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zoom RSS 坂東眞砂子氏の日経新聞の記事から考える“ペット化した動物”の生命の価値と尊厳

<<   作成日時 : 2006/08/22 11:57   >>

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『死国』『狗神』などの著作で知られる直木賞作家の坂東眞砂子さんが、飼い猫の仔猫を殺していることを日経新聞の『プロムナード』のコーナーに寄稿したことでネット界隈で大きな批判と糾弾の声が上がっているようだ。

私は彼女の小説作品自体を読んだことはないが、その作品が映画化されたことは知っており書店で見かける本のタイトルやカバーから、ホラー小説や怪奇文学のようなものを中心に書いている作家なのだろうといった認識しかなかったが、現在はタヒチに生活の拠点を移して執筆活動をしているようである。

彼女の書いた『プロムナード』の文章をネットで読んで感じたことは、仔猫殺しのロジックが自然主義の誤謬(naturalistic fallacy)恣意的なSOI(Sanctity Of Instinct, 本能の尊厳)を論拠によって為されている為に、彼女の生命に対する倫理観が『社会に対して閉じている』ということだった。
恣意的なSOIというのは自然主義の誤謬から演繹した私の造語であるが、何故、本能的欲求の充足を最高価値において仔猫を始末しなければならないかについては納得できない部分が多い。

人間の倫理判断において陥りやすい自然主義の誤謬というのは簡単に言えば、『人間は自然の一部であり、人間は人為を廃して”自然の摂理”に従属することが望ましい』という自然従属的な価値観や倫理観のことである。

私達は無意識的にこの自然主義の誤謬を肯定するかのような言動を取ってしまうことがあり、例えば、『人間の社会も弱肉強食だから生活するのも厳しいよね』とか『経済活動にも自然淘汰(自然選択)のメカニズムが働くから優れた者が勝ち残るのが常である』とかいった発言は、それとなく自然界の一般法則みたいなものに私達が従うことが正しいといった判断を内包している。
倫理的な自然主義というのは、自然界の中に人間が遵守すべき最高の倫理や規範が内在しており、自然界の生物のあり方や食物連鎖のメカニズムを参考にして人間世界の行為規範を考えるべきであるという立場を指すが、これは、『世界を認識する人間の存在しない自然』と『世界を認識する人間の存在する自然』を同一視している時点で端的に誤りであり、人為的な医療行為や文明社会を不要であるとするような自然従属的な考え方はナンセンスといっていいだろう。

坂東眞砂子さんは、『プロムナード』の中で、猫に避妊手術をしない理由を以下のように書いている。



避妊手術を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。

猫は幸せさ、うちの猫には愛情をもって接している。猫もそれに応えてくれる、という人もいるだろう。だが私は、猫が飼い主に甘える根元には、餌をもらえるからということがあると思う。生きるための手段だ。もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう。



坂東眞砂子さんは、『雌猫の生殖本能を維持することが、獣(野生の動物)の「生」である』として、発情期に交尾をして子どもを産むことが自然の摂理に適ったことだというロジックを用いている。しかし、人間に愛玩目的で飼われた『ペットとしての猫』である時点で、人間の都合で自然界から引き離されているのだから、何故、今更『自然界の摂理としての生殖行為』に倫理的な正しさを見出す必要があるのか疑問である。

人間の様々な目的や欲求のもとに飼われた動物は家畜化(ペット化)されてしまい、淘汰圧の強い自然界で自力で生存を維持して子孫を残す能力を失いやすい。そうであればこそ、チワワやミニチュア・ダックスフンドやアメリカンショートヘアやミニうさぎのようなペット化された動物を、人間の都合で飼うのは可愛そうだから本来生きるべき場である自然に返そうなどというエキセントリックな飼い主は通常いない。

