『孟子』の性善説に基づく徳治主義と混迷する現代社会の道徳教育:1

儒教の始祖である孔子に次いで著名な大儒(たいじゅ)として孟子(B.C.372-B.C.290頃)がいるが、孟子は孔子と比較すると剛毅果断(ごうきかだん)であり直情廉恥(ちょくじょうれんち)の傾向の強い人であった。剛毅果断とは、言い換えれば、不正に対して憤慨する気質、悪事を見逃さずに懲罰の為の行動を即座に決断できる気性の激しさのことを指す。曲学阿世(信念を曲げるおもねり)を嫌った孟子は、王者の師であることの自意識に根ざして活動し、『仁義・礼節の道』を君主に啓蒙する士としての自負心が非常に強い人物であった。

孟子は良く言えば、他人と曖昧に妥協することがない意志堅固な思想家、実践優位の政治家であったが、悪く言えば、他人の下風に立つことが出来ずに現実の政治状況と調和することが難しい人物でもあった。魏や斉といった当時(戦国時代)の大国の君主であっても、自分を格下に見て粗末に取り扱うような素振り(自分の献策を特別に重視しない雰囲気)があれば、すぐにその国を立ち去ることにやぶさかではないという狷介さ(気難しさ)を見せたことからも気位の高さは並々ならぬものを感じさせる。

卑屈さを嫌う孟子の自尊心の強さを表すエピソードとして、斉の宣王の一方的な朝廷への呼びつけに不快感を覚え、仮病を使って拒否したことがある(『孟子 公孫丑章句』)。孟子は自分を一家臣のように朝廷に呼びつけようとする斉の宣王に対し、『(中国の覇者となった)殷の湯王・斉の桓公は、自らに天下(華北)を掌握させた伊尹(いいん)・管仲(かんちゅう)を師父として厚遇したのに、管仲をも越える自分を呼びつけるとはどうであろうか?』と批判を述べた。これは、孟子が、暗黙裡に自分を伊尹や管仲の立場になぞらえていたことを示しているが、徳治主義を宣王に勧めた孟子は、実際には伊尹・管仲のような大きな功績を挙げているわけではない。政治の実績如何に関わらず『王者(仁者)の師』としての礼遇を要請したという点で、孟子の誇大傾向のある自尊心を窺わせる興味深い逸話である。

それらの事から、門人(弟子)を抱えるようになってからの孟子は、その政治活動の大半を通して、君主の一家臣として待遇されることを嫌ったと考えられる。孟子は、君主の家来としての待遇ではなく、王者たらんとする君主の教師としての待遇を求めて、侠客のように門弟を伴いながら各国を遍歴・遊説した。しかし、魏(梁)・斉・宋・薛(せつ)・滕(とう)などを巡ってその思想が採用されず、魯の平公との謁見が成立しなかったことで現実の政界における活躍を諦めて引退した。現実の政治を変革できない自己の天命を悟った孟子は、故郷の鄒(すう)へと帰り弟子の育成と著作の記述に専念してそのまま紀元前290年頃に没したとされる。無論、孟子とて王者の師たらんとするような狷介孤高(けんかいここう)の気概を一般的な徳として勧めたわけではなく、『孟子』の離婁(りろう)章句には自分自身の生き様に矛盾する『孟子曰く、人の患いは、好みて人の師と為るにあり(人間の悩みは、自ら好んで他人の師になろうとすることにある)』という言葉が記されている。

現代的なイメージでは、儒家というと議論好きの儒学者集団や観念的な思想家集団を想像しやすいが、侠客的な行動家としての一面を持っていた孟子は、議論や思索だけではなく実際の政治状況に自らの思想(道徳主義)を反映させることを重視したようである。儒教の政治思想に孟子が与えた影響では、天命思想に易姓革命の観点を持ち込んで、『民意(民衆の支持・同意)』こそが政治権力の正統性(天命)の根拠であることを明確化したことが最も大きいであろう。儒教(儒学)は、林羅山(1583-1657)の朱子学が徳川幕府の御用学問(国学)であったことや君臣の義など身分秩序の重要性を説くことから、封建主義体制と相性の良い学問であると一般的に考えられているが、『孟子』の内容には民主的な立憲政治(立憲君主制)につながるようなアイデアが所々に散りばめられている。

