ギリシアの選良的な貴族主義とローマの宥和的な貴族主義:宗教原理と認知的不協和理論

古代ギリシア世界の歴史は、宗教・政治・哲学・芸術・建築・演劇・言語など西欧文明社会の精神的ルーツとなり、キリスト教(ヘブライズム)誕生以前の地中海世界に、ヘレニズムという文化的な共通基盤を準備した。古代ギリシアに起源を持つ言語や哲学は、根本的な原理を探究する理性的営為として現代にも継承されており、ギリシア神話の美しき神々や壮大な物語は、『美のイデア』を表象しようとする芸術家や文学者に鮮烈な元型的インスピレーションを与え続けている。

古代ギリシアの世界は、膨大な数の個性的なポリス群がひしめく群雄割拠の世界であり、ある意味で弱肉強食のラディカルな自由主義原理によって貫かれた世界であった。ポリスを主体的に運営する誇り高きヘレネス(ギリシア市民)が持っていた徹底的な自己肯定を『運命愛』という概念でフリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche ,1844-1900)は表現したが、ヘレネスは、自分の人生がどのような結末を迎えようともそれを自己の責任として受け容れる潔い精神を持っていた。

自分自身の一度限りの人生や運命を、永劫回帰を恐れずに全肯定する為には、プラトニズムを前提とする一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)の背後世界や道徳規範に逃避しないヘレニズム的あるいはローマ的な姿勢こそが求められることになる。

原則論的に考えると、ヘレニズム(ギリシア文化)というのは、『強者の論理』に根ざして物理的・形態的・生理的な価値を肯定的に認識するパラダイムであり、ヘブライズム(一神教文化)というのは、『弱者の論理』に根ざして物理的・形態的・生理的な価値を否定的に認識するパラダイムである。

全知全能の唯一神に帰依して従属するヘブライズムが、世界的に隆盛してイスラム国家やキリスト教国の政治体制にまで影響を与えている理由の一つが、背後世界(天国地獄)や形而上学的理念(神・真理)によって民衆の認知的不協和を効果的に緩和してくれるからではないかと思う。

人間の生命と存在にまつわる実存的な不安や恐怖は、現世的な価値体系では癒され難い部分があるので、多くの人は、意識的であれ無意識的であれ、究極的な価値体系による自己承認を求めていると考えることもできる。
観念的な思想や幻想的な愛に生き甲斐を見出す傾向なども含めると、全ての人間は科学的根拠を持たない宗教的な思考や想像的な表象(イメージ)に、シンパシーを感じやすい生得的な傾向を持っているといえる。

ゼウスやアテネなどヘレニズムの神々は、人間の自由意志に基づく意志決定の結果を支援したり妨害したりするが、ヤハウェやアラーなどヘブライズムの神々は、人間の自由意志に戒律や道徳で様々な制約を設けて『何が正しくて何が間違っているのか?』を教示しようとする。
人間は絶対的価値観を提示されて、未来の救済や繁栄を最高権力者(神・聖職者)に保障されると、『現実社会で受ける苦悩や屈辱に意味を付与することが出来る』ことがある。一神教の魅力であり危険性は、『主体性(エゴイズム)を放棄して、来世での救済を獲得できる』点にあると言えるのではないだろうか。

人間は表面的にどんなに強がっていても本質的には弱い存在であり、絶えず人生の様々な局面で悩み迷うものである。自分の上位にある一切の権威を認めずに『自立自尊の個』として生きることは、大いなる自由を獲得すると同時に耐え難い孤独や不安を背負い込むことでもある。全ての物事に対して、権威(宗教・社会・倫理)に頼らずに善悪や正誤、損得を自己決定することは通常できないし、『個の独立性や自尊心』を強化し過ぎると大衆迎合の危険はないが、カルト的な独自の価値や信念に染まりきってしまう恐れもあるだろう。

ニーチェは、『ツァラトゥストラはかく語りき』の中でゾロアスター教を起源とする善悪二元論的な宗教規範を批判的に取り扱い、遂には『神の死』の宣告にまで行き着くわけだが、その根底にはキリスト教教義や近代市民社会に深く根付いている『ルサンチマン(弱者の強者に対する怨恨)』の摘出と禁欲的道徳の内破の意図が隠されていた。

永劫回帰の運命愛を体現する超人は、ルサンチマンを持たない理想的な現存在(人間)であるが、ニーチェは超人にはなれなかったし、現世の権力者や富裕者といった優勢な立場にある者もルサンチマンからは自由になれなかった。『ニーチェ的な超人とは何か?』という問いへの回答を一義的に提出することは難しいが、『排他的なルサンチマンを抱かずに、自己の全肯定を行える者』とすると分かりやすい。

社会心理学の概念を用いて言えば『認知的不協和を生じない人間』が超人であるが、自分の認知と行動が矛盾した心理的緊張である認知的不協和を全く感じない個人が存在するはずがない。ゲシュタルト心理学のクルト・レヴィンの影響を受けたレオン・フェスティンガー(L.Festinger, 1919-1989)が心理学実験の結果から着想した理論が、ある認知(認識・知識・記憶・経験)とある認知(行動)が矛盾することによって発生する『認知的不協和(cognitive dissonance theory)』の理論である。

人間は認知的不協和を感じている間、生理的な不快感や緊張感を感じ、その緊張や不快が心理的な不安感や嫌悪感を生起させることになる。認知的不協和は、広義のフラストレーション(欲求不満)であり、解決困難な葛藤(dilemma)の原因ともなるのである。