ペットとして飼われた動物は、自然界の摂理に従う必然性を失っており、ペットとして動物を飼う飼い主は、人間社会のルールに従いながら、愛情を持って最期のお別れの時を迎えるまで飼う責任があると考えるのが妥当ではないだろうか。そして、飼い猫が仔猫を産んでから仔猫を処分するという判断は『利己的な遺伝子を継承するという生殖の摂理』を中途半端に満たしているだけであり、結果として仔猫の遺伝子はそこで瞬時に途絶えるのだから、猫の本能的欲求(遺伝子保存欲求)を大切にしていることにもならないと考えられる。

また、『吾輩は猫である』のように文学的な創作の世界で猫に語らせるのは楽しい趣向だが、現実世界の倫理判断において猫の意志や願望をいい加減に言語化することは誤解を生みやすいように思える。

そのレトリックを用いるのであれば、人間の都合や価値観を反映していくらでも色々な台詞を思いつくことができる。もし猫が言葉を話せるのであれば、『頑張って産んだ大切な仔猫を私のもとに返してくださいニャア。産まれた後に仔猫を奪いとるなんてあんまりな仕打ちじゃないですか』と言っているかもしれない。

自然従属的な猫の本質的な『生』をいうのであれば、生殖の成功よりも快楽優位な人間の性行為を動物にそのまま当て嵌めることは適切ではなく、子孫を継承させる繁殖の意図がないのであれば初めから避妊手術を行うほうが良いと私は考える。



飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。しかし、それは飼い主の都合でもある。子猫が野良猫となると、人間の生活環境を害する。だから社会的責任として、育てられない子猫は、最初から生まないように手術する。私は、これに異を唱えるものではない。

ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。



産まれてくる仔猫の面倒を見る覚悟がない限り、飼い猫に避妊手術を実施することは、飼い主の責任であるが、それは人間の快適な生活環境や安全な公衆衛生のためだけではなく、屋内で飼っている猫の性的フラストレーションの緩和や保健所に送られて処分される仔猫の不幸や苦痛を未然に防ぐ為でもある。副次的な影響としては、性ホルモンの分泌の調整や子宮・卵巣の腫瘍などの疾患を未然に防げるという、飼い猫の身体的な健康を維持するメリットもある。

『生まれてすぐの仔猫』『子種(精子・卵子・受精卵・胚)』の生命の価値を完全に等価に置いてしまう生命倫理のあり方は、「人工妊娠中絶は殺人と同じ行為であり、法的に禁止すべし」というラディカルに無条件の生命尊重を説くSOL派やキリスト教根本主義と共通するものであるが、坂東眞砂子さんの場合には『生まれてすぐの仔猫』の生命は、親猫の発情期の生殖行為の充実よりも軽いようなので、厳密には『恣意的なSOI(Sanctity Of Instinct, 本能の尊厳)の価値観』を持っていると言えるのではないだろうか。

仔猫を殺すか子種を殺すかどっちがいいとか悪いとか言えるものではないという倫理命題は、子どもを殺すか受精卵(精子・卵子)を殺すかどっちがいいか断言できないという命題に置き換えることが出来る。

無条件にあらゆる生命(受精から始まるヒトの生命)を尊重せよという宗教教義やSOLの価値観を除いて、通常、生命の価値認識の起源は、死の恐怖や心身の苦痛を他者に投影する共感感情にあると考えられる。
それゆえに、人間は自分と同じ心的世界を持っているとは想像しにくい植物の生命を奪うよりも、自分と近似した精神活動をしていそうな動物の生命を奪うことに躊躇を覚え罪悪感を抱きやすい。軟体動物や節足動物よりも脊椎動物の生命により親しみや共感を感じやすいという感性は大多数の人に発達早期から備わっていると考えて良いだろう。

脊椎動物に分類される動物の中でも、よりヒトの形態や機能に近い動物ほど親近感を感じるし、高度な中枢神経系(脳)を持っていて知性・感情の萌芽が感じられる動物を擬人化して認知することも少なくない。