孟子の易姓革命(王朝の姓が易わり、天命が革まる)の独自性は、臣下が主君を実力で討伐する王朝の簒奪行為(叛逆行為)に『倫理的な正統性』を付与したことにある。孟子は、臣下が主君を討つ放伐(ほうばつ)による王朝交代は、天命が革まった(あらたまった)証拠であり、天命は人民の政治に対する意志によって定まるとした。通常、儒教が理想とする政権交代は禅譲(ぜんじょう)と呼ばれる平和的な権力の委譲であり、その原型は、聖王である尭(ぎょう)帝から孝悌の徳を極めた舜(しゅん)帝への禅譲であった。『孟子』にある政治権力の根源は、人間にとって不可知の『天』にある。儒教では、天の命令を拝受した天子(君主)が国家を統治する権限を持つと考えるが、『天』を『神』に置き換えれば、中世~近世に至る西欧の王権神授説と類似した考え方である。

(史実であるか否かは緒論あるが)夏の桀・殷の紂といった暴君の代表とされる古代の王を例に引いて、人民を苦しめ搾取した不仁の君主からは天命が去っているので、桀王・紂王は既に正統な君主とはいえず、ただの悪辣な一夫(匹夫)に過ぎないと孟子は述べた。『孟子』の「尽心章句」では、「民衆→社会(社稷)→主君」の順番で重要性が下がると語られていることから、孟子の政治思想には絶えず、政治に対する民意と主君の仁義(深い思いやり)が基盤に置かれている。主君への忠義や身分の区別の大切さを説きながらも、民衆の同意や支持がなければ政治権力の正統性がないという点では、『孟子』は封建主義と民主主義のアマルガム(融合)と見なすこともできる。

『孟子』から生まれた四字熟語(故事成語)には、五十歩百歩や自暴自棄などがあるが、特に『孟母三遷(もうぼさんせん)・孟母断機(もうぼだんき)』といった基本教育の大切さを伝えるものが目に付く。子どもの教育振興に努めた孟子の母は賢母として有名な人物だが、孟母三遷とは『孟子の母が、子どもの教育環境を整備するために、墓所の近く・市場の近く・学校の近くへと三度の引越しをした』ことから生まれた故事成語である。孟母断機とは『学問の道を途中で諦めて帰郷した孟子の前で、孟子の母が織りかけの機(はた・おりもの)を断ち切った』ことから生まれた故事成語であり、一度始めた学問を最後まで貫徹することの重要性と学問を途中で放棄することの無意味さを説いている。

儒学では、子弟の教育と学問の継続を非常に重視するが、その尚学精神は隋代から始まる科挙(官吏採用試験)の学歴エリート主義(読書人階級の官僚化)へとつながり、恐らくは、近代日本(明治~終戦)の東京大学・京都大学など帝大を頂点とする学歴階層社会の構築にも影響を与えているだろう。無論、市場経済における評価が社会の中心的な価値指標となりつつある現代の自由主義社会では、学歴や学問、勉強の行為そのものに高い価値が置かれることはなく、戦時中までの日本のような「学生さん」の特権的身分は廃絶されて久しい。大学のレジャーランド化や無秩序化、平均的な大学生の学力低下が指摘されてから随分と経つし、少子化による全入時代が始まると受験競争的な学力(暗記&応用)を培う勉強の必然性はなくなっていくかもしれない。

