『自分(親)の為の子作り』と『子どもの為の子作り』:少産少死の現代社会における親子関係と社会道徳

前回の記事では、自己愛性人格障害の投影(projection)の防衛機制について説明しましたが、自分の存在意義を強める自己愛(self-love)が発達早期の家族関係を通して傷ついた場合に、アダルト・チルドレン(Adult Children)という概念が用いられることがあります。アダルト・チルドレンには、その語感から連想される「精神発達の未熟な子どもっぽい人」というような誤解もありますが、見捨てられ不安に根ざす他者への強い依存性や支配性を持っている点や「自己と他者の区別の認識が弱い」という意味で精神的自立が困難な点では子どもっぽい特徴を見せることもあります。

アダルト・チルドレンは、『機能不全家族(被虐待的環境・愛情剥奪環境)で育てられて大人になった人』という意味で用いられ、元々は、アルコール依存症や薬物中毒の親によって被虐待的な家庭で育てられてトラウマを負ったACOA(Adult Children Of Alchoholics)という意味で用いられていました。ACOAの場合は、心理的な愛情や保護の欠損という観点よりも、アルコール依存症である親の情緒不安定(感情の爆発)や身体的虐待の問題が重視されていました。

アルコールや薬物(麻薬)、ギャンブルへの嗜癖がある家庭では、職業活動が不安定で家庭生活が荒廃しやすく、DV(ドメスティック・バイオレンス)のような配偶者間暴力も起こりやすくなります。子どもが母親(父親)へのDVやDV後の打ちひしがれた様子を目撃することは、子どもが直接に身体的虐待を受けたのとほぼ同等の心理的ダメージを与えますが、家庭内で暴力(パワー)による支配(秩序)が正当化されていると、子どもは『支配‐服従の二元論的な人間関係のパターン』を間違って学習しやすくなります。

家庭内部における暴力行為を容認する空気があることは、家庭が誰も干渉できない治外法権であるという幻想的な錯覚を生み出し、夫婦間に実力主義的な上下関係があるのが当然で子どもは親の満足のために従属的に存在しているという認知の錯誤をもたらします。この家族関係に対する認知の錯誤は、思い通りにならない配偶者を暴力で屈服させようとするDV(配偶者間暴力)や自分の満足や期待に叶わない子どもを痛めつけたり無視する児童虐待につながる恐れがあります。

その一方で、こういった家庭内部での配偶者への暴力行為や子どもへの虐待行為を許されざる犯罪とする認知は、現代的な民主主義国家が成熟してから後に一般化してきたものです。FIFTH EDITIONの『子供を可愛いと思わなかった時代』のエントリーにもあるように、人類はその歴史の長きにわたって子供を『大人の将来利益や親の老後保障のための存在』と位置づけ身体への虐待や精神への侮辱、労働力の搾取などが日常的に行われてきました。『純粋無垢な愛すべき子ども・大切に保護して教育すべき子ども』が登場してきたのは、産業革命によって経済力が飛躍的に拡大してからのことです。子どもの基本的人権が意識され始め、児童を酷使する工場労働・家内労働が法律で規制されるまでは、子どもに進んで保護・教育を与えようとする親は少数派でした。

共同体の生産能力が低く医療技術(権利意識)が発達していない多産多死の社会では、子どもは親(帰属共同体)のために存在するのであり、『愛情(保護)の対象』ではなく『命令(使役)の対象』と見なされやすくなります。こういった時代には、みんながみんなアダルト・チルドレンとも言えるのですが、アダルト・チルドレンは『家族関係の被害者としての自己認識(普遍的な人権思想に紐付けられた養育者の保護責任)』に根ざしているので、子どもの権利自体が存在しない淘汰圧が非常に強い社会ではそういった自己認識を持っている人がそもそもいません。

かつて、東アジア地域の道徳規範の原典であった儒教教典では、『長幼の序』『孝悌の徳』を繰り返し説いて、若者(目下)は老人(目上)の安楽のために存在し子どもは親への孝行(奉仕)のために存在するという倫理が疑う余地のない道徳の基本として信じられていました。戦時中に皇国史観が日本国民の大多数に支持されましたが、この皇国史観も天命を拝受した天子(天皇)が一般人民を安らかに統治して、正統な歴史を紡いでいくという儒教的な歴史観を下敷きにしています。戦後に至るまでの日本では、教育勅語を引くまでもなく『上位(年上)の者』が『下位(年下)の者』を支配(保護)して使役することが正しいという道徳規範があり、親(君主・老人)は子(家臣・若者)に対して無条件に優位な立場に立ち、親が間違った行為をしていても子はそれに逆らってはならないとされていました。

儒教にも孟子のように易姓革命を説き、仁義・礼節を失った不徳の君主(親)は既に天命が失われているので、臣下(子)が実力で打ち倒しても道徳的に問題がないとする立場もありますが、やはり基本的には社会秩序の根本は子(目下)が親(目上)に文句を言わずに従うことにあると考えられていたのです。このような道徳規範が一般に普及している社会では、子どもは親のために存在しているとされるので、現代的な観点からの親の虐待や搾取といったものは子が果たすべき当然の奉仕義務(忠孝の道)に置き換えられる可能性が高くなります。無論、子どものほうも親が喜び満足するのであれば、自分の人生や幸福を犠牲にしても構わないという考えを持つし、そもそも職業選択の自由や学校教育による階層間移動などの社会・教育システム(法制度)がないので、子どもが進むべき道は生まれながらに決定されていることが多かったのです。

