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zoom RSS 多神教のローマ帝国の同化政策(ローマ化)と一神教のユダヤ人のディアスポラ(離散)

<<   作成日時 : 2006/12/16 05:53   >>

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元老院主導の共和政の衰退と帝政ローマの興隆:ローマ帝国の覇権主義を支えた『属州のローマ化』の記事では、ユリウス・カエサルの遺志を継いだアウグストゥス以降のローマの外交戦略の要である『異民族の同化』にスポットを当ててみた。ローマ帝国の歴史は、本国ローマが政治的主導権を維持していた西ローマ帝国に限っても約1,200年の長きに渡って継続した。九州・畿内地方の有力な豪族を取りまとめた大和朝廷(ヤマト王権)成立以降の日本の歴史は確かに長いが、日本に住む人々が『日本人』として単一の国民アイデンティティを持ち始めてからの歴史は、明治維新以降の約150年である。

それを考えると、ローマ市民と元老院議員という明確な民族アイデンティティ(ローマン・スピリット)によって支えられていたローマの歴史の長さは異常なまでに長い。ローマが滅亡して以降のキリスト教的世界観が支配する中世ヨーロッパには、国民アイデンティティを有する法治主義国家は誕生しなかった。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信奉する国王や貴族、平民は『契約の民(律法の民)』ではあったが、ローマ人のような『立法府を持つ法律の民』ではなかったのである。

中世のキリスト教世界における法とは、『聖書』の戒律(記述)と前例踏襲の慣習(伝統)に依拠した不変の法であり、ローマ人のように自分達の都合や利害に合わせて変えられる法ではなかった。ローマの法律は、人間の利害関係を調整して社会の秩序を維持する為に制定されるもので、基本的に合理主義や温情主義が通用する『人間のための法』であるが、中世ヨーロッパの法律は、神の定めた普遍的な法に人間の行為・思想が違背していないか否か、既存社会で守られている慣習や伝統を無視していないか否かを基準とする『神と支配階層のための法』であった。

ローマでは帝政が定着して政界が腐敗する以前には、議会で元老院派と民衆派の激しい議論が交わされるのが常であったように、『思想・言論・宗教の自由』が認められていたが、西ローマ帝国の滅亡(476年)以降のヨーロッパでは急速に思想や宗教の自由が剥奪されていき、迂闊に伝統に違背する権利の主張やキリスト教教義を否定する議論をすれば異端審問に掛けられて残虐な処刑をされる恐れが高くなった。中世ヨーロッパの封建的な村落共同体において『異教徒としてのアイデンティティ』を他者に知られることは正に命取りであり、キリスト教以外のギリシア神話や北欧神話などの多神教的世界観は、邪悪で無知な蛮族の危険思想の象徴とされ、価値観の多様性を説いたり精神の自由を主張したりするものは魔女狩りや異端審問の対象とされた。

欧州と北アフリカ、中東という広大な版図を治めたローマは多民族・多言語・多宗教国家だったが、ユダヤ人やキリスト教徒といった一神教の信者以外のほぼ全ての民族をローマ化(同化)することに成功してきた。逆に言えば、世俗的なプラグマティストだったローマ人達が唯一、自分達の思想や行動様式、価値観に同化できなかった『ユダヤ的なアイデンティティ(排他的な選民主義)』こそが、来るべき未来のローマの崩壊を予見していたのである。自分達とは異なる宗教や思想を信じている異教徒を『同じ権利を有する人間』とは認めないという意味では、中世の封建社会確立から十字軍に至るまでのキリスト教もユダヤ教的な選民思想を継承していた。

アウグストゥス以降のローマ帝国で最も統治と同化が困難だったのがユダヤ民族であり、ユダヤ民族が厳しく非難するローマのネロ帝による迫害(ユダヤ戦争:66-70年)は、ユダヤ属州が反ローマの反乱を起こした後にヴェスパシアヌスやその子ティトゥスが実効支配をする形で行われた。ユダヤ人がユダヤ戦争で反乱を起こした直接の理由は、ユダヤ人の義務としてエルサレム神殿に寄付していた奉納金を、属州総督フロルスがユダヤ属州の社会インフラ整備に使ったことだったが、ユダヤ人は『信教の自由の保護』を求めていたのではなく『ユダヤ教に基づく宗教国家の建設(民族としての独立)』を求めていたのだった。何故なら、ユダヤ人には既に信教の自由だけでなく、公務(軍役・異教の祭儀)の免除まで与えられており、ローマ人は反ローマに決起しない限りは信仰の自由を全面的に承認していたからである。