また、ファッションや恋愛、音楽、娯楽、ウェブなどへ生活時間の大部分を注ぎ込んでいる現代の若い人たちの中には、勉強・読書・思索・内省するという儒学的態度がライフスタイルから完全に排除されている人もある程度いるだろう。私は現代の10代~20代の若者の勉強量や読書量が全体的に低下しているとは思わないし、実際に若い人達と話す機会があると自分が読んだことのないような興味深い本を読んでいる人も随分といて、自分・社会・経済・善悪などについて深く考え抜いているという人も少なくない。SNSや2chを含むウェブ界隈を見ていても、若い人たちが倫理や原理を問う哲学的な議論を熱心にやっていたり、社会問題と真摯に向き合って自分なりの生き方を模索していたりする。

ウェブ内部のテキストを読む分量を勘案すれば、恐らく情報化社会に生きる現代人がそれ以前の人たちよりも、有意義な文章(何か感得するもの・自分の判断に影響を与えるものがある文章)を読んでいないということは言えないだろう。勿論、自我が脆弱な人(精神発達が未熟な人)が目にすると悪い影響を受ける『書物・画像(写真)・映像・音楽』というものもあるので、テキストや映像作品を目にすればするほど良い影響があるとは保証されない。現代社会においても、知識・技能の習得や仕事・経済の適応などに役立つ各種の情報を受け取る頻度そのものが劇的に減ったわけではないが、『知識教養や専門技能を高める知識学習』『人間関係や行為規範を学ぶ体験学習』のバランスが崩れている部分は若干あるだろう。

学校教育段階における学力格差も問題ではあるが、それ以上に、常識感覚(権利感覚)の分断や道徳規範(善悪の分別と衝動の抑制)に関する意識の違いのほうがより大きな問題になっていると思う。現代の学校教育では『知育・体育・徳育』のバランスについて言及されることが多いが、特に、現代日本の教育改革において問題になっているのは『道徳教育(徳育)』の取り扱いである。戦前の教育勅語を根幹とする道徳教育が、全体主義的な体制強化につながる国民の思想統一に流用されたことの反省から、戦後の学校教育では『何が正しくて、何が間違っているのか?』という根本的な道徳を教えることに躊躇してきた。もしくは、儒教道徳を前提とする戦前の道徳教育は、上位の者(親・君主・目上)に下位の者(子・家臣・目下)が無条件に従属することを強制する身分差別的な封建道徳であって、現代の自由主義社会には似つかわしくないという批判もあるだろう。

しかし、儒教道徳について、身分差別を絶対視する封建的な道徳とだけ考える必要がないことは、孟子の易姓革命の思想を見れば明らかである。仁義(思いやりと正しさ)・礼節(礼儀と節度)を失って子どもを虐待(酷使)する親は、既にして親として敬愛される資格を失っており、国民を苦しめ搾取する政府は、既にして政府として支持される資格を失っているのだから、『孟子』を踏まえた道徳観は、民主主義社会にも応用可能なある程度の普遍性を持っている。儒教に内在する正しさの本質は、突き詰めれば、仁義と礼節を持った人間に敬意と好意を抱くところにあるのであって、仁義と礼節を持たない人間にそれらを持つように迫るところに道徳的な教化の可能性があるのである。

更に踏み込んで言うならば、儒教の基本理念は、戦時中の日本のような帝国主義との親和性をそもそも持っていない。孟子は『仁者に敵無し』と繰り返して語り、軍事力によって敵国を屈服させるような君主は真の王者ではなく、自己の内面に仁愛の徳を備えた君主、つまり、その徳によって自発的に敵を服従させる者が真の王者だと語っている。故に、暴力や武力によって相手を実力行使で打倒する覇者は、儒教の説く理想の君子とはほど遠いのであり、仁義や礼節によって相手から積極的な尊敬と協力を勝ち取り『戦うことなく勝利する』のが理想の君子なのである。


■関連URL

『孟子』の梁恵王章句:1



『孟子』の梁恵王章句:2


孔子『論語』の書き下し文と解説

孔子を始祖とする儒教の歴史と思想の考察

プラトンの『国家』と儒教の『論語』に見る徳治主義の原型とギリシア精神の結実としての『哲学』


■書籍紹介
孟子 不安と混迷の時代だからこそ―現代活学講話選集〈3〉

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