多くの人々を魅了する一神教の世界宗教や教祖が権威を持つ新興宗教は、現世での苦悩や絶望、貧窮という物理的困窮や生理的不快を『未来の救済の契約・布施による現世利益の獲得』などと置き換えることによって、新たな人生の意味や価値を提示してくる。
『認知的不協和を解消する教義・修行のメカニズム』を持つ宗教を明示的に信仰していない人でも、宗教に類似した道徳言説や認知傾向と完全に無縁でいられるわけではない。

ギリシア神話の英雄物語的なエピソードに縷々見られる『ありのままの生の歓喜の享受』『形態的な美の賞賛』『高貴な優越性の保持』『身体的な強靭さの価値』などは、認知的不協和や劣等コンプレックスを感じずに人生を無邪気に楽しむという意味で『超人的』なのである。無論、シグムンド・フロイトがエディプス・コンプレックスの発想を得たソフォクレス(ソポクレス, B.C.496-B.C.406)『オイディプス王』の悲劇のように、人間的な後悔や罪悪感の感情と全く無関係というわけではないが、大枠の物語構成として人間の本能的欲求や自由な意志決定に対して肯定的なエピソードが多く、道徳的な訓戒を目的とする物語は少なくなっている。

ポリスは市民と都市の生死が一蓮托生となった運命共同体であり、自らが所属するポリスの敗北や凋落は、自分自身の奴隷化や死を直接的に意味していた為に、市民は主体的な判断と覚悟を持って政治的判断を行う権利・義務を有していたのである。ここ数年の日本の政治状況では、国家安全保障の危機と国防強化の必要を喧伝するナショナリズムが勢力を強めてきているが、そういった主張の背景には古代ギリシア的な共同体観が存在しているのかもしれない。

一般に、国家と国民(市民)が有機的に連結していて、国家の命運と国民の人生が相互連関する割合が大きいと考えている人ほど、ナショナリズムの思想や軍事力優位の政策に傾倒しやすい。とはいうものの、各国の国益と思惑が衝突する現代社会においても、国民の生命・財産を外国から防衛するという国家の役割が失われてしまったわけではないので、民族(国民)アイデンティティに基づく『排外的・攻撃的ではない愛国心』をどのように培うのかが先進各国の課題となっている。

主神ゼウスを頂点とするギリシア神話の神々の子孫を自称するヘレネス(ギリシア人)の民族アイデンティティと都市国家(ポリス)は、自由と独立を重視する個人が形成する民族国家の原型となった。ヘレネスを自称するギリシア人は、国際人として宥和政策を重視したローマ人と違って、ギリシア語を理解しない外国人をバルバロイとして蔑視する風潮があった。

ギリシア人は、戦争の敗者を容赦なく奴隷化して使役することを勝者の当たり前の権利として認識していたが、ギリシアのポリス群(都市国家群)が共和政ローマのような世界帝国へと発展を遂げなかった理由の一端が『偏狭な排他的ナショナリズムとエスノセントリスム(自文化中心主義)』にあると言われる。共和政ローマが、ハンニバル将軍率いるカルタゴとの三度に渡るポエニ戦役(B.C.246-B.C.146)に勝利して、地中海世界全域へと覇権を拡大しても、ギリシア人(ヘレネス)の文化的優位性や学術分野での先進性は揺らぐことはなかった。

個人として平均的なギリシア人とローマ人を比較した場合、ギリシア人の知識教養や政治判断、愛国心が決してローマ人に劣っているわけではなかったが、ローマ人にあってギリシア人になかったものは『敗者に対する寛容の精神』である。
帝政ローマ発展の原動力の多くは、異民族にローマ市民権を与えてローマの為に自発的な貢献をさせた『同化政策』にあるが、古代ギリシア世界では戦争で打ち負かした相手を奴隷化することはあっても、市民権を与えて同化することはなかったのである。

ギリシア人のように異民族を奴隷化してしまうと政治と軍事を担う市民の数が増えず、祖国の為に積極的に働く個人の自発性や能動性を引き出すことが出来ず、異民族の抵抗や復讐に遭遇しやすくなる。一方、ローマ人のように市民権を与えて自分たちと同等の権限を与えれば、長期的な国家安全保障を実現することができ、祖国ローマの政治と防衛に参加する市民の数を急速に拡大していく事が出来るのである。

ギリシア人は、ヘレネスの子孫としての矜持と卓越した知性・技能を持つ選良(エリート)であったが、ローマ人は、『異質性を持つ他者(異民族)と協力して国家共同体を運営できる』という意味でオルテガ・イ・ガセットのいう反大衆的な『努力する貴族(エリート)』なのである。

現代の日本や米国のような民主主義社会には、身分制度で保障された貴族階級は存在しないが、民主政治が衆愚政治へと頽落しない為には、ローマ的、オルテガ的なノブレス・オブリジェ(貴族の責務)を自発的に果たす貴族精神を持つ市民こそが求められるように思う。現代の自由主義社会で必要とされる貴族主義は、排他的な傲慢さと特権的な怠惰にふんぞり返る貴族ではなく、『無知・野蛮・臆病・怠惰』を反省して克服しようとする自律的で主体的な意志を持った貴族のことである。

血統・家柄・出自・身分に基づく他者への共感を欠いた排他的な貴族精神はもはや不要であるが、メリトクラシー(能力主義)の評価に耐え得る努力と能力の裏づけを持った個人が、他者(公共)への積極的な貢献を愛するという意味での貴族精神はこれからの時代にも求められることになるだろう。異質性を排除して隷従させるギリシア的な貴族精神よりも、異質性を取り込んで協調していくローマ的な貴族精神のほうが、現代的な有用性や適応度が高いように思える。

ギリシア神話の伝統的多神教の思想のエッセンスとユダヤ教やキリスト教の聖書に見られる思想との関わりや、ヨーロッパの歴史的展開に与えたヘレニズムと一神教(ヘブライズム)の影響などについてもまた色々と考えてみたい。


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大衆の反逆

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