“知のメカニズム”を科学的に解明する認知心理学と“心の体制化”を発見したゲシュタルト心理学

『認知(cognition)』とは、外部の物体や事象に関する情報を『後天的な知識・記憶・学習』の影響を受けて理解する過程のことで、『知覚(perception)』とは、目・耳・鼻・舌・皮膚の五感を司る感覚器官から直接的に情報を摂取する過程のことですが、人間の知的な情報処理過程全般を認知と呼ぶこともあります。

アーロン・ベックが開発したうつ病や不安障害の治療に用いられる認知療法(cognitive therapy)が臨床心理学の分野ではよく知られていますが、認知科学(cognitive science)あるいは認知心理学(cognitive psychology)の分野における認知の概念は、認知療法で用いる認知の概念とはやや異なっています。

エビデンス・ベースド(evidence-based)な心理療法である認知療法は、心理療法の効果研究における統計学的根拠を持っているという意味で『科学的根拠に基づく心理療法』と言われます。しかし、認知療法で用いられる『認知』という概念は、『外界の出来事や人間関係をどのように受け止めているのか』『自分の思考・他者の行動・周囲の状況をどのように解釈しているのか』という主観的(個人的)な認識内容を指すものであり、認知心理学で用いる生理学的基盤を持つ『認知(cognition)』の概念とはやや異なります。

認知療法の認知概念と認知心理学の認知概念は、『外界の対象や事象を認識すること』という大まかな意味では共通性を持っていますが、認知心理学では生理学的なメカニズムの解明や科学的実験による認知現象の再現(検証)を重視する研究傾向が顕著に見られます。

認知科学(認知心理学)分野における認知(cognition)とは、科学的客観性と実験的再現性を持つ情報処理過程であり、身体器官(脳・神経・感覚器官)の生理学的機序にその基盤を持っていると考えられます。

人間の認知機能は、知覚・運動・記憶・学習・言語・思考・情動などの各カテゴリーに分類することが可能ですが、認知心理学とは各カテゴリーにおける『人間の知のメカニズム』を科学的に研究する心理学分野であり、脳科学(脳機能科学・大脳生理学)や神経科学(神経心理学・生理心理学)、情報科学(人工知能・ロボット工学・情報工学・コネクショニズム)などの分野と相互に深い関係があります。

認知心理学を包摂する認知科学の研究目的は、誰もに普遍的に当て嵌めることの出来る『認知機能の一般法則の定立』であり、『人間の知の働きの科学的解明』であると言えます。

認知というヒトの精神機能は、極めて多様で複雑であり、全ての認知モジュールに関する情報処理過程のメカニズムを解明し尽くすことは、あらゆる学術研究の科学的な基礎を強固に打ち立てることにつながります。
哲学的な問題意識と認知科学を結びつけて考える人であれば、『人間の知的営為の科学的メカニズムの解明』が、人間(主体)は外界の対象(客体)をどのように知り得るのかという哲学史上の認識論の問題に究極的な解を与えると考えるかもしれません。

視覚や聴覚、嗅覚など五感の知覚機能を対象として研究する知覚心理学(perceptive psychology)の分野では、ヴェルトハイマー(Max Wertheimer, 1880-1943)が創始したゲシュタルト心理学が発展の原動力となっていきます。

オーストリアのグラーツ学派を起源としてベルリン学派へと研究成果が継承されていく『ゲシュタルト心理学(Gestalt psychology)』が知覚心理学(感覚心理学)にもたらした最大の発見は、『従来の構成心理学で用いられてきた要素還元主義では解明できない心理現象がある』ということでした。ゲシュタルト(gestalt)とは『形(形態)』の意味ですが、『心の全体性』『心の体制化』といった意味でも用いられる概念です。

実験心理学(experimental psychology)を創始したウィルヘルム・ヴント(Wilhelm Max Wundt, 1832-1920)は、自分の内面心理を内省的に観察する内観法を研究方法として、人間の意識や知覚は各構成要素に分解できるという要素主義の立場を取っていました。要素主義は、E.B.ティチナーの構成主義(constructivism)へと発展していきますが、全体の意識が部分の要素の結合によって説明できるという構成主義は余り隆盛しませんでした。

人間の意識や知覚の作用は、それを構成している各要素に分解でき、それらの要素は統覚という特殊な精神作用によってまとめられ統合されるというのが『構成主義』の基本的な心理観ですが、ヴェルトハイマー『運動視に関する実験的研究(1912)』という論文において構成要素に還元することでは理解が不可能な『仮現運動』『プレグナンツの法則』を構成主義の反証として提示しました。

仮現運動とは、『静止している対象』を短い時間間隔で位置を変えながら連続して提示すると、あたかも本当に動いているかのように見えるという現象のことで、運動知覚の基本原理の一つです。静止している画像(フィルム)を連続的に提示するパラパラ漫画やフィルムの映画がいかにも本当に動いているように見えるのは、この仮現運動の知覚を誰もが自然に行うことが出来るからです。