しかし、親が子どもよりも道徳的・実際的に優位に立って、子どもの労働力を親(血縁一族)のために利用できる伝統社会というのは、少子化対策をしなくても少子化になり難い人口増加傾向のある社会としての特徴を持ちます。子どもを作って増やすことがそのまま親の将来利益や老後保障に結びつく伝統社会では、特別な少子化対策をしなくても子どもを持つインセンティブ(誘因)が非常に大きいので、自然に男女は子どもを増やす行動(戦略)を無意識的に採用します。

子どもの数が多く子どもが親に従順な伝統社会では、『経済的・保険的・道徳的なインセンティブ』が親の側に働きますが、上でリンクしたFIFTH EDITIONで、近代以降の女性に子どもを作らせる為に『母性神話』が必要とされたのではないかと言っているように、子どもの数が少なく育児のコストが大きな現代社会では、経済的インセンティブによって子どもを作る人が極めて少なくなります。過半数の人が大学・短大に進学する現代の日本では、学校教育の期間が長期化しているので『短期的な経済的インセンティブ』は望めませんし、大学を卒業した子どもがフリーターやニート(NEET)になって子どもの生活補助コストが継続的にかかる可能性も低くはありません。大学を卒業して更にスキルアップしたいということで専門学校に入学する人もいるので、子どもの高等教育・教育水準・職業選択に対する責任感が強い親ほど長期的な育児コストを抱えることになります。

また、子どもの人権が軽視される伝統社会と子どもの人権が重視される現代社会の最大の違いとして、伝統社会では、親のために子どもの労働力を利用することが美徳とされるが、現代社会では、原則的に親が子どもの労働力(経済所得)を利用することができないということがあります。無論、子どもの側が自発的に、親が育ててくれたことへの感謝として仕送りをする場合もありますが、自分の親の介護さえも公的保険に頼るようになった現代では、親が子どもに金銭や世話を要請することは余り褒められたものではないと見なされることが多くなっています。

もちろん、親孝行は現代でも美徳ですが、かつてのように親の側から能動的に親孝行を要請することは難しくなっており、老後の仕送りや世話を期待して子どもを作るという考え方は現代の若年層からは余り支持されないでしょう。つまり、現代社会の親孝行のあり方では、暗黙の了解として育児の見返りを期待することは構わないが、かつての伝統社会のように、明示的な義務や道徳的な強制として育児の見返りとなる功利的インセンティブ(生活支援や老後保障)を期待することは出来なくなっているのです。

現代社会の育児に対して生まれてきた新たな道徳観念として、『自分(夫婦)のための子作り』を批判的にとらえ『子どものための子作り』を肯定的にとらえる考えが生まれてきていますが、子どもからの見返りを子どもの義務として期待する心を否定的に見る道徳規範も、現代の若者の出産を抑制している原因の一つと考えられるでしょう。

つまり、子どもを幸福にするために子どもを作るのであり、自分の将来の利益(保険)のために子どもを作るのではないという道徳観念が、子どもを産み育てる為の心理的なハードルを非常に高くしています。無論、『子どものための子作り(利己的欲求の介在しない出産)』には道徳的な自己欺瞞の側面もあるでしょうし、自己の欲求や思惑を捨象することによって育児の問題にまつわる責任感が緩和できる部分もあります。

とはいっても、子が親を養うべしとする儒教的な道徳観が残っていた頃の日本に比べれば、子どもにほとんど見返りを期待しない無償の気持ちで、妊娠出産を選択するカップルの数は増えていると考えて良いでしょう。その事には、子どもに物質的な豊かさや高度な教育を与えた良い面もありますが、無償の愛情によって『他者(社会・両親)に対する責任意識』を曖昧化させた面もあります。

優しい親が子に注ぐ無償の愛情は『返さなくても良い恩義』として受け取られることが多いので、社会経済的な基本ルールである『行為の相互性(自分が与えなければ、他者から与えられない)』が学習できない恐れがあり、子どもが社会的な役割意識(職業意識)を自己認知する社会的アイデンティティが拡散しやすくなったとも言えます。誰か(他者)のために生きるという道徳観が衰退したことで、自分(子ども)のために生きる自己愛的な人生観が主流となったこと、そして、誰かのために生きるほどのメンタル面の強さや経済的な余裕を持てないストレス環境が増えたことが、現在の親子関係の昏迷や育児環境の悪化に拍車を掛けています。

また、親の育児が当然果たすべき法的な養育義務となったことで、子どもの養育が『将来に返すべき恩義(儒教的な忠孝の原因)』ではなくなったことや、自分自身が生きていることを悲観的に考える抑うつ的な子どもたちが増えたことも、現代的な少子高齢化の流れに関係しているのかもしれません。
そういった意味では、子どもを持つ時には、『親のための子作り』であり『子どものための子作り』であるといった率直な心情、利己心と利他心が混在した素直な気持ちを持って育児に当たるのが良いと思います。その上で、自然に親を敬って感謝できるような親子関係を確立すること、子どもを虐待(行き過ぎた懲罰)しなくても済むような安定した心理状態と生活環境を整えていくことが大切です。


■関連URL
青年期のアイデンティティ拡散と非社会性の問題:搾取から保護への子どもの権利獲得の歴史

精神分析とうつ病・大人の無意識的願望と子どもの憂鬱感

■書籍紹介
子どもという価値―少子化時代の女性の心理

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