ローマが与えることの出来る現世的な利益や保障よりも『来世における神の救済』を信じる敬虔な一神教徒は、政治的経済的な身分を保障されるローマ市民権を求めなかったのでローマ的な同化政策は原則として通用しなかった(一部のユダヤ人には棄教したものもいるが)。それだけではなく、多神教国家ローマが国是とした自由や寛容は、ユダヤ人やキリスト教徒のような一神教信者にとっては信仰上の堕落や裏切りを意味していたのである。ユダヤ人やキリスト教徒が表面的には大人しくローマ帝国の支配に従っていたのは、ローマ的な『寛容の精神(自由の尊重)』を支持するローマ人(属州人含む)の数的優位があり、圧倒的なローマ軍の軍事的優位があったからである。

ユダヤ民族に対する同化政策にも直轄統治にも失敗したローマは、五賢帝の一人で帝国各地の防衛線を再構築したハドリアヌス帝(76-138)の時代に、ユダヤ人の反乱(バル・コクバの乱:135年)を鎮圧してユダヤ人は聖地エルサレムから永久追放されることになる。ユダヤ人は反ローマ戦争に敗北して信仰の拠点である聖地エルサレムを追放されたが、ユダヤ人が自分達の国を持たずに世界各地に散らばっている状態を『ディアスポラ(離散)』といった。

ディアスポラの始まりが70年(第一次ユダヤ戦争)であるのか135年(第二次ユダヤ戦争)であるのかの意見は分かれているが、聖地であり祖国であったエルサレム(属州ユダヤ)を失うディアスポラに陥ったユダヤ人たちの共通目標は『聖地エルサレムへの帰還』であった。イスラエルに帰還してイスラエル(ユダヤ教国家)を復興しようとするユダヤ人の思想をシオニズムと呼ぶが、このユダヤ人独自の国家を建設しようとする建国運動(シオニズム)は1948年のイスラエル建国によって成就することになる。

しかし、イスラエル建国に成功した後でも、ユダヤ教の排他的な一神教の精神は失われておらず、四度に渡るアラブ国家群(イスラム教も最も強固な信念に支えられた一神教である)との中東戦争が起こり、現代においても中東問題(パレスチナ紛争)の根本的な解決は困難な状況である。全知全能の唯一神を敬虔に信仰する一神教は、世俗化されたキリスト教を除いて『価値観の多様性・伝統文化の批判・思想言論の自由』を容認する『寛容の精神』を持つことが原理的に不可能なのである。

一神教の教義と慣習が人々の生活に強固な影響力を及ぼしている地域では、合理主義と経験主義、科学技術、資本主義、自由民主主義に根ざした近代的な価値観の多くが通用しない。この事を忘れた近代的な資本主義国家の領袖であるアメリカ合衆国は、現世的な利益と権利の拡大によってイラクを民主国家として再建しようとしているが、今のところその無謀とも思える冒険的な試みは成功していない。イラク戦争後の占領統治(民主化)の迷走と一神教の信仰との関係については次回の記事で考えてみたいと思う。






■関連URL
古代ギリシアの男性原理に基づく民主主義政治:富国強兵の共同体倫理と女性の参政権

ギリシアの選良的な貴族主義とローマの宥和的な貴族主義:宗教原理と認知的不協和理論

塩野七生『ローマ人の物語]W キリストの勝利』の書評:ギリシア・ローマの伝統の衰退とキリスト教の台頭


■書籍紹介
ユダヤ人の歴史 古代・中世篇―選民の誕生と苦難の始まり (文庫)

ユダヤ人の歴史 近世篇―離散した諸国で受けた栄光と迫害 (文庫)

ユダヤ人の歴史 現代篇―ホロコーストとイスラエルの再興 交錯する恐怖と希望 (文庫)

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