時に、ウェブ上で自己言及(個人情報)を伴う表現活動やコミュニケーションをリスクなく行うために必要な条件でもあります。

そして、ウェブ上で数多く書かれている『今日、家庭でこれこれこういうことがあった・今日は同期のAさんと一緒に食事に行った・学校で同じクラスの子に少し気になる人がいる・職場でBという気に食わない上司がいる・昨日、彼氏と初体験をした・結婚しているけど久しぶりに再会した昔の彼と食事に行った』などの日記的コンテンツは、実名性のウェブの内部で公開することは相当に大きなリスクを伴うだけでなく、現実社会の人間関係を破壊したり仕事の評価に悪影響を及ぼす恐れがあります。実名が表示されて検索対象になる場合には、原則として日記的コンテンツを書けば自分のリアルの知人から記述内容をチェックされたり、バーチャルの人間関係に不意打ち的にリアルの知人や友人が介入する可能性が高くなりますから、『バーチャルだけのコミュニティに帰属するというウェブの利用方法』が事実上不可能となります。

ウェブの仮想コミュニティや自己表現のスペースがこれだけ多くの人に利用されている最大の理由として、『現実の自己アイデンティティや過去の人生(人間関係)のしがらみから離れてコミュニケーションができる』ということがあり、ウェブの個人間関係では『現実社会における力関係(権力・財力・立場・権威など)が通用しないという前提』によって『ゼロから人間関係を形成できるという利点・テキストだけで議論やコミュニケーションができるという利点』があるわけです。

例えば、小学生から中学生くらいまでの年代であれば、学校生活ではA君とB君の間には不可逆的な対人関係上のヒエラルキー(上下関係)が存在していることも多いですから、ウェブ上で実名性を用いるとすれば、学校生活でA君よりも格下と見られているB君が、A君の行動や性格を厳しく批判するような内容を書けば学校でいじめられたり、ウェブで『Bの癖に生意気なことを書くな』という誹謗を書き込まれるリスクが高くなります。匿名性のウェブであれば、仮に『A君の行動や性格に対する批判的なブログ』を書いていたとしても、書き手が不明であることによりB君のブログにA君が特別な関心や敵意を示すことはないでしょう。

実名ブログの場合、『学校で、A君という皆から嫌われている暴力的で不愉快な人がいる』と書いた場合、幾ら「A君」という匿名表記をしていても書き手が「B(実名)」であることによって、「A(匿名)」がおよそ自動的に特定され現実社会で何らかの不利益を受ける恐れが出てきます。つまり、実名ブログでは、現実社会における人間関係に批判的な言及をしたり、日常生活で関わる相手の愚痴をこぼすことが基本的に不可能になると考えられるわけで、幾ら日記に出てくる人名を「匿名」にしても、書き手が実名であることによって「匿名者が誰であるか」を現実の知人は極めて容易に特定してしまうでしょう。このことによって、実名性のウェブでの日記コンテンツは、全て登場人物を肯定するか評価する日記しか書きにくい雰囲気が醸成されるのではないでしょうか。

これは一例に過ぎませんが、『実名性のウェブ』を実現した場合には、『テキストとして書かれた内容そのもの』よりも『その人が現実社会でどんな生活を送っているどんな立場の人なのか?』というポイントに議論の対立点がずれ込むという問題も生まれてきます。『NEETやひきこもりには政治や税制について意見する資格はない』とか『納税額の少ない人間には国家財政や社会的責務について語る資格はない』とか『ウェブでごちゃごちゃ理屈を述べる前に外に出て働け』『普段は自己主張できないおたく(いじめられっ子)がウェブの中だけでいきがるな』とかいう侮辱や罵倒の発言が、匿名掲示板などでは「相手の社会的属性が不明であるにも関わらず」時折行われていますが、実名であればその人に不利な現実の情報を知っている人が現れれば、現実の自分と切り離して書いていたブログやSNSを継続することが難しくなるでしょう。

実名性のウェブであれば、そういった社会的に不利な属性を持っている人のテキスト(主張・考察・評論)の価値は(書かれている内容と無関係に)相当に割り引かれて読まれてしまうでしょうし、個人情報(現実の実名と属性・立場の指摘)と結びついた名誉毀損が深刻化するリスクがあります。基本的には、実名性では『個人情報の公開範囲』の調整が極めて難しく、実名でブログを書いている場所に現実社会の友人知人が集まってくれば、「ウェブだけのコミュニティへの所属」「リアルの環境・立場を考慮しない意見の公開」をすることが原則として不可能になります。

また時間を見つけて、現実とウェブの融合・区分、大衆的なウェブの利用形態という観点からウェブの匿名制・実名制について倫理的・功利的な部分を考えてみたいなと思います。






■関連URL
ひろゆき(西村博之)『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』の書評:1

ひろゆき(西村博之)『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』の書評:2

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