日本・中国・韓国の“歴史的物語性のあるナショナリズム”と歴史認識の対立の先鋭化

反日的な民族的自尊心を高めようとする韓国や中国、北朝鮮のナショナリズムに呼応する形で、戦後民主主義の中で忘れ去られていた日本人の民族アイデンティティや軍事的なプレゼンス(独立的な自衛)への欲求が緩やかに強化されようとしている。かつて、排他的な国家や民族を意識させない国際主義的な連帯こそが平和や進歩につながるというのが社会主義的なテーゼであったが、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが地上のユートピアを夢想した壮大な思想体系は数々の苦難と挫折を歴史にもたらした。

米ソが対立する冷戦下に置いても、社会主義を標榜するソ連は国民国家や軍事戦略のスキーマを超克したわけではなかったし、平和や人権を尊重したわけでもなかった。マルキシズムという人工的に計画されたイデオロギー装置では、人類を太古の昔から結集させてきた自然発生的(自己保存的)な民族や国家、宗教の制約(帰属意識に根ざした共同体感覚)を解くことは出来なかったのである。

人間は『帰属する場所・観念・歴史・民族・言語』への本性的なこだわり(愛着)というものからなかなか離れることが出来ず、『個別的な有限の自己』『普遍的な無限の観念』に投影して帰属させたがるものだ。“私”という個人としての人間はいずれ死んでしまいこの世界から退場するが、『国家・民族・言語・文化・思想・子孫(遺伝子)』といったものは個別的で有限な自己を超える『長期的な継続性(永続的な価値)』を期待されている。

哲学や文化人類学において、人間は種族的な動物であるとか共同体的な動物であるとか政治的な動物であるとか表現されることがあるが、これは換言すれば『人間は複数の人間が構成する“全体性(共有観念)”に帰属(貢献)したがる動物』であるということを言っている。人間が、実存的な虚無感や時空間的な無意味感から逃れるために確立するアイデンティティ(自己同一性)の本質は、自分を自分よりも優れた属性(対象)と同一化することであり、“民族・国家・歴史・宗教”へ“自己”を投影するということは『普遍的な価値にコミット(帰属)する私』『歴史的な意味づけを持つ私』といった物語性のある自尊心(ナラティブなプライド)を培うことだからである。

戦後、国家や民族といった『継続性(歴史性)のある価値』にアクティブにコミットしなくなった日本では、経済的発展や平和・人権の擁護といった『普遍性(実利性)のある価値』に生き甲斐を見出すようになった。しかし、1990年代にバブルが崩壊して、終身雇用制度と年功序列賃金が支えた一億総中流社会に亀裂が入り、経済的発展による豊かさの享受というものが万人に共有されるものではないことが次第に自覚されるようになっていった。右肩上がりの経済的繁栄に陰りが見えると、物質的な豊かさから精神的な豊かさへのシフトみたいなことが言われるようになり、日本経済が急速な成長型経済(途上国型経済)ではなく安定的な成熟型経済(先進国型経済)に移行したことを認識し始めるようになった。

2000年以降には、最も成功した社会主義国と言われた日本でも、所得・資産・教育資本などの観点における社会格差(生活水準と価値基準の多様化)が目立ち始め、それと歩調を合わせるかのように、北朝鮮の拉致問題や軍事的リスク(核開発やミサイル実験)がメディアで注目を集め、韓国や中国の反日教育や歴史認識の問題に日本人が意識を向け始めた。日中戦争や韓国併合、戦争被害、東京裁判(戦後処理)を巡る歴史認識の対立によって、極東アジアにおける日本の政治的孤立が強まる中で、日本国内の世論に(未だ国家・政治・軍事に対する無関心層は多いものの)一方的な謝罪外交や行き過ぎた自虐史観を攻撃する声が増えた。

日本でここ数年の間に高まってきたナショナリズムの背景には、日本の経済成長力(人口規模)の低下と戦争責任を理由とした中・韓・朝の反日政策(軍事的なプレゼンスの顕示)、中国や朝鮮半島での反日教育による反日感情の過激化への不安、一方的な歴史認識の押し付け(歴史教育への内政干渉や歴史的事実の誇張・歪曲)がある。中国や韓国、北朝鮮は日本の戦争責任(非道性・残虐性・利己性)を実際以上に国際社会にアピールすることが結果として国益になるが、日本は今まで戦争責任を誠実に受け止めているという意味合いを込めて『中・韓・朝の主張する歴史認識』に対しては積極的に修正や批判を余りしてこなかった。

10年ほど前までは、中国や朝鮮半島に対しては自分たちのほうが悪かったのだから多少大袈裟な論調(歴史認識)で責任を追及されても仕方ないと感じていた日本人が多かったし、丁重に謝罪と賠償をしていけば自然に友好的な関係を取り戻せると楽観的に考えていた政治家も多かったが、現実はなかなか『過去を水に流す』といった形では順調に進まなかった。帝国主義時代の日本国には、確かに戦時における人権侵害や侵略行為に対する責任があり、『政府や軍が主導した歴史的事実(戦争被害・軍事的占領)』に対しては真摯に謝罪し反省する必要があるだろう。

その一方で、戦後の日本は、政治的な責任や公的な賠償の義務については既に履行していて、日中・日韓関係では政府間の協定(1972年の日中平和友好条約・1965年の日韓基本条約)でその同意(賠償請求権の放棄)が得られているはずである。その後も、日本の戦争行為や占領統治で被害を与えた国々に対しては、相当な金額の政府開発援助(ODA)と経済発展を促進する技術指導・投資支援を行い続けてきた。

日韓基本条約では、無償の賠償金と有償の借款を合わせて5億ドルの巨額資金を韓国に提供し、『漢江(ハンガン)の奇跡』を実現する大型投資やインフラ基盤整備などに貢献したが、韓国は国家経済の発展に賠償資金を使ったので個人補償までは手が回らなかった。戦争責任を感じていた日本政府の大規模な資金援助・開発支援に対して戦後補償の意図を相手国が受け取っていたかといえば疑問な部分もある。日本は黙々とやるべきことをやり続けていれば、以心伝心で相手国に自らの誠意や感情が伝わると思い込む節があるが、海千山千が集う国際政治の舞台では自国の意図や考えをきちんと言語化して伝えることが大切である。

無論、日中・日韓の政府間で経済的な賠償問題に決着がついているといっても、今後、日本の第二次世界大戦(韓国併合)における道義的責任や軍国主義の過去の反省といったものが一切不要というわけではないだろう。そして、戦争(紛争・テロ・圧政)を再び繰り返さないという意味においては、日本だけでなくアメリカや中国、韓国、北朝鮮、ヨーロッパ諸国、アラブ諸国も含む世界の全ての国々が『排他性のあるナショナリズム・軍事イデオロギー・全体主義の勃興による戦争』に対して十分自覚的であらねばならないと思う。


■関連URL
過激化した反日デモの狂乱と近代化する中国の中央政府が抱える内憂

中国の反日感情と歴史認識の問題:戦略的で協調的な日中関係に向けて

■書籍紹介
パトリオティズムとナショナリズム―自由を守る祖国愛

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