元老院主導の共和政の衰退と帝政ローマの興隆:ローマ帝国の覇権主義を支えた『属州のローマ化』

古代ローマにおける帝政の正統な歴史は、ガイウス・ユリウス・カエサル(B.C.100-B.C.44)の養子となったオクタヴィアヌス(アウグストゥス)から始まるが、元老院主導の共和政ローマを皇帝独裁の帝政ローマへと方向転換したのは飽くまでもカエサルである。カエサルの独裁政治の確立以前にも、共和派(閥族派)のルキウス・コルネリウス・スッラ(B.C.138-B.C.78)が終身独裁官として権力を振るった前例があったが、元老院指導体制を支持して民衆派を弾圧したスッラと民衆の絶大な支持を受けて元老院派と戦火を交えたカエサルの政治イデオロギーは対極にあるものである。

元老院が国家主権を持つ共和政ローマを守る側に立ったポンペイウスは、カエサルとクラッススと共に三頭政治を実現した人物でもある。ポンペイウスは地中海に跋扈する海賊を一掃して、オリエント遠征を成功させたローマの伝説的な英雄であったが、独裁官に全ての権力を集中させる帝政ローマへの転換を推し進めようとしたカエサルに打ち倒された。アレクサンドロス大王のディアドコイ(後継者)によって建設されたセレウコス朝シリアを打ち倒して、中近東にローマの覇権を確立した(シリア属州の創設をした)のはポンペイウスである。

その後、終身独裁官(ディクタトール)に就任したカエサルは、ブルートゥスやカッシウスといった共和主義者の過激派勢力に暗殺されてしまうが、カエサルの後継者に指名されたオクタヴィアヌスを中心とする第二回・三頭政治の連合軍によってブルートゥスやカッシウスの共和主義勢力は壊滅に追いやられる。オクタヴィアヌスは、カエサル指揮下の軍人であったマルクス・アントニウス、そして元老院の有力者であったレピドゥスと一緒に三頭政治を行ったのだが、次第にオクタヴィアヌスとマルクス・アントニウスとの権力闘争が激化して最終的にオクタヴィアヌスが勝利を得て帝政建設の基盤を築く。

元老院議員とは元々、世界の首都(カプトゥ・ムンディ)ローマに生まれた名門の貴族階級であり、元老院と市民集会が共和政ローマの国家権力の最高機関であった。カエサル以前の共和政ローマにおける政治の最高権力者は、元老院議員を代表して選出される2名の執政官(コンスル)であり、その権力の行使は元老院によって厳しく制限されていた。特に、執政官や属州総督の地位にある人物が、軍事力を背景にして元老院の意志決定を無視しようとした場合には、元老院は『元老院最終勧告(セナトゥス・コンスルトゥム・ウリティムム)』を発令して、元老院主導の政治体制を否定する者を国家反逆罪で厳しく処罰してきた。

専制君主がローマの政治を独断で決定するという独裁体制の出現(ローマ初期の君主制の復古)を未然に抑止するのが、ローマの最高機関であった元老院の役割であったが、カエサルが属州の有力者にも元老院の議席を開放したことにより、『ローマ建国以来の貴族階級』という元老院の権威性や正統性は段階的に薄らいでいった。ローマ帝国が広大無比な領土を版図に収めることが出来た最大の理由が『属州のローマ化』であり、本国ローマと各地の属州のローマ市民の待遇を平等にすることは、征服した異民族をローマ市民として同化(融合)することに非常に役立った。

帝政が確立したローマ本国は、ローマに忠誠を誓いローマ人としての義務を果たす者には、国家・民族・宗教・言語の区別をせずに直接税が免除されるローマ市民権を付与した。また、ローマの発展や防衛に寄与する為にローマに帰順した地域部族の有力者には、惜しげもなく元老院議員の資格を与えた。ローマ軍に甚大な被害を与えるどんなに激しい戦争をしても、いったん降伏してローマに反旗を翻さないと約束すれば、『ローマの友人にして同盟者』ということで地方自治が認められることも少なくなかった。

法の民であるローマ人が最も怒りと憤激を露わにしたのは、『ローマに二度と反抗しないと誓約した部族』が一方的に約束を反故にしてローマを裏切った場合である。ローマと結んだ同盟条約(不可侵条約)を不条理に破った場合には、ローマの対応は非常に厳しく容赦がなかった。明文化された条約や忠誠を約束する誓約をきちんと守れるか否かが、ローマ人が他民族の民度(信頼度・文明度)を計る重要なものさしだったのである。

契約を不当に破棄する敵に対して情け容赦のない制裁をしたローマも、正々堂々と戦争の意志表明をして挑戦してくる国家・民族には基本的に寛容であった。戦争に無残に敗れても降伏を認めて帰順すれば、多くの場合、ローマの間接統治の地方自治が認められたり、ローマ市民権が付与されて正式なローマ帝国の一員となることが出来た。執拗に反乱を繰り返して『ローマの平和(パックス・ロマーナ)』を攪乱する勢力に対しては、侵略戦争を断行して地方自治権の剥奪とローマの属州への組み込みが行われた。地方自治を廃してローマ人総督による直接統治が行われた場合にも、(贈収賄や公金横領などの不正は度々あったが)不当な差別や虐待が行われることは殆どなかった。