上記のような一般的に見られる『生命の価値判断の階層性』は、人間中心主義の世界観やエゴイスティックな生命観として批判されることもあるが、私達が自分に類似した特徴や自我意識の存在に対して尊厳や親近感を感じるのは本能的なものであり、蛾やカマキリなどの昆虫の生命を犬やハムスターの生命と全く等しいものとして認知できるのは、特別に昆虫に対して思い入れがある人だけだろう。

生命倫理の普遍的な理念として『全ての生命には尊厳があり、生命を大切にしよう』というスローガンを掲げることには道徳教育的な意義があり、その理念を説くこと自体には賛成である。しかし、その理想的な生命尊重の理念を、ドグマティックに現実社会の実践やルールに適用することは徳川綱吉の『生類憐れみの令』のような異常な事態を招くだけである。

その一方で、現実世界ではあらゆる生命の価値を等価なものとして取り扱えないことを、坂東眞砂子さんの行動が示していることは興味深い。彼女は、『生まれてすぐの猫の生命』よりも『今まで飼っていた猫の生命』を優先したのだが、それは自分に懐いていて愛着関係が成立している猫のほうにより強い共感感情と生命の尊重が湧いたからであろう。

そういった選択的な共感感情が、坂東眞砂子さんを仔猫を処分する行為へと駆り立てたのだと推測するが、であるならば、精一杯生きようとする生まれたばかりの仔猫の姿を覗き込んだ時に、『意識(知覚・認知・感情・記憶)を備えた仔猫の生命』『誕生以前の子種(避妊手術の選択)』よりも愛らしく共感的に捉えることが出来なかったのが不思議である。

しかし、その理由の一端が、坂東眞砂子さんの『避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ』という表現や『もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである』という言葉に象徴されているようにも感じた。

反倫理的な行為の免罪や将来の繁栄の対価として『主観的な苦痛・悲哀・絶望』を代償として差し出すスケープゴート奉献にも似たメンタリティというのは、意外に多くの人に見られるものである。しかし、『厭なことや不快な思い』をすれば社会的責任が果たせるとか、厭なことをしないよりも価値があるとかいう主張には首肯できない。
全身麻酔による安全性の高い避妊手術がある現代において、『厭な思いや苦痛な体験』をすることを敢えて選んで、仔猫処分の社会的責任をまっとうする倫理的な必然性と合理的な根拠がそこに欠けていると感じたためであろう。

このロジックでいけば、牛や豚の家畜の屠殺現場を実際に見てステーキを食べるほうが、そうでないよりも倫理的だという主張も成り立つ。動物の生命の犠牲の上に私達の食生活が成り立っているという認識は大切だが、食材となる動物の生命に対する緩やかな感謝の念以上に、生々しく痛々しいリアルな現場を見なければ倫理観を体得できないわけではない。そもそも、一切の肉食を否定するベジタリアンや食肉用の家畜飼育に反対する社会運動家でもない限りは、そこまで禁欲的な生命倫理を持つ意義は乏しいだろう。

この記事での意見は、パーソン論に偏った記述が多くなったが、生命の尊厳の起源や生命の価値の承認を考える場合に、実際の人間の生命倫理を巧妙に説明するパーソン論を避けてとおることは極めて難しいだろうし、法規範と倫理規範を完全に一体化させる厳格な社会風潮には、世俗に生きる多くの人は耐えることが出来ないだろう。

確かに……対象に対する共感感情の大小や高次脳機能の高低、理性的な自我意識の有無、最低限の精神機能(知覚・記憶・感情・コミュニケーション)の有無、対象との社会的関係性、生物学的な類縁性によって『生命の価値の高低』を推し量ることは普遍的に倫理的な確からしさを持っているとは言えない。

しかし、それらを全く無視した倫理観に基づく行動は現実適応的であるとはいえないし、あらゆる生命(発達段階を考慮しない生物種としてのヒトの生命)の価値に一切の差異や高低を認めない生命倫理を、それを信じる自分自身が実践することは出来ても、それを信じない他人に強制することには幾多の困難と問題があるように思える。


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