仮現運動のような連続性や運動性の『仮構的な知覚』のアイデアは、ヴェルトハイマー以前にグラーツ学派のエーレンフェルスが持っていました。エーレンフェルスは、1890年に『ゲシュタルト質について』という論文を書いており、その論文の中で心の体制化によって意味が形成される音楽のメロディについて言及しています。音楽のメロディやリズムは、構成主義心理学のようにその構成要素の音階の一つ一つを取り出して調べてみてもメロディの流麗さやリズムの心地よさを解明することは出来ません。メロディの魅力やリズムの軽快さを理解する為には、構成要素の音の集合であるゲシュタルト質(全体性)を知覚して味わう必要があるということになります。

個別的な構成要素である対象を一つ一つ見てみても、仮現運動を知覚することは出来ませんが、短い時間間隔で連続的に提示される構成要素の全体(ゲシュタルト質)を見た時には、仮現運動を知覚することができ、人間の視覚では実際運動と仮現運動を識別して知覚することは出来ません。

ゲシュタルト心理学が発見した人間の知覚原理の一つである『プレグナンツの法則』は単純化(秩序化)の法則とも言われ、複雑な事象を効率的に知覚する為に獲得した『グループ分け(群化・体制化)の知覚特性』のことです。プレグナンツの法則には『近接の要因・類同の要因・閉合の要因・過去経験の要因・よい連続の要因・よい形態の要因・共通運命の要因』などがありますが、それらの働きは自動的であると同時に必然的なものなので、群化(体制化)による秩序の形成を阻害する為には、意識的にゲシュタルト崩壊(全体性の知覚の崩壊)を導かなければなりません。

ヴェルトハイマーは、ゲシュタルト質(全体性)の知覚によって生まれる『仮現運動』は、生来的に人間の精神機能に内在している仕組みで、後天的な経験や記憶に依拠して生まれるものではないと考えました。
レヴィンの壺(だまし絵)に見られるような『図と地』の分化には、後天的な経験や記憶の要因が作用しますが、プレグナンツの法則に対して『何故、そのような規則に従ってグループ分け(群化)を行う知覚特性があるのか』『何故、そのような全体性に簡潔な秩序を人間は感じるのか』という疑問を抱いても、それを後天的な経験や学習を根拠に説明することは困難です。

知覚心理学の原点としてのゲシュタルト心理学の説明が長くなりましたが、人間が『対象の位置と特徴』を的確に知覚(認知)する為には、身体知覚と空間知覚、環境情報を得る為の認知地図(cognitive map)が重要になってきます。

人間は眼球を動かしても、対象を安定して補足して知覚することが出来ますが、この知覚は、自己と対象の位置情報を自動的に修正してくれる『頭部中心座標系(head-centered coordinate)』と自分の固視点が対象に向かっていく変位ベクトルを自動調整する『眼球中心座標系(oculocentric coordinate)』によって支えられています。また、人間の知覚は、中枢神経系から末梢神経系へのトップダウンの機構だけではなく、手足や顔面など末梢神経系から中枢神経系へと瞬間的に情報をフィードバックする視覚反応を促す機構があり、これを『身体各部中心座標系(body-part centered coordinate)』といいます。

環境世界において自己が何処に位置しているのかの大まかな把握は、後天的経験によって記述され更新される認知地図(cognitive map)によって行われる場合が多く、人間の空間認知には脳内に保存(記述)されている認知地図の『身体座標(身体との距離感による相対的な空間座標)』や『身体外座標(身体と無関係な抽象的な空間座標)』が大きな役割を果たしていると考えられています。

正確な対象(環境)の知覚は、適応的な運動(行動)の制御と密接な関係があり、通常、認知心理学では認知運動系(認知運動システム)として知覚と運動のモジュール(機能単位)を有機的に結びつけて考えることが多くなっています。

『外部世界の知覚(perception)』の最も重要な働きは、脳内(精神内界)で外部世界を写像した『主観的世界の再構成』を行うということです。
客観的な外部世界を主観的世界として再構成し、自己(身体)と対象の空間的位置を知覚し、対象(他者・動物・物体・自然)に効果的に働きかけ運動(行動)するというのが人間の基本的な生活行動パターンという事になります。

この知覚運動系の情報処理システムは、人間の行動パターンの基本原理を上手く説明していますが、私達が幾ら認知科学的に人間の行動や精神を研究調査しても『主観的世界の再構成』の内容を完全に解き明かすことは出来ないという限界も示唆しています。

次の記事で、『主観的世界の再構成』による科学的研究の限界と関係した心脳問題や生気論と機械論の対立について少し考えてみようと思います。


■関連URL
視覚による両眼立体視と神経心理学的なアプローチ
空間認知や色彩知覚の恒常性(constancy)


■書籍紹介
無意識の脳 自己意識の脳




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