乳幼児の幻想的無意識を構想したメラニー・クラインとエディプス葛藤を重視したアンナ・フロイト

フロイト以後の精神分析には多数の学派があるので、対象関係とは何かという問いについては一義的に回答を返すことは出来ませんが、シグムンド・フロイトからアンナ・フロイトへと継承された自我心理学派では、『プレ・エディパル(pre-oedipal, エディプス・コンプレックス以前)な乳幼児は、自他を区別する“自我”が形成されていないので対象関係を持てない』と考えます。

正統派精神分析の後継者を自認したフロイトの末娘アンナ・フロイトは、プレ・エディパルな段階から幻想的な内的対象関係を持てると主張したメラニー・クラインと児童分析の方法論を巡って、英国精神分析協会を二分する激しい論争に突入することになります。

この論争は、精神発達過程における自我の形成期が何時なのかを巡る論争であり、対象関係を持てる心的能力の内容を巡る議論でもありました。アンナ・フロイトとメラニー・クラインの対立では、晩年のシグムンド・フロイトは明確に娘の立場に立っていましたが、それはフロイトの精神分析の譲れない生命線である「エディプス・コンプレックス」と「個体レベルの精神発達過程」をクライン学派が否定しようとしていたからだと考えられます。余談ですが、エディプス・コンプレックスはフロイトの性一元論的な精神発達観の中核にあるもので、フロイトはこの概念を真っ向から否定する弟子とは殆ど対立して訣別しています。

フロイトの後継者として最有力候補であったカール・グスタフ・ユングや初期の共同研究者アルフレッド・アドラーも、フロイトのエディプス・コンプレックスを人間の精神生活の基盤とする理論構成へ根強い不信と批判があり、正統派精神分析と離別して独自の心理学を構築する道を進みました。

クライン派やそれに続く独立学派の精神分析学者は、個体レベルで働く『エス(本能的欲求)の充足・快楽への意志』よりも複数の個体の間で働く『対象関係の欲求・最適な関係への意志』のほうがより本質的な行動原理だと考えていたのです。
フロイトは精神病理学の分野で乳幼児期の心的外傷や親子関係の問題の重要性を指摘しましたが、具体的な乳幼児の心理や行動の臨床研究を十分に行う時間が残されていませんでした。

フロイト以後の精神分析では、幼児期の外傷記憶とは無関係に精神発達上の重要性を根拠として、早期発達段階の母子関係や児童心理の研究が豊富な臨床ケースを元に進められていきます。

愛着(attachment)の概念を重視したボウルビィや分離・個体化の発達理論を臨床経験をもとに構築したマーガレット・S・マーラーなどが早期母子関係の発達理論では有名ですが、クライン派や独立学派の対象関係論でも早期発達段階の乳児の内面世界や母親との関わりが重要視されています。

アンナ・フロイトやハルトマンなど自我心理学の分析家は、エディプス葛藤以前の段階にある乳幼児を完全に無力な存在と見なして、対象関係を知覚できる「自我構造」の存在を認めませんから、早期発達段階における母親との相互的なコミュニケーションや子どもの内面世界にある表象(イメージや幻想)、子どもの遊びに見られる転移感情に対して否定的でした。

対象関係論の草創期に活躍して、ウィニコットやフェアバーンに大きな理論的示唆を与えた女性分析家として有名なメラニー・クラインですが、彼女自身は対象関係論学派の始祖ではなく、クラインの同調者はクライン学派と呼ばれました。

自らの理論体系を対象関係論であると明確に称した初めの人物は、ウィリアム・ロナルド・D・フェアバーン(W.R.D.Fairbairn)だと言われていますが、客観的に対象関係論の創始者を特定するのは困難です。
しかし、フェアバーンを含めて、対象関係論(アンナ・フロイトにもメラニー・クラインにも与さなかったという意味で独立学派とも言われる)に分類されるウィニコットやマイケル・バリント、ガントリップらの理論のルーツは全てメラニー・クラインにあると言えるのではないかと思います。

また、クラインはフロイトが『快感原則の彼岸(1920)』で仮定した『死の本能(タナトス, death instinct)』を自己の理論体系(妄想‐分裂ポジションと抑うつポジション)に巧みに取り込んだ初めての分析家であり、正統派精神分析以上に生得的な無意識内容(幻想的無意識)の存在を人間の精神生活にとって重要なものと認識していたと考えられます。

クラインが提起した『死の本能』を前提とした体験様式化のシステムであるポジション(態勢)の概念や乳幼児が用いる原始的防衛機制、成人期以降の病理性につながる原始的防衛機制への退行などについてもまた考えてみたいと思います。

クラインの興味深いところは、フロイト以上に生物学主義(自然科学としての生物学ではなく、先天的な精神機能・表象作用を重視するという意味での生物学主義だが)にこだわったところであり、彼女は乳児には生得的(本能的)にエディプス・コンプレックスに近似した幻想世界を生み出す精神機能が備わっていると仮定して、その原動力として『生の本能(エロス)』『死の本能(タナトス)』の二本のラインを考えたのです。


■関連URL
メラニー・クラインの人生と精神分析理論の概略

『オイディプス王』の悲劇と家父長的な家族神話の観念的葛藤

『父・母・子どもの三者関係』を取り巻く幻想と現実のヴェール

フロイトのエディプス・コンプレックスとコフートの自己対象との共感的関係

■書籍紹介
現代の精神分析―フロイトからフロイト以後へ

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