『属州のローマ化』『異民族のローマン・アイデンティティの確立』は、ローマを裏切らない忠誠心と信頼感を醸成することに比類なき貢献をしてきたのである。ローマ人の国家が持続的に成長拡大して歴史上に類例のない栄華を誇った背景には、ローマの発展と繁栄を支える『ローマ市民の数を増やす』という基本政策があったのである。ローマは、敗戦国への寛容な態度と同化・宥和政策によって、ローマに忠節を尽くすローマ市民の数を増やし、ローマに反旗を翻さない属州(同盟国)の数を増やしていった。

カエサルが共和政から帝政への体制変革を企図した理由の一つが、祖先の血統や功績にこだわる元老院の指導体制では、『属州の完全なローマ化』が難しかったからである。本国ローマだけを共和政ローマの中心地として優遇した場合には、広大な版図を抱えるローマの平和を維持して反乱を抑制することが出来なかっただけでなく、ローマ的な異民族との融和による覇権、パックス・ロマーナが確立されることもなかっただろう。

本国と属州の権限や待遇に極端な格差を付けた場合には、古代ギリシアのような奴隷制拡大の植民地主義に陥ってしまい、ローマの発展と防衛に貢献してくれる『ローマ市民』の数を増やすことが出来ないからである。16世紀のスペインやポルトガルの海外進出による覇権主義、18世紀以降のイギリスやフランス、オランダ、ドイツの帝国主義も、征服した土地を植民地として、支配した民衆を奴隷(搾取対象)としたので、古代ローマ帝国のような同化政策(融合政策)が採用されることはなかった。

つまり、ローマ人は、属州の人々にローマ市民権を与えて『ローマ化』することに積極的だったが、イギリスやフランスの帝国主義の統治政策では、支配した領域の民衆を同化するのではなく『奴隷化(プランテーション経営への組み入れ)』することで、本国と植民地の主従関係を明確にしていた。ローマ帝国では属州の有力者でも、本国ローマの元老院議員となる門戸が開かれていたが、帝国主義を採用した近代国家のイギリスやフランスでは、植民地の代表者に本国イギリス(フランス)の政治家となる資格を与えることはなかった。

近代の帝国主義は、産業革命の機械化によって急激に増加した生産物を売る為の『新しい市場』を求めると同時に、資本主義経済で競争力と効率性を高める為に必要な『安価な労働力』を求めていた。富国強兵で海外侵略をする帝国主義の政治体制とイデオロギーの下では、『新しい市場』として軍事力で植民地を開拓し、『安価な労働力』として植民地の住民を搾取することが国益に適う行為であると考えられていた。

ローマ帝国でも、新しい市場(経済的利益)と安価な労働力(奴隷)を手に入れる目的で軍事侵攻をすることが皆無であったわけではないが、農耕牧畜の第一次産業を主体とする経済構造だった為に、資本主義的動機で覇権を拡大する近代国家の帝国主義ほど、苛酷な支配と搾取をすることはなかったようである。基本的には、各地域の現地住民による地方自治(ムニチピア)を進めて、一定の決まった直接税(年率1割)や関税を徴収するという支配形態であり、ローマ帝国が、支配地域の住民の人格的尊厳や行動の自由を奪うような奴隷化をすることはなかった。

共和政体の支配階級である元老院議員は、伝統と慣習を重視する保守主義者だったので、本国ローマと属州の位置づけを対等にしたり、異民族にローマ市民権を付与することに対して否定的であった。ましてや、自分たちが帰属する元老院の権威性や歴史性を侵害する『属州代表(異民族代表)の元老院への参加』については容認すべきではないという姿勢を示していた。

元老院とはローマの歴史と伝統、政治文化を象徴する権威的な立法機関であり、元老院議員とは家柄や血統によってその身分が規定されるある種の特権階級(既得権益層)であった。その為、本国ローマの歴史を担ってきた由緒ある元老院議員の権威的な身分を、ローマ外部の地域出身者に開放することに強い抵抗と反対があったのである。

ローマの帝政と共和政を巡る歴史は、皇帝の権力強化と元老院の衰退という方向へ進んでいくが、古代ローマの『議会政治による権力のコントロール』を端的に象徴した元老院制度は、現代政治においても、議会が軍部を統御するシビリアン・コントロール(文民統制)の原型的精神としての意義を持っている。


■関連URL
塩野七生『ローマ人の物語Ⅳ ユリウス・カエサル ルビコン以前』の書評:三頭政治の確立と瓦解
塩野七生『ローマ人の物語ⅩⅣ キリストの勝利』の書評:ギリシア・ローマの伝統の衰退とキリスト教の台頭

■書籍紹介
図説 世界の歴史〈3〉古代ローマとキリスト教 (単行本)

図説 世界の歴史〈6〉近代ヨーロッパ文明の成立 (単行本)

ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)ローマ人の物語8

ローマ人の物語〈14〉パクス・ロマーナ(上) (文庫)

古代ギリシア・ローマの料理とレシピ (単行